病気乗り越えた川崎宗則が「ビビリでも挑戦」する訳 盟友・西岡が明かす人間性

会見に臨んだBC栃木・川崎宗則(左)と西岡剛【写真:小西亮】

2011年に海を渡った西岡の姿に「すごいチャレンジ」と刺激を受けた川崎

ソーシャルディスタンスを十分に保った壇上の席で、チームメートになった2人は微笑み合う。ひとりが「運命」だと言えば、もうひとりは「奇跡」だと返した。独立リーグ「ルートインBCリーグ」の栃木ゴールデンブレーブスに新天地を求めた川崎宗則内野手。7日に栃木県小山市内で開いた入団会見には、同タイミングで栃木との契約を更新した西岡剛内野手も参加した。かつて侍ジャパンの二遊間を組んだ名コンビ。今ここで同じユニホームを着る意味を、川崎は2人の「共通点」で言い表した。

「挑戦することをやめない。そこが剛と僕の共通点だと思うんですね。怖いけど挑戦しないといけない。2人ともすごい超ビビリなんですよ、実は」

新たな世界に挑み続けてきたプロ野球人生。会見で川崎が引き合いに出したのは、世界での戦いだった。2006年のWBC。2人はバスの座席がいつも隣で「試合前は震えながら球場に向かっていたんですよ」と笑って振り返る。まだ20代前半の若造が、異国の地で重たい日の丸を背負う。デレク・ジーターら超一流のメジャーリーガーと同じグラウンドに立ち「怖い」と思った。「二塁ベースのところで肩を寄せ合って『すげーな、すげーな』ってよく言ってたね」。かつて2人で語り合った際、そんな思い出話をしたこともあった。

極限の戦いで世界一をつかんだ経験は、さらなる高みへと上っていく礎になった。ともにメジャーリーグに挑戦。1年早く2011年に海を渡ったのは西岡だった。その前年には内野手として初のシーズン200安打を達成し、ロッテの日本一に貢献した中での決断。川崎は「ロッテからすごい契約がある中で、アメリカに行った。すごいチャレンジだなと思いました。僕はFAを取って行こうと思っていたんですけど」と、衝撃は大きかった。

「川崎さん以外に見たことがない」西岡が語る唯一無二の人間性

2017年に国内に戦いの場を移した川崎は、新たな壁にぶつかった。自律神経の病気で体調を崩し、2018年3月にソフトバンクを退団。野球自体から離れた時期もあった。1年あまりの時を経て、昨季は台湾プロ野球の味全ドラゴンズでプレー。コーチ兼任と言っても、自分より20歳近くも歳の離れた若手と同じ目線に立ち、誰よりも声を出してグラウンドを盛り上げた。「ムネさん、ジジイ」とイジられるのが楽しくて仕方ないように、生き生きと白球を追う。NPBでなく、わざわざ異国でユニホームを着続ける理由――。

「いくところまでいって、あとは自分のしたい人生。誰に文句を言われる必要もない。まだ好きなことを追いかけられるほど、幸せな人生はない」

挑戦こそが幸せ。その挑戦を探すコンパスが、偶然にも栃木を指し示した。歩みを止めない川崎は、唯一無二の存在だと西岡は言う。

「プロ野球選手も、原点をたどれば公園で野球をやった楽しさからスタートしている。でも、プロになり、それが仕事になり、苦痛な気持ちでグラウンドに立つ日も増えてきますし、楽しさを忘れがちになってしまうこともある。それはしょうがないことで、仕事を楽しむっていうのはすごく難しい部分ではある。ただ、それが仕事であっても公園であっても、ずっと楽しんで野球をできているのは、川崎さん以外に見たことがない」

楽しむために、怖くても、辛くても挑む。一見矛盾しているようなロジックが、川崎ならではの信念ではないか。西岡がNPB返り咲きを掲げれば「僕もプロ目指しますよ、台湾のね」と、来季以降に思いを膨らます。栃木でのデビューは13日。まばゆい世界をともに歩んできた盟友とともに、3年ぶりに復帰した国内で新たな挑戦と向き合う。(小西亮 / Ryo Konishi)

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