長沢海岸は風光明媚【駅ぶら03】京浜急行148

京急長沢駅から海沿いの国道134号線長沢駅入口交差点まで10分程歩き、国道を左折して3分も歩かないうちに若山牧水資料館・長岡半太郎記念館があります。実は京急さんのホームページで紹介されていたので訪れることにしたのです。

訪問したのはコロナ・ウィルス騒動真っ最中の2020年3月12日でした。入口には「感染症拡大を考慮して3月13日(金)~31日(火)は休館」と貼り出されていたので、どうにか間に合ったのです。

長岡半太郎記念館 若山牧水資料館「京浜急行電鉄が昭和五十六年(1981年)九月に物理学者故長岡半太郎博士が生前長沢を愛して住んだ別邸を復元し横須賀市に寄贈した」「歌人若山牧水は大正四年(1915年)から一年十ヶ月妻の転地療養で長沢に住み多くの歌を残した」「二人を顕彰するための資料を館内に展示しております」と書かれています。問い合わせ先の横須賀市北下浦行政センターというのはこの記念館の北側にありました。

階段を上がって記念館を覗いたら職員の方が施錠をするところでした。「コロナ・ウィルスで明日から休館予定でしたが、感染拡大が拡がっているので今日から閉館します」と言われて内部の見学は諦めました。これは記念館入り口にあったレリーフ。「旧長岡半太郎別邸」となっています。茅葺きの農家風の建物だったのですね。

庭先に長岡半太郎博士が愛した「鬼の机」が復元されていました。コンクリートなので坐るのは遠慮しました。長岡半太郎さんは存じあげませんでしたが、博士の弟子、寺田寅彦さんのエッセイは岩波文庫で愛読しました。

鬼の机から見た景色。海は金田湾という様です。長岡半太郎博士が好んだ風景です。駐車場もその頃は無かったでしょう。博士がこの地に別邸を構えたのは明治43年(1910年)頃だそうですから。戦時下の大東急によって堀ノ内駅から久里浜に線路が敷かれたのは30年以上経った1942年(昭和17年)、京浜急行電鉄が野比駅(現・YRP野比駅)まで延伸したのは1963年(昭和38年)、さらに野比駅(現・YRP野比駅)から線路を津久井浜駅まで伸ばしたのが1966年(昭和41年)なのですから、電車の無い時代に博士は東京から定期蒸気船で通ってこられた様です。

望遠レンズにすると対岸の房総半島が見えました。

長岡半太郎記念館を出て、眼の前の長沢海岸に行きました。気持ち良い海岸です。

若山牧水の歌碑は、かつては長岡半太郎記念館の下辺りにあったそうですが、道路工事などで100mくらい久里浜側に移されました。そちらに歩いて行きます。

散歩に来ていたワンちゃんが楽しそうに波打ち際を駆け回っていました。

久里浜の方角に高い鉄塔が見えます。地図で探しましたが、何の塔か分かりません。

若山牧水の歌碑です。「海越えて鋸山はかすめども此処の長浜浪立ちやまず」と刻まれています。反対側には牧水と転地療養に来た奥様、夫妻の短歌が刻まれています。

若山牧水は旅を好んだ歌人でしたから全国に300程の歌碑があるそうです。鉄道での旅行を好んだので鉄道紀行文の嚆矢とも言える文章も残しています。青空文庫で「みなかみ紀行」を読むことができます。

突堤にコロナ・ウィルスで学校が休校になったと思しき女子中学生が二人、海に向かって仲良く座っていました。トップ画像は、別の角度から撮ったものです。

しばらく風光明媚な長沢海岸に佇んでいましたが、次の津久井浜駅に向かいました。

【駅ぶら03】京浜急行149 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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