「世界一コンビ」復活に現実味…BC栃木入りの川崎宗則、西岡剛に感じる「恩」

2006年WBC決勝で生還する川崎宗則【写真:Getty Images】

西岡「僕自身も火がついた」、川崎「剛が栃木で頑張っているのは嬉しいし、励みになる」

列島が歓喜した熱戦から、もう14年あまりが経つ。2006年のWBCで世界一をつかんだ侍ジャパン。二遊間を組んだのが、川崎宗則内野手と西岡剛内野手だった。現在、39歳と36歳。メジャーリーグにも挑戦し、NPBを離れた今もなお現役を続ける2人が、栃木の地で再結成を果たすかもしれない。

照りつける残暑の日差しの中でも「ムネリン」は健在だった。川崎は8月24日から4日間、独立リーグ・ルートインBCリーグに所属する栃木ゴールデンブレーブスの練習に参加。環境面や条件面を確認し、28日に栃木から入団が正式に発表された。3年ぶりの国内復帰となり、10月のシーズン終了まで約2か月間プレーする。

メジャー挑戦後の17年に古巣のソフトバンクに復帰するも、18年3月に体調不良で退団。およそ1年のブランクをへて、昨季は台湾プロ野球の味全ドラゴンズでコーチ兼任としてプレーした。今季は味全側との契約が折り合わず、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって無所属になっていた。

独自でトレーニングを続けながらも「試合に出たい」と実戦機会を渇望する中で、関係者を通じて栃木の練習参加への誘いがあった。「行きます! って感じで1.5秒で決まりました」と即決。栃木を訪れたのは初めてでも、チームの存在は知っていた。何より、昨季この地でプレーした“戦友”のことは気に留めていた。

18年限りで阪神を戦力外となった西岡は昨季、NPB返り咲きを目指して栃木入り。チームのリーグ初優勝に貢献した。今季はまだ契約にいたっておらず、無所属状態。表舞台には出てきていないが、独自でトレーニングする姿を自身のSNSで公開している。日頃から「挑戦し続けることが好きなだけ」と言い、NPB復帰への最短ルートを模索。ただ、新型コロナの影響でプロ野球界自体が想定外の対応を迫られている中で、今季は無所属のまま終えるか、実戦機会を確保するために栃木で引き続きプレーするかという現実的な選択肢が見えてくる。

BC栃木に入団した川崎宗則【写真:小西亮】

川崎は西岡について「また野球に向き合うきっかけになった選手」

3歳違いの2人は、05年のオールスターをきっかけに付き合いが始まった。翌06年には、初開催となったWBCで王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)率いる侍ジャパンの二遊間を担った。キューバとの決勝では、1番・川崎、2番・西岡。1点リードの9回には、西岡のプッシュバントでチャンスを広げ、イチロー(現マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)の右前打で二塁から川崎が生還。捕手のタッチをかい潜る間一髪のプレーで“神の右手”と話題を呼んだ。

08年の北京五輪でもコンビを組み、その後ともに海を渡った。そして奇しくも昨季はNPBを離れて戦った。西岡が「ムネさんが台湾で野球することを聞いて僕自身も火がついた」と言えば、川崎も「剛が栃木で頑張っているのは嬉しいし、励みになる」と応え、互いが互いの原動力にもなっていた。さらに川崎には、西岡への恩がある。栃木での練習参加初日の会見でも、感謝を口にした。

「また野球に向き合うきっかけになった選手なんです」。体調不良で野球から離れていたころ、12球団合同トライアウトを控えた西岡が、福岡に訪ねてきてキャッチボールの相手を務めた。新天地を求める弟分が投げる回転のきれいな球をグラブで受け止め、その力強さに奮い立つものが確かにあった。「年齢的には僕の弟と言いたいところですけど、兄貴的な存在というのもあって」。川崎はその存在の大きさを語る。

戦う場所は違っても、機を見て顔を合わせてきた2人。川崎が西岡の地元の関西を訪れた際には、一緒にロードバイクに乗って浪速の観光地巡りをしたこともあった。昨秋には、西岡が台湾を訪れ、異国でプレーする「お兄ちゃん」の姿を目に焼き付けた。「いつか同じユニホームを着られたら」。交わした約束が、川崎の栃木入りで現実味を帯びてきた。2020年晩夏。2人がグラウンドで再会する日が来るかもしれない。(小西亮 / Ryo Konishi)

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