杏里「悲しみがとまらない」よくある寝取られ話が4分25秒のドラマに化けた! 1983年 11月5日 杏里のシングル「悲しみがとまらない」がリリースされた日

杏里のシフトチェンジは4枚目のアルバム「Heaven Beach」

杏里さんの声には、独特のゆらぎと、海風のような爽やかさが同居している。どんな作品も、決してドロドロしないのがひとつの魅力ではないだろうか。

杏里さんは17歳だった1978年11月、尾崎亜美さんの作品「オリビアを聴きながら」でデビューした。その後ロック系の鈴木慶一さんのヨーロピアン系の作品を経て、デビューから4年後の1982年11月、角松敏生さんの作品でブラコン的なAORにシフトした11枚目のシングル「Fly By Day」(編曲:瀬尾一三)と4枚目のアルバム『Heaven Beach』を同時発表した。これがピタっとはまり、それまでのファンに加えて洋楽好きの学生の間でもかなり話題になった。ただ、当時はラジオ等でのオンエアも少なく、世間一般への大きなセールスにはつながらなかった。

1983年6月、5枚目のアルバム『Bi・Ki・Ni』でも角松敏生さんの作品をアルバム片面、5曲取り上げた。本作は中山美穂さんの愛聴盤ということで、のちに角松敏生さんが中山美穂さんに提供してヒットする名バラード「You’re My Only Shinin’ Star」につながる。

大ヒット曲「CAT’S EYE」を受けた次のシングル「悲しみがとまらない」

この2か月後の1983年8月、杏里さんは日本テレビ系のアニメ『キャッツ・アイ』の主題歌を歌うことになり、シングル「CAT'S EYE」として発表した。杏里さんとしては珍しい、作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:大谷和夫という歌謡曲畑の作家による作品で、有線放送やラジオから火が付き『ザ・ベストテン』等での歌番組でも上位をキープし、お茶の間に浸透、最終的には130万枚を売り上げる大ヒットになった。

そんな「CAT'S EYE」の大ヒットを受けて次の曲をどうするか。6枚目となる次のアルバム『Timely』も準備していたプロデューサー角松敏生さんが杏里さんの作品で一番苦労したのが「悲しみがとまらない」だという。絶対に売れなきゃならないシングルではあるが、当時の角松さんは大衆受けする歌謡的な曲を書く自信がなかった。

そこで角松さんは、歌謡界で当時注目していた作詞家・康珍化さんと作曲家・林哲司さんに発注した。ただ、外枠となるアイデアは角松敏生さんがリクエストした。曲はモータウン風、詞は彼氏を友達に取られてしまったストーリー。世間でよくある、いわゆる “寝取られ話” だ。

林哲司が仕上げた “インパクトあるメロディとモータウン風サウンド”

受注した林哲司さんは、杏里さんに「スタイリッシュなヴォーカリストでブラック・コンテンポラリーやR&Bが似合うタイプの女性シンガー」という印象を持っていた。作曲にあたっては詞を担当する康珍化さんから2つの条件があったという。ひとつは、タイトルを「悲しみがとまらない」とすること、もうひとつは「I Can’t Stop The Loneliness」というフレーズをキャッチコピー的に使うこと。

林さんは、この2つの条件を上手に組み込んでメロディ先行で曲を作った。まずは「♪ I Can’t Stop The Loneliness」のフレーズにインパクトのあるメロディをつけ、そこからメロディをつないでタイトルの「悲しみがとまらない」とした。このメロディはサビに相応しいものだったため、サビ始まりの曲となったという。

モータウン風に… という角松さんからの条件はサウンドがわかりやすい。頭サビの後につづく8小節の後のAメロはザ・スプリームス「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」をはじめとしたモータウンの楽曲を思わせるリズム… そういえば、「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」もサビ始まりという共通点がある。ただどっぷりモータウンで続くのではなく、Bメロで平行転調してリズムも変わる。そして再びのサビで元のコードリズムに戻り、2コーラス過ぎた後のコーダではサビが半音上がって歌われる。

文章にすると随分忙しい曲のように見えてしまうが、この曲調とリズムの変化がとてもナチュラルで、マイナーとメジャーを行き来するあたりは日差しと翳りが交差するのにも似ている。色合いに喩えると中間色というのが相応しい。

康珍化が仕上げた “彼氏を友達に取られてしまったストーリー”

康珍化さんは、林哲司さんの45周年のコンサート『SONG FILE』のパンフレットでこんなコメントを寄せている。

「林さんのメロには詞の下書きみたいなものがあるんですよ。他の人には見えないかもしれないけど、ぼくには見える」

林哲司さんによる要所要所に哀愁のにおいが見え隠れするドラマ性のあるメロディに、康珍化さんにはストーリーが鮮やかに見えたのだろう。康珍化さんは角松敏生さんからのリクエスト “友達に彼氏を取られてしまったストーリー” を載せた。

主人公の女性の心のうちと、彼と彼女を映像感のある言葉でつないだ歌詞は、そのまま一話完結のシナリオになっていて、メロディにとてもフィットしている。使われていることばも「シンパシイ」「Kissはうそのにおい」「だれか救けて」…と、誰にでもある内容がどこかひっかかる詞で彩られて、二重三重にドラマ的な歌になった。

 恋はちいさな
 アラシみたいに
 友だちも 恋人も
 奪って

友だちも恋人も一気に失ってしまったら、それこそ “助けて” ではなく “救けて” という気持ちになってしまう。 “助けて” は自分で立ち直れるが、“救けて” は自分で立ち直れる状態の前段階、それくらい辛く苦しい状態だ。あのとき、彼を彼女に紹介しさえしなければ… と後悔する主人公。お互いシンパシイを感じた彼と彼女の新しい恋は止められない。冷静に第三者の目線でいうと彼が二股かけたのが原因なのだが、そこで彼が二股かけなければ、ドラマは生まれない。

連続大ヒット! プロデューサー角松敏生の面目躍如

角松敏生さんの狙いは見事に当たった。多くの人に共感を呼ぶ悲しい恋のストーリー、アップテンポで親しみがあり哀愁をちりばめたメロディ、ホーンも弦もコーラスも入ったゴージャスなサウンド、杏里さんの歌声と主人公を演じる表現力。これらが一体になってカラッとしたなかに翳りのある明るい4分25秒のポップスに仕上げられた「悲しみがとまらない」は、アルバム『Timely』からの先行シングルとしてリリースされ、前作「CAT'S EYE」に続きベストテン上位に入る大ヒットとなった。

参考文献
■『角松敏生 NO END TALK 完全版』(サンエイムック)
■『ポップス作曲講座 ヒット曲の作り方教えます』(林哲司 / シンコーミュージック・エンタテイメント)
■『Tetsuji Hayashi SONG FILE』(コンサートパンフレット)

カタリベ: 彩

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