【評伝】ハウステンボス創業者・神近さん 壮大な夢、観光の礎に

 「アジアにおける国際的観光拠点都市」「エコロジーとエコノミーが共存し、テクノロジーが支える未来都市」-。神近義邦氏が見た夢から生まれたハウステンボス(HTB)はいっとき、ディズニーランドと東西で並び称されるテーマパークだった。だがバブル崩壊や円高騰、デフレを背景に初期投資の債務負担に耐えられず、開業から8年で神近氏は去り、その3年後に経営破綻した。
 その後も紆余(うよ)曲折を経たHTBについて見解を求めても、神近氏は「過去の人間だから」と応じなかった。ただ元知事の高田勇氏(故人)の証言録取材で申し込むと「世話になった」と過去を振り返ってくれた。
 貧乏で役場勤めと農業の二足のわらじをはき、町長と対立して辞めた。東京・永田町の名門料亭を立て直し、企業買収で成長した実業家にビジネスをたたき込まれた。帰郷後、農地活用策として長崎バイオパークを開業。「人と自然の調和」を目指し、柵のない動物園は当時まだ珍しかった。
 地中海クルーズを楽しむ最中、オランダ人乗組員から日蘭交流史を聞くうち、帆船が浮かぶ古里の大村湾を想像し“現代の出島”をつくる構想が芽生えた。同じ大村湾に思い入れのある池田武邦氏とも出会い、長崎自動車社長の松田皜一氏(故人)の個人保証で資金を確保。17世紀最大の木造帆船プリンス・ウィレム号を復元し、オランダ村は全国区となった。
 ただ交通渋滞が深刻化。売れずに荒れた工業団地を駐車場にと県から打診されると、神近氏は未来都市構想を練り始めた。城や運河、チューリップ畑-。未明に目が覚め、包装紙の裏に書き留めた絵を図面化し、高田知事に見せた。こうして「千年の時を刻む街」は胎動を始めた。
 「財界の鞍馬天狗」と称された日本興業銀行頭取の中山素平氏(故人)ら幅広い人脈を駆使。オランダの宮殿を忠実に再現した本物志向、マイケル・ジャクソンをも魅了した最先端アミューズメント、海水淡水化や生活排水の高度処理などは、神近氏の先進的な理念と類いまれな個性、突破力があってこそ為(な)し得た。経済至上主義を克服するという壮大な夢こそ潰(つい)えたが、本県観光の基幹産業化の土台を築いた功績は大きい。

 


© 株式会社長崎新聞社