【戦後75年】戦没者の追悼について考える~2項対立の「靖国参拝問題」に終止符を打つために~

「靖国参拝問題」を考える

令和2年8月15日、日本は終戦から75年目の終戦記念日を迎えます。まず始めに、先の大戦でお亡くなりになられた全ての戦没者に対して哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。そして、私たちが平和な日々を当たり前のように送れているのは、先人の方々の尊い犠牲とご努力の上に成り立っていることを、改めて認識すべき時であると考えます。そこで、今回は右派と左派の政争の具にも使用されてしまっている「靖国参拝問題」を中心に、戦没者への追悼の在り方について、考えていきます。

「靖国参拝問題」とは

国策に殉じた御霊に対して尊崇の念を表し、祈りを捧げる静寂な場所であるはずの靖国神社ですが、右派と左派の政争の具にされ、中国や韓国などとの外交問題にまで発展しているのが現状です。そこで、まずは、戦後の「靖国参拝問題」の主な流れについて、年表形式で振り返ります。

1869:明治天皇の命により、招魂社(靖国神社の前身)が創建
1874:明治天皇が初めての御親拝
1879:社号が靖国神社に改められる
1975:三木武夫首相による戦後初の終戦記念日の参拝…「私人」として参拝
昭和天皇による最後の御親拝(上皇陛下・天皇陛下を含む)
1977:「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決…社会的慣習に基づく儀礼は政教分離に反せず
→公職者による私的参拝は合憲
1978:いわゆるA級戦犯の合祀
1985:藤波孝生官房長官の私的諮問機関が公式参拝は可能との報告書を発表
→中曽根康弘首相が公式参拝(供花料:公費支出)…中韓などからの反発
1986:後藤田正晴官房長官の談話…政府による公式参拝は控える
1997:「愛媛玉串料訴訟」の最高裁判決…玉串料の公費支出は違憲
2001:福田康夫官房長官の国立の追悼施設建設を念頭に置いた私的諮問機関が発足
2006:小泉純一郎首相による中曽根康弘首相以来の終戦記念日の参拝
2013:安倍晋三首相が参拝→以来(安倍)首相による参拝は途絶える

次に、上記の年表を基に、「靖国参拝問題」の本質を考えていきます。

一つ目は1975年以降に天皇による御親拝が途絶えている点です。このことに関しては、いわゆるA級戦犯を合祀したからであるという説が有力です。しかし、A級戦犯が合祀されたのは1978年のであって、御親拝が途絶えてから3年後である観点から、その説の根拠は不十分であると筆者は考えます。そして、御親拝が途絶える直前に着目すると、三木武夫首相が、「私人」として参拝されており、この時から「公人」か「私人」かの区別が論争の対象になったようです。よって、常に「公人」である昭和天皇が、「私人」として参拝することは出来ないため、御親拝を控るようになったという説の方が、整合性が取れていると筆者は考えます。

二つ目は公職者(首相等)による参拝が違憲か否かです。このことに関しては、「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決からすれば、参拝自体(私的か公式かは別問題)は合憲(政教分離に反せず)であると解釈するのが自然であると考えます。しかし、いわゆる公式参拝については、最高裁での判決は存在しないものの、多くの国賠訴訟において違憲判示があり、まさにグレーゾーンであると言えるのではないでしょうか。尚、玉串料を公費支出で納めることは、「愛媛玉串料訴訟」の最高裁判決において、違憲判決が出ているため、政教分離に抵触することは明白です。

三つ目はA級戦犯の分祀についてです。これは、中国や韓国などから反発を受ける理由はA級戦犯が合祀されたからであって、分祀をするべきであるという論です。このことに関しては、靖国神社が決めることであると筆者は考えます。それは、基は国立であれ、現在は独立した宗教法人であるからです。そして、靖国神社側の見解は、特定の神霊を分霊したとしても、基の霊は(靖国神社に)残り続ける、即ち分祀は出来ないというものです。よって、A級戦犯の分祀は現実的ではありません。また、たとえ不名誉なことをされた方であっても、戦争犠牲者であることには変わりないと筆者は考えます。実際、米国のアーリントン国立墓地において、奴隷制を擁護した南軍将兵が埋葬されているという例があります。

由緒から考える「靖国参拝問題」の解決策

これまで、「靖国参拝問題」について考えてきましたが、ここからは、解決策を模索していきたいと思います。そこで、まずは明治天皇が初めて御親拝された際に詠まれた御製から、靖国神社の創建の目的を再確認します。

「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」

これは、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建されたことを意味してると言えるでしょう。(靖國神社の由緒|靖國神社について|靖國神社より )つまり、靖国神社は「英霊」の為にあり、それは、国策によって殉じた英霊は、靖国神社に祀られ、天皇陛下による御親拝を受けるという約束のようなものであると筆者は考えます。

よって、靖国神社において重要なのは閣僚の参拝では無く、首相の参拝でも無く、外国元首の参拝でもありません。天皇陛下の御親拝なのです。そして、現在は「公人」か「私人」かの論争があることによって、天皇陛下は御親拝を控えられているのだと考えます。ただし、現在でも春と秋の例大祭に、勅使(天皇陛下の代理)を派遣されている為、天皇陛下と靖国神社の関係が途切れた訳では無く、「靖国参拝問題」が解決すれば、再び天皇陛下が御親拝される日が来る可能性は十二分に考えられると思います。ちなみに、天皇陛下が御親拝されることが政教分離に抵触するか否かですが、天皇は政治的権力を有していない為、それには当たらないと考えるのが自然です。

上記を踏まえ、「靖国参拝問題」は首相等の天皇陛下以外の公職者が参拝することによって、本来の目的である天皇陛下の御親拝が実現しないのであると筆者は考えます。しかし、国家として国策に殉じられた方々に対して慰霊・追悼する場所を設けるのは国家の責務です。よって、靖国神社の本来の目的を実現する為にも、国立の(無宗教)追悼施設を設置するべきではないでしょうか。

戦没者の追悼の在り方を考える

国立の追悼施設の設置は国家の責務

国立の追悼施設を設置に関する議論は、上記年表の「2001:福田康夫官房長官の国立の追悼施設建設を念頭に置いた私的諮問機関が発足」にも有るように、これまでも幾度となく議論されてきましたが、長い歴史を持つ靖国神社を蔑ろにすべきでない等の反対の声により、実現には至っていません。また、靖国神社を国立にするべきであるという論も登場しました。(実現には憲法20条改正が必要であると考える。)しかし、これらは、新たな国立の追悼施設を靖国神社の代わりとして捉えているからに過ぎず、現在靖国神社は国立ではない為、そのように捉えるのは自然ではありません。国立の施設と民間の施設は共存すると考えるべきではないでしょうか。

世界的な国立の追悼施設の前提は「無宗教」です。米国のアーリントン墓地も無宗教の国立の追悼施設です。ただし、ここで言う無宗教とは、単に無宗教という意味では無く、正確には多様な宗教を受け入れるという意味です。よって、日本で国立の追悼施設が設置された暁には、神道に基づく作法が主流になることは間違いないでしょう。

現在、日本には他国の大統領等の外国の首脳が、戦没者に対して慰霊を行う場所はありません。靖国神社に一度でも外国の首脳が訪れたでしょうか。これは、無宗教の国立の追悼施設が無いからに他ならないと筆者は考えます。戦勝国も、敗戦国も、非戦争参加国も戦没者に対して慰霊を行い、平和への決意を表することは当然のことではないでしょうか。そして、何よりも、誰もが参拝出来る追悼施設を設置することは、国家として当たり前のことであり、至上命令であると筆者は考えます。

心穏やかに祈りを捧げられる日を目指して

繰り返しになりますが、国策に殉じた御霊に対して尊崇の念を表し、祈りを捧げる静寂な場所であるはずの靖国神社は、右派と左派の政争の具にされ、中国や韓国などとの外交問題にまで発展し、とても心穏やかに祈りを捧げることが出来る場となっていないのが現状です。また、無宗教の国立の追悼施設が無いため、外国の首脳のみならず、神道とは異なる考えを持つ日本国民でさえも、戦没者に対して慰霊を行う国立の施設が存在しないのもまた現状です。

よって、靖国神社は天皇陛下が御親拝、もしくは勅使を派遣されることで、英霊を慰霊する場(勿論、国民も祈りを捧げることの出来る場としては変わらない)として今後も役割を果たし続ける一方、国家としては、首相や外国の首脳を含め、誰もが参拝することの出来る追悼施設を設置するべきです。そして、このことが実現すれば、「8月15日」は、誰もが心穏やかに祈りを捧げることの出来る日になると確信しています。

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