新型コロナウイルスはねつ造? インフォデミックに振り回されないために

 世界中を翻弄(ほんろう)しつづけている新型コロナウイルス。なぜ人によって症状が違うのか、どう治療すれば良いのか、ワクチンは安全で有効なのか。今も不明な点が多いが、ネット上にはデマやうわさなど、出所不明の情報が氾濫し続けている。米国では「新型コロナウイルスなど存在しない」という偽情報を信じて罹患(りかん)し、命を落とした人もいる。雑多な情報が社会に混乱を及ぼす「インフォデミック」の中で、医療情報にどう向き合えばよいのか。「健康・医療情報の見極め方・向き合い方」を出版した島根大学医学部付属病院の大野智教授とともに考えてみた。(テキサス州在住ジャーナリスト=片瀬ケイ)

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(米国立アレルギー感染症研究所提供)

 ▽人の頭はだまされやすい

 すでに600万人を超える新型コロナ感染者と19万人近い死者を出した米国。筆者の住むテキサス州も、この夏、爆発的な感染拡大に見舞われた。新型肺炎の患者が次々と運び込まれた病院の医師は、「二つの戦線がある。新型肺炎との闘いと、デマとの闘いだ」と地元メディアに語った。

 実際、テキサス州では7月、「コロナは捏造(ねつぞう)だ」というネット情報を信じた30歳の若者が、実際に感染するかどうかを試す「COVIDパーティー」に参加して、新型肺炎に罹患。入院先で「デマだと思っていたが、自分は間違っていた」と言い残して息を引き取った。

 オンライン市民活動団体のAvaazがネット上の医療デマ情報の拡散について調査したところ、新型コロナがパンデミックとして拡大した今年4月、フェイスブックを通して偽情報を流すウェブサイトが世界で推計4・6億回も閲覧された。これは世界保健機関(WHO)や米疾病対策センター(CDC)など、信頼できる10の発信元ウェブサイトの閲覧回数の4倍だという。

 米国では「新型コロナは夏になれば自然に消滅する」「強い紫外線の照射や、消毒剤を体内に注入によって、ウイルスを即座に殺せるだろう」といったトランプ大統領発のトンデモ情報も、瞬く間に拡散された。

米国のトランプ大統領

 一方で、医療現場のマスク不足を懸念して、症状のない人はマスク不要と主張していた公衆衛生の専門家も、感染者の約40%が無症状であることがわかってから、マスク着用を推奨しはじめた。その結果、「専門家も言うことが変わって、信用できない」という反発を招いてしまった。

 偽情報を目にする機会が圧倒的に多いとはいえ、常識では考えられないような情報になぜ惑わされてしまうのか。ヘルス・リテラシーに詳しい大野智・島根大学医学部付属病院教授はこう説明し、注意を促した。

 「人は誰しも未知の物、それによって脅かされるかもしれない未来といった不確実な物事や出来事に対して恐怖や不安を抱きます。こうした不安や不満、怒りなどで感情が揺さぶられているときは、人の頭は冷静に情報を見極め判断することが難しくなり、陰謀論なども流布されやすくなります」

 「また専門家の発言が二転三転したり、複数の専門家が相反する発言をしている場合、リスクが過大視されやすくなることも指摘されています。インフォデミックとも言われる大量の情報が氾濫している時、目にしたり耳にしたりした情報に反射的に反応するのではなく、いったん立ち止まる勇気を持つことが重要です。場合によっては、情報の断捨離、断食が必要な場面もあるかもしれません」

 ▽効いた人がいるなら、使える薬?

 トランプ大統領は8月28日、新型肺炎から回復した人の血漿(けっしょう)を使った治療を「歴史的にも画期的な治療法」と呼び、食品医薬品局(FDA)による緊急使用許可を大々的に発表した。しかしこの回復期血漿治療は、新型肺炎による入院初期の患者で死亡率が下がったという観察データはあるものの、比較試験で確固たる有効性が示されたわけではない。

 「良いニュースの発表を望んだトランプ政権がFDAに圧力をかけたのではないか」とささやかれる中で、9月1日、国立衛生研究所(NIH)は「ランダム化比較試験をしていない現状では、回復期血漿治療が安全で有効だと証明するデータは不十分」という声明を発表。大統領の「画期的な治療法」という見方を打ち消した。

 トランプ大統領は以前にも「薬が効いたという報告がある」として、抗マラリア薬のヒドロクロロキンを新型コロナの治療や予防に使うことを推奨した。こちらもランダム化比較試験では有用性が認められず、逆に心臓への影響が多数報告されたため、FDAが緊急使用許可を取り消した経緯がある。

 しかし現実にその薬が効いた人がいると耳にすれば「数例でも事実なのだから、科学的な根拠だ」と考える人も多いだろう。実際、トランプ大統領の「専門家は比較試験を持ち出しては、有望な薬を試してみる権利を患者から奪うのか?」という主張に同意する人は少なくない。

 こうした疑問について大野教授は、「『薬を投与した』、『治った』、『だから効いた』は語尾の三つの「た」から「3た論法」と言われています。一見すると信ぴょう性がありそうですが、このような症例報告による情報は、治療をしなかった場合にどうなったのか分からないという限界があります。もしかすると治療をしなくとも治ったのかもしれません。逆に治療をしたことで悪影響がでた可能性も否定できません。治療の効果を厳密に評価するためには、治療をした場合としなかった場合とで、効果の違いを調べる比較試験を実施する必要があるのです」と説明する。

 医療専門家こそ患者を助けるために、一刻も早く新型肺炎に対する有効な治療法が欲しいと思っているはず。治療を受ける権利を専門家が妨げていると疑心暗鬼にならず、治療法に疑問があれば医師に説明を求めることが重要だろう。

米モデルナが開発中の新型コロナウイルス感染症のワクチン(AP=共同)

 ▽新型コロナワクチンの安全性は

 米国では「ワープ・スピード作戦」のもと、来年の初めまでに、安全かつ有効性な新型コロナのワクチンを入手すべく、政府がワクチン開発を強力に後押ししている。すでに三つのワクチン候補で、3万人規模が参加する最終段階の治験が始まっている。日本でも来年前半には、国民全員分のワクチンを調達すべく、政府が調整に動いているようだ。

 しかしこうしたニュースに対し、米国でも日本でも、拙速なワクチン開発や安全性に不安を感じる人は多い。FDAは市民の信頼を得るべく、「臨床試験および審査基準は他のワクチンと同様に厳格かつ透明性をもって行う」と繰り返し表明している。しかし現時点では35%の米国市民が、有効性と安全性が承認されたワクチンが出来ても使いたくないという。

 大野教授は、「病気の『予防』は『治療』と違って健康な人が対象なので、本人に効果が実感されにくい点があるかもしれません。一方で副作用は頻度としては少ないもののリスクとして強調されてしまい、『頭でわかっていても、怖い』と思いがちです。ワクチンの効果は社会全体から見て感染症にかかる人の割合や重症化する人の割合を減らすというもの。残念ながらワクチンを打っても感染症にかかる人や重症化する人がゼロになるわけではありません。このような医療の不確実性を理解し、ゼロリスク信仰のわなに陥らないように気をつけてもらえたら」と話す。

 ワクチンの最終治験では、数万人の参加者で試して重篤な副作用が出ないことを前提に、一定以上の有効性が認められてはじめて認可がおりる。確かにワクチンを使わなければ副作用の可能性も回避できるが、新型コロナに感染しないよう行動範囲を狭めた生活を続けなければならない。不可能な『ゼロリスク』や『絶対的な効果』を求めず、信頼できる情報をもとに落ち着いてリスクと利益を考えることが、ヘルスリテラシーと言えそうだ。

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大野智島根大医学部付属病院臨床研究センター教授

大野智(おおの・さとし) 島根大学医学部付属病院臨床研究センター教授。医師・医学博士。厚生労働省「『統合医療』情報発信サイト」の作成担当および、日本緩和医療学会ガイドライン統括委員(補完代替療法分野)も務める。著書に『健康・医療情報の見極め方・向き合い方―健康・医療情報に関わる賢い選択のために知っておきたいコツ教えます』(大修館書店)

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