アーチェリー 永峰沙織 「メダル取らないと終われない」 有言実行の晴れ舞台

【連載】日の丸を背負って 長崎のオリンピアン

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「母校の後輩と一緒に五輪へ出られたら最高」と語る永峰=佐世保市、長崎国際大アーチェリー場

 アーチェリー女子の永峰沙織は、23歳で2016年リオデジャネイロ五輪に出場した。長崎国際大入学式の新入生代表あいさつで宣言していた夢の場所。有言実行で射止めた舞台は「空気感が違った。世界中のいろんな競技の人がいて、全世界を回ったような気分。より一層日本を背負っている感じがした」。
 結果はチーム最年少で臨んだ団体で8位入賞。個人は地元ブラジル代表と初戦で当たり、大ブーイングを浴びて敗れた。「自分のリズムで撃てず、そこまで達成感はなかった。メダルを取らないと終われないっていう感覚が強かった」。帰国後に「東京でメダルを取るための4年間にして、華々しく終わろう」というプランを思い浮かべた。

■けがとの闘い
 それからしばらくは順調だった。16年秋の岩手国体で団体、個人の2冠を達成。続く全日本選手権も制した。だが、約2カ月後、指の握り方を変えてみたら、右手の中指と人さし指の間の神経を痛めた。慣れない動きで負荷がかかったのか。翌朝、痛みで目が覚めた。右手は黒くなっていた。
 無理をして試合には出続けたが「何をしてもうまくいかないモード」。シューティングラインをまたぐだけで、吐き気や息切れがした。淡々と撃って、射場を逃げるように立ち去る日々。「そんなことをしている自分と一番良かった記憶とのギャップが激しすぎて…。こんな状態で続けている意味あるのかなって思った」。18年9月から約1カ月、休みをもらって佐世保市の実家に戻った。
 この“リハビリ”が初心を思い出させてくれた。母校の佐世保商高で恩師の佐渡彰一や、仲間たちと過ごすうちに前向きになれた。「うまくいかなくても、結局アーチェリーが好きなんだ」。所属するミキハウスも「目指すと決めたところを目指せる場所を選ぶのも選手の仕事」と背中を押してくれた。19年5月から活動の拠点を地元に移した。

■もう一度挑戦
 現在は長崎国際大でコーチを兼任しながら、2024年パリ五輪を目指して自らを磨き続けている。東京五輪出場を逃した後、もう一度出たいかと自問してみたとき。「やっぱりメダルが取れなかったリオでは…。あれで五輪に出たと言いたくないと思った」のが理由の一つだ。
 もう一つ、再挑戦を決意させてくれたのが、まだ悩んでいたころに引き受けた小中高生向けの講演会、実技指導。自分のアドバイスを子どもたちが吸収、成長していく姿が何ともうれしかった。「自分がやってきたことは誰かのためになるのかな」。選手もコーチも、やりたいことを全力で頑張ろうと決めた。
 コーチ兼任の五輪出場なんて、周囲からは「いばらの道」とも言われる。「だからこそトライしてみたい。一緒に国際大会を戦える後輩が出てきたら楽しいし」。地元で輝きを取り戻してきた27歳のオリンピアンは今、選手として、コーチとして、リオの夢の続きを追い掛けている。
=敬称略=

 【略歴】ながみね・さおり 佐世保市出身。佐世保商高1年でアーチェリーを始め、2年のインターハイ女子団体3位入賞。翌年は個人で県勢女子初の日本一に輝いた。長崎国際大1年で全日本選手権初優勝。2014年長崎国体は県勢成年女子の初Vに貢献した。15年にW杯団体優勝、世界選手権団体4位。16年にリオデジャネイロ五輪団体8位、全日本選手権V、岩手国体で団体、個人の2冠を達成。ミキハウス所属。27歳。