「史上最高のアルゼンチン人選手」TOP10

これまで多くの名選手を生み出してきたアルゼンチン。南米屈指のサッカー強豪国として知られ、そのタレント育成力には定評がある。

今回は『Sportskeeda』から「史上最高のアルゼンチン人サッカー選手TOP10」をご紹介する。

10位:ハビエル・マスケラーノ

マスケラーノは、鮮やかなテクニックやマジックに大きく注目が集まりがちなサッカー界ではユニークなスターだ。

「El Jefecito」(小さなボス)という愛称を付けられた彼は、ピッチ上で部隊を編成して鼓舞する。代表チームでもクラブチームでも大きな貢献を見せていた。

論争に悩まされたウェストハムでの謎のデビューのあと、リヴァプールでラファエル・ベニテス監督の重要な尖兵として活躍。その後バルセロナへと移籍しセンターバックとして新たな役割を開拓し、強烈なリーダーシップで多くのタイトルに導いている。

9位:ウバルド・フィジョル

ゴールキーパーがサッカーの歴史上で話題を集めることは多くはない。ウバルド・フィジョルはそのように称賛されることを忘れられる名選手の一人だ。

おそらくアルゼンチンサッカーの歴史上最高のショットストッパーであり、最初のワールドカップ優勝において極めて重要な役割を果たした。

代表だけではなくリーベル・プレートのレジェンドでもあり、1977年にはGKながら年間最優秀選手賞をも獲得している。彼のような選手が現代に存在すれば、アルゼンチン代表は何度も世界の頂点に立てたかもしれない。

8位:ハビエル・サネッティ

サネッティは、今日移籍が多くなっているサッカー界の中で失われつつある「クラブの象徴」であった選手だ。インテルで長くプレーし、そのエンブレムが胸に刻みこまれたような存在だった。

アルゼンチン代表でも143試合に出場し、その多用性と知性において大きな存在感を見せた。どちらのサイドでも、最終ラインでも中盤でもその力を発揮できた。

ところが、彼は2006年と2010年のワールドカップには参加していない。それはアルゼンチンサッカーの歴史上でももっとも大きな失敗であろう。

7位:ガブリエル・バティストゥータ

彼の右足から生み出される純粋なパワーシュートは「バティゴール」として愛された。それが彼をサッカーの歴史上でも最も恐ろしいストライカーの一人にした。

フィオレンティーナではマヌエル・ルイ・コスタとの素晴らしいコンビネーションでゴールを量産し、ローマでもスクデット獲得に貢献。全盛期のイタリア・セリエAでプレーした数々の名DFを恐怖に陥れた。

アルゼンチン代表でも77試合で54ゴールという驚異的な結果を残している。また2つのワールドカップでハットトリックを決めた歴史上初の選手でもある。

6位:オマール・シボリ

2005年に69歳で死去したシボリ。50~60年代に活躍し、この世代で最も神秘的なドリブラーの一人として広く認められている。アルゼンチン代表、そしてイタリア代表としてもプレーした。

リーベル・プレートではアントニオ・アンヘリーノとウンベルト・マスキオとの「死のトリオ」と呼ばれた恐怖の攻撃陣を形成した。

アルゼンチンのスタイリッシュなサッカー革命の最前線で活躍し、1957年のコパ・アメリカを制覇。1972年には代表監督にも就任している。

5位:ダニエル・パサレラ

パサレラは間違いなくアルゼンチンの歴史上最も優れたディフェンダーである。1978年に初めてワールドカップを掲げた代表チームの中心となった人物であり、国で崇拝されている存在である。

彼はハードでタフなタックラーであり、攻撃陣が強烈なチームを後方から支え、リスクを掃除し続けた。また優れたゴールゲッターでもあり、451試合で134ゴールを決めている。

クラブレベルでもリーベル・プレート、フィオレンティーナ、インテルなどで成功を収めた。監督としても様々なチームを指揮したが、アルゼンチン代表では1998W杯でベスト8に終わり解任されている。

4位:マリオ・ケンペス

ケンペスはこのリストの他の選手ほどビッグクラブにいたわけではない。しかしアルゼンチン代表の運命を変えたとも言える伝説的なストライカーだ。

「エル・マタドール」は1978年のワールドカップで6ゴールを決めた点取り屋であり、アルゼンチンサッカーの歴史上でも最も重要な人物の一人である。

リーガではバレンシアで長くプレーし、2回の得点王を獲得。クラブとしてのタイトルは多くないものの、個人としては実りあるキャリアを送っている。

3位:アルフレド・ディ・ステファノ

レアル・マドリーはサッカーの歴史上でも最高クラスの選手を保持してきたが、その中でもアルフレド・ディ・ステファノの右に出る者はいない。1950年代後半、彼の並外れたスキルは当時のディフェンダーにとって全く止められるものではなかった。

生まれたのはアルゼンチンだったが27歳でスペインへと渡り、フェレンツ・プスカシュらとともにレアル・マドリーをチャンピオンズカップ5連覇という快挙に導いている。

ビッグマッチにも強さを見せ、2回のバロンドールに輝いた。レアル・マドリー史上、そして世界最高の選手の一人である。

2位:ディエゴ・マラドーナ

サッカーの歴史上最高の選手を選べとなれば、必ずトップ3には入ってくるであろう。私生活には問題もあったが、ピッチ上で見せる輝かしいプレーの数々が全てを覆い隠した。

その美しくパワフルなプレーは、1986年のワールドカップで世界を驚かせたチームの大黒柱であった。イングランド相手に決めた5人抜きゴールと神の手ゴールは今なお語り草となる瞬間だった。

今日までディエゴ・マラドーナは宇宙規模の存在であると認識されており、未だにその言動がサッカーファンを楽しませている。

1位:リオネル・メッシ

アルゼンチンの伝説であるディエゴ・マラドーナの存在感は圧倒的であるが、驚くべき一貫性を持っていたという点ではリオネル・メッシが上を行く。

彼はサッカーの歴史上最も素晴らしい選手であり、その数字も世界最高である。ほぼ毎試合ゴールを決められる彼の能力は驚くべきものだ。

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そしてクリスティアーノ・ロナウドを上回る6回のバロンドールを獲得しており、最もきらびやかな称号をコレクションした選手でもある。まだ33歳という年齢であり、まだこの数年間でキャビネットに飾るものを増やせるだろう。

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