神近義邦さん 型破りな発想と行動力 死去に敬意と悼む声 

ハウステンボスへの思いなどを語る神近さん=1992年7月、ハウステンボス

 型破りな発想と行動力で長崎バイオパークや長崎オランダ村、ハウステンボス(HTB)を生み出し、観光県・長崎をリードした立役者が逝った。HTB創業者、神近義邦さんの訃報を受け、関係者から悼む声が聞かれた。
 元HTB専務の高田征一さん(75)=大村市=は4日、「危篤」の知らせを受け病院に駆け付けた。二人三脚でオランダ村やHTBを仕掛けた盟友。「ずばぬけたチャレンジ精神で既存の観光の枠にとらわれず、常識を打ち破ってきた人だった」としのんだ。
 経営責任を取り辞任した後も、HTBが見える場所で暮らした神近氏。「毎日眺めていたはず。口には出さなくとも、迷惑をかけたという気持ちもあったろうし、複雑だったのではないか」と心中を思いやった。
 長崎バイオパークの運営会社社長、山口智士さん(61)は開園3年目に飼育係として入社。当時の社長が神近氏。「並の人には思い付かないアイデアとそれを実現させる情熱に圧倒された」と振り返る。
 最近まで親交があり、2018年には経営勉強会でオランダの視察旅行に同行。福祉や医療、農業の現場を見て回った。「先進的なものを探求する姿勢は一線を退いた後も変わらなかった」と敬意を示した。
 日本を代表する建築家でHTBの設計に携わった元HTB会長、池田武邦さん(96)=東京都東久留米市=は「正義感が強くて男らしかった。彼の天才的な能力を結集したのがハウステンボス。惜しい人物をなくした」と声を落とした。

 


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