ペリーさん59歳の春【駅ぶら03】京浜急行145

トップ画像は、ペリー公園の前、ペリー通りは久里浜海岸に面しています。対岸の房総半島が見えます。海上の赤いブイを狙った写真だったのですが。

ペリー公園、大きな石碑と説明のない白い錨、右奥には「ペリー記念館」があります。コロナ・ウィルスで日本中の学校が一斉休校になっていたので子供たちがたくさん遊んでいました。

北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑 大勲位侯爵伊藤博文書 と初代総理大臣の伊藤博文揮毫の文字が書かれています。この石碑は明治34年(1901年)建立です。

あまり触れられていませんが、この石碑、実は再建されたものです。戦争末期の昭和20年2月、地元の翼賛壮年団によって「敵国ペリーの碑を倒して砕き靖国神社の参道に撒く」という愚挙が実行されたのです。跡には徳富蘇峰による木製の「護国精神振起之碑」が建てられました。この愚行が「護国精神を振るい起たせる」という何とも救い難い精神主義です。

戦後米国から再建の要請があって昭和21年(1946年)復旧されたものです。この様な愚かしい歴史もしっかり記録しておいて欲しいですね。

石碑の裏側。以下のことが記されています。

「嘉永六年六月九日上陸明治卅四年七月十四日建之

THIS MONUMENT  COMMEMORATES The First Arrival OF  COMMODORE PERRY  AMBASSADOR FROM THE  UNITED STATES OF AMERICA  WHO LANDED AT THIS PLACE  JULY 14,1853.  ERECTED JULY 14.1901.  BY AMERICA’S FRIEND ASSOCIATION」

ペリー記念館に行きます。

行ったのは2020年3月12日でしたが、コロナ・ウィルスによる休館が掲出されていました。残念ながら館内の見学はできません。

右にペリー提督胸像。ちなみに「ペルリ提督」は、Matthew Calbraith Perry、1794年(日本なら寛政6年)生まれです。近江彦根藩主の井伊大老(直亮なおあき)や幕府老中水野忠邦と同じ年齢です。久里浜上陸の時ペリーさんは59歳でした。帰国した4年後に亡くなっています。享年63歳。

左には、ペリーさんから米大統領親書を受け取った戸田伊豆守氏栄(うじよし)さん。黒船来航時の浦賀奉行でした。1799年(寛政11年)生まれなのでペリーさんより5歳若いです。アメリカ側に残る記録で当時の戸田さんは「淡麗なる容貌、額がひろく賢そう」だったそうです。

ペリー記念館は休館。長時間石碑を眺めていても仕方が無いです。

公園の東はペリー通り、久里浜海岸があります。左の白い碑は「横須賀市市制施行七十周年記念 横須賀風物百選 ペリー上陸記念碑」。

この日は暖かい日でした。眺めも良いです。

久里浜海岸、左(北)は半島、その向こう側は浦賀です。砂浜が気持ち良い。

右(東~南)は横須賀新埠頭というのかな。

不思議な形の船が停泊しています。川崎近海汽船株式会社のオフショア支援船”あかつき”です。2016年(平成28年)就航。正式には「Anchor Handling Tug Supply Vessel」という船舶。AHTSVとは、海洋設備の海底チェーン固縛に必要なアンカーハンドリング機能、強力な曳航力を得るための大出力のエンジン、掘削作業に必要な各種Drilling貨物を貯蔵しSupplyする機能及び各種機材の運搬機能を備えたオフショア作業に不可欠な機能を備えたオフショア支援船の事です。船首の形が見たいなぁ。

黒船来航の嘉永から、AHTSVの浮かぶ令和まで、潮の香りを楽しみながら久里浜海岸に佇みました。京急久里浜駅までは1km以上あるのです。意を決して駅に戻ります。

【駅ぶら03】京浜急行146 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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