『やってくる』郡司ペギオ幸夫著 知覚できないが存在する何か

 冒頭から著者の奇怪な体験談が次々紹介される。学生時代、布団の下に散らばっていた干しぶどうを食べたら昆虫の幼虫だった。知らない人を友人と思ってずっと話しかけていた。研究室に置き忘れた自分のパソコンをどうしても自分のものとは思えなかった……。

 それら、頭で理解することと心や体で感じたことがズレた体験について、複雑で精緻な分析が本人のイラスト入りで展開される。少しややこしいが要約してみる。

 こうした認識と感覚のギャップは単なる誤解や誤認ではない。両者は矛盾したまま併存している。パソコンの例で言えば、自分のものと認識しているのに自分のものとは感じられない。このときギャップをめがけて予想外の「何か」が強いリアリティーを伴って外部からやってくる。すなわち「誰かが自分のパソコンと全く同じパソコンを作って研究室に置いた」という「陰謀説」。

 こうした未知の外部を呼び込む知性を著者は「天然知能」と呼び、外部を排除して数値化と標準化で世界を制御可能とみなす「人工知能」と峻別する。

 天然知能は「知覚できないが存在する何か」を呼び込む。例えば「いま・ここ」という感覚、芸術的直感、生命の尊厳、死の感覚、原始的な神。自分の外側を受け入れる天然知能だけが世界を刷新する創造性を持ち、自分らしく生きることを可能にする。今、天然知能を全面展開せよ――。

 ところで緻密な論理を冷静に繰り広げてきた著者は、本書半ばで突如、天然知能的存在としてプリンスやボーイズ・タウン・ギャング、アース・ウインド・アンド・ファイアーら「ダサカッコワルイ」ミュージシャンについて熱狂的に語りだす。

 それまでの客観的分析と極私的論評とのギャップ。その隙間めがけてやってくるのは、著者のポップでファンキーな感性だ。おお、これぞ天然知能の顕現ではないか。

(医学書院 2000円+税)=片岡義博

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