「グアルディオラと揉めまくった」スター選手5名

現在マンチェスター・シティを率いているジョゼップ・グアルディオラ監督。これまでバルセロナ、バイエルン・ミュンヘンを指揮し、攻撃的な独特のサッカーで多くのトロフィーを集めてきた。

今回はそんな世界最高クラスの指揮官グアルディオラと「ひと悶着あった」5名の選手を『Sportskeeda』からご紹介する。

ジョー・ハート

マンチェスター・シティの中で、そしてイングランド代表のメンバーの中で、ジョー・ハートは最も重要な選手の一人だった。優れた反射神経を備えたショットストッパーで、クラブのレジェンドになる道を歩んでいた。

しかしグアルディオラの登場により、彼のキャリアには暗雲が立ち込めた。指揮官のスタイルはゴールキーパーにも足元でボールを持つことを要求しており、それにハートは合致しなかった。

「グアルディオラは将来のために何が必要かを考えていて、それは僕ではなかった。自分はそれに長い間引きずられていた」とハートは後に語っている。

ローン移籍を経て2018年にシティを去ったハートはバーンリーでサブキーパーとなり、今季はトッテナム・ホットスパーへと加入している。

マリオ・ゲッツェ

ドイツ生まれの天才ゲッツェのキャリアは、並外れた頂点と驚くべき谷底を描いている。2010年に10代でボルシア・ドルトムントのトップチームに昇格し、リオネル・メッシのような新星だと伝えられた。

そして2013年にはバイエルン・ミュンヘンへと移籍し、ジョゼップ・グアルディオラ監督の下で数年間を過ごした。ブンデスリーガを支配したチームの中で、彼はその栄光を享受することが出来なかった。ケガにも悩まされ、指揮官からは戦力として見做されない時間が長くなった。

ユルゲン・クロップとジョゼップ・グアルディオラ、この両監督の下でプレーしたゲッツェ。彼にとってはクロップこそが「合っていた」指揮官だったのだろう。

サミュエル・エトー

バルセロナでロナウジーニョらとともに多くの成功を収めたエトー。2008年から始まったジョゼップ・グアルディオラによる革命で「犠牲者」となってしまった選手の一人になった。

中心的な役割を任されていた彼であるが、グアルディオラとはうまく行かなかった。監督が到着したときに放出されたロナウジーニョやデコと同様、その1年後にインテルへと売却されている。

そしてイタリアへと渡ったエトーはジョゼ・モウリーニョの下で再びチャンピオンズリーグを制覇。2年連続で欧州の頂点に立っている。

ヤヤ・トゥレ

グアルディオラにはこれまで様々な批判が行なわれてきたが、ヤヤ・トゥレらの主張は最も深刻なものだ。コートジボワール代表のMFはバルセロナとマンチェスター・シティで彼の指導を受けたが、どちらでもうまく行かなかった。

バルセロナではチャビやイニエスタの存在が彼のプレーを妨げたと言えるが、マンチェスター・シティではほぼ絶対的な存在であった。そこから徐々に関係はこじれ、後にはヤヤ・トゥレ側は「誕生日を祝われなかった」としてリスペクトが足りないと指摘する事件も。

グアルディオラ監督は「戦術的な理由以外で差別したことは一度もない」と話していたが、ヤヤ・トゥレと代理人ディミトリ・セルクにとっては不倶戴天の敵になってしまったようだ。

ズラタン・イブラヒモヴィッチ

イブラヒモヴィッチは物議を醸すような発言を厭わない男だ。2009年にジョゼップ・グアルディオラ率いるバルセロナに加入した彼は、すぐさま成功を収めた…かに思えたが、リオネル・メッシの急激な台頭で絶対的な立場を失った。

2010年にCLでインテルに敗れたあとのエピソードとして、イブラヒモヴィッチは自伝にこう書いた。「オレは『お前はボールを触っていない!地獄に落ちろ!』とグアルディオラに怒鳴った。彼が何らかの応答をすることを期待したが、棘のない臆病者だった」

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イブラヒモヴィッチは間違いなくグアルディオラの「敵」として注目される存在だ。そしてどちらもキャビネットに多くのトロフィーを飾っている。

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