「サッカーコラム」セビリアで聞いた忘れられない手拍子

拍手のみのJリーグ応援にも意味を持たせては

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試合開始前、豪雨災害の犠牲者を悼み黙とうするサッカーJ1大分、神戸イレブンとスタンドのサポーター。サポーターは間隔を空けて座るなど、スタンドの風景も昨季までとは変化している=7月11日、大分市の昭和電工ドーム大分

 スタジアムから歌声が消えてから、半年以上がたつ。選手たちの話を聞くと、スタンドを埋めたサポーターたちが自分に向けて発する「チャント」ほどエネルギーになるものはないらしい。もう走れない。そう思っていても、その声がもう頑張りをしようという気にさせてくれる。届きそうもないボールに足が伸びるというのだ。

 Jリーグが始まった当時、スタジアムに歌はなかった。あったのは、日本リーグ時代から引き継がれたチアホーンと呼ばれるラッパの「プァーン」という音だった。ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で一躍有名になったブブゼラのように“凶暴”な音量こそないが、近隣の迷惑になるからとのことで、禁止された。

 日本リーグ時代に認められていたのものが、Jリーグになってなぜ禁止されたのか。答えは簡単だ。観客が圧倒的に増えたことに伴い、チアホーンの数も増え、うるさくなったからだ。日本リーグ時代はそれほど観客が少なかった。少なくとも集客が見込めるのは、読売クラブ(現在のJ2東京V)と日産自動車(同J1横浜M)くらいだった。

 チアホーンを取り上げられたファンたちは、これに替わる応援方法を模索した。それが、声による応援。真っ先に取り入れられたのは、日本代表の試合だった。「オレ・オレ」を繰り返すものから始まり、海外の応援歌に日本語の歌詞をつけて歌うようになった。

 時間を経た今ではJリーグに限らず、多くのチームが応援歌を持っている。さらに個人向けのチャントも数多く存在する。サッカーの試合はその歌も含めて成立してた。そのことを考えると、現在行われているJリーグはエンターテインメントとしては不完全なものということになるのだろう。

 新型コロナウイルスの感染を防ぐために、現時点でJリーグは声を出す応援を禁じている。許されているのは、拍手のみだ。歌うこと、そしてジャンプすることで応援する気持ちを表現してきたコアなサポーターたちには、フラストレーションをためている人も多いのではないだろうか。

 そこで提案だ。拍手にさまざまな意味を持たせ、それを選手と共有するというのはどうだろうか。

 拍手だけの応援で、とても感動させられた経験がある。1993年、スペインのセビリア。伝説の選手マラドーナを見るために訪れた時のことだ。

 同地を本拠とするスペイン1部リーグセビリアのホームスタジアム「サンチェス・ピスファン」は、街の中心部にある。われわれの年代にとっては印象の強いスタジアムだ。82年に行われたW杯スペイン大会。準決勝の舞台がここだった。西ドイツ(現ドイツ)対フランスの試合は、1―1から延長戦に入り、フランスが2点を追加した。しかし、西ドイツは驚異的な粘りを見せ、3―3の同点に追いついた。そして、歴史に残る熱戦の決着は、W杯史上初めてのPK戦にもつれ込んだ。

 ドイツはバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)の現会長カール=ハインツ・ルンメニゲ。フランスは、欧州サッカー連盟(UEFA)の前会長ミシェル・プラティニ。ともにサッカー史に残る名選手がキャプテンを務めていた。PK勝負は、西ドイツが5―4で勝利をおさめた。以降、ドイツはW杯におけるPK戦で4戦全勝を誇っている。

 現在は改修されたというが、思い入れ一杯に訪れたスタジアムは想像していたものと違いボロかった。印象に残っていることはほとんどない。チケット売り場に並んでいたら、ポケットのなかに物盗りの少年が手を入れてきたことと、日本では考えられないようなピッチの形状だ。ピッチとそれを囲む堀が異常に近く、CKはワンステップで蹴らなければならない。堀に落ちてしまうので助走するスペースがまったくないのだ。

 試合内容もつまらなかったのだろう。ボーっとしていたような感じがする。そのなかで耳に残ったリズムがある。

 「タン・タン・タン、タン・タン・タン、タン・タン・タン、タン・タン・タン」

 前夜、訪れたフラメンコ舞踊の行われるタブラオ(酒場)で聞いた、12拍子のリズムだ。そういえばアンダルシア地方の中心都市であるセビリアはフラメンコの本場だという。

 他のサッカー場で聞かれるような歌声は響いていなかった気がする。ただ、CKやFKなどのチャンスになると、観客席全体から自然発生的にフラメンコと同じリズムの拍手が鳴り響いてくる。1拍目に強めのアクセントがある拍手が最初はゆっくり、そしてキックの瞬間に向けて激しくテンポを上げる。

 現状では拍手しか表現法がないJリーグを見ていると、拍手に意思を持たせられるのではないかと考える。30年近く前の体験にもかかわらず、強く記憶に残っているのだ。きっと各クラブに合ったリズムがあるはずだ。

 ちなみに試合には、お目当てのマラドーナは出なかった。翌94年に開催されたW杯米国大会で見られるはずだったが、直前にドーピング違反で大会を追放されていた。今振り返っても、つくづく運がない。次に本物に出会ったのは2006年。W杯ドイツ大会だったが、そこで見たディエゴは“太った”テレビ解説者だった。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。