『ふるえるからだ』大西智子著 他人が介入しない自分自身の幸福

 息を詰めたまま、ひと息で読み切った感じだ。どろんどろんの愛憎劇と言うべきか……いや、そういうことでもないような気がする。今読み終えたものは一体なんだったんだろう、身体の中を、ごうごうと吹きすさぶ嵐が通り抜けたような感がある。

 四十路すぎの主人公「志津」が、スーパーのレジを操るバイト青年に欲情している場面から物語は始まる。彼が操るレジの列に、並々ならぬ熱心さで並び、すいすいと動くその指を見つめる。志津が彼を観察するようになって、何年もの時間が流れていることが知れる。やがて志津はそのスーパーで働くようになり、並々ならぬ熱心さで彼に話しかけ、誘い、そしてそういう仲になる。そして私たちは知らされるのだ。青年が、志津の夫が愛人に産ませた息子であることを。

 そう、これは志津の復讐劇である。まずは、離婚を切り出してきた夫への。志津は青年「理人」の子を宿すことを夢見てのめり込む。理人に思いを寄せる女子に睨まれても、スーパーの同僚たちから噂になりまくっても、臆することはない。その一方で、5歳の息子「晴一」にも濃密な愛情を注ぐ。あまりにも可愛くて、お風呂場で息子の性器をつい咥えてしまうくらいに。

 それぞれの歪んだ愛情が、どこの何からどのように発露しているのか、志津自身は整理整頓することができない。志津を突き動かしているのは怒りと悲しみだ。幼い日、父親から受けた仕打ち。そこから自分を救ってくれたはずの、夫による裏切り。自分と夫をつないでいる「いとこ婚」への差別と呪縛。「愛」とか「幸福」みたいなものから、どうも爪弾きにされているような感覚。

 しかし、次第に「整理整頓」せざるを得ない出来事が次々と志津を襲う。彼女は熟考する。自分はなにに囚われているのか。なにが自分や家族を縛り付けていたのか。自分は、誰に、どのように向き合えばよかったのか。

 終盤、彼女は新しい一歩を踏み出す。踏み出したところでおしまい、ではなく、踏み出してからの日々もはっきりと描かれている。そのことが稀有で頼もしい。他者を介さず、自分にとっての幸福へと邁進するすべての人に、幸あれ。

(光文社 1800円+税)=小川志津子

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