山下公園の「インド水塔」 建造当初の姿に修復へ

修復されることが決まったインド水塔=横浜市中区の山下公園

 関東大震災で被災したインド商人が横浜市に寄贈し、約80年前に山下公園(同市中区)に設置された水飲み場「インド水塔」が修復されることが30日、関係者への取材で分かった。水が出ないなど老朽化が進んでいたが、在日インド人にとっては心のよりどころになっていた交流の象徴。市は3年後の震災100年に建造当初の姿によみがえらせる方向で計画を進めている。

 横浜はインドとの縁が深く、開港期から生糸や絹製品を扱うインド商人が市内に集住、中区山下町には商館が軒を連ねていた。1923年9月1日の関東大震災では山下町が壊滅的な被害を受け、多くのインド人が被災し、28人の犠牲者が出たという。

 異国の地で被災したインド人に、大勢の市民が救済の手を差し伸べた。市は業界団体の日本絹業協会に低金利で融資し、山下町の焼け跡にインド商人向け店舗兼住宅を整備。これを受け、横浜に復帰したインド商社は震災復興に貢献した。

 インド水塔は当時の援助に感謝の意を伝えようと、横浜インド商組合が39年に市に寄贈した。あずまやはイスラム教寺院のような特徴的な外観で、天井の装飾部は色とりどりのタイルを使用したモザイク模様が施されている。市内近代建築で唯一のインド関係遺構で、市の歴史的建造物に認定されている。

 ただ、中心に据え置かれたインド式水飲み場は、長年水が出ずに枯れた状態が続いていた。昨年9月の台風15号では、あずまやの青銅ドームの一部が損壊。市は本年度から、経年劣化し損傷した箇所の調査と耐震化に向けた検討を始め、3年越しで修復することにしている。

 横浜インド商組合の流れをくむ公益財団法人在日インド商工協会(同市中区)の代表、ジャグモハン・スワミダス・チャンドラニさん(67)は「インド水塔は横浜とインドの交流の歴史の象徴であり、私たちの心のよりどころ。修復してもらえるのはうれしく、感謝の気持ちでいっぱい」と話し、喜びを隠さない。

 インド水塔前では毎年9月1日、日印両国の関係者が集い、発生時間の正午前に黙とうをささげている。日印交流団体「ディカバーインディアクラブ」(同区)代表で両国の交流に長年携わる金子延康さん(66)は、「式典は震災で犠牲になったインド人への追悼と鎮魂の思いを込めている」と説明。関東大震災のがれきで埋め立てられた山下公園の歴史を踏まえ、被災者に思いを寄せているという。

 今年はコロナ禍で式典の規模を縮小するが、金子さんの思いは尽きない。「近年はインド出身のIT技術者らが横浜で活躍している。インド水塔を後世に残し、インドと横浜の交流をさらに発展させたい」

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