日本人って何だ?〜日本人のアイデンティティについて考える〜

日本人のアイデンティティについて考える

血統を重視する日本人

私が日本で生活して思うことは、日本人の「血統重視」である。こう書くと「海外はこうだ」という人がいると思うので先に断っておくが、本記事は比較がしたい訳ではないことを明確にしておく。私は海外生活経験もないし、海外に友人が多数いるという訳ではないので、私自身が感じたことを書かせてもらう。話を戻して、「血統重視」は、天皇はじめ、日本の多くの集団においても散見される。例えば、「君の父親は立派だから、君も立派だろう」と親の出自が個人に当てはめられるケースは多い。これは反対のケースもある。ある地方や高齢者の方々にはいまだに部落などの出自を気にする人もいる。それだけ血統に対する重みは大きい。

人口が減少する日本

少子高齢化が急速に進展した結果、2008年をピークに総人口が減少に転じており、現代では人口減少時代を迎えている。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によると、2050年には日本の総人口は1億人を下回ることが予測されており、日本の国力減少が目に見えている。この人口減少に対して「移民」について考えなければならない。移民を受け入れるかどうかは議論の余地があるが、移民政策を行った際に「日本人とは何か?」という問いがなされる。「日本人」とは「日本国籍」を持つものなのか、それとも日本人の「血統」を持つ者なのだろうか?

「日本人」になれない帰化人

日本に帰化し、日本国籍を持つ元外国人が「私は日本人だ」と語る。日本人は日本に帰化した外国人に「日本語がうまいですね」と話してしまう側面がある。当然相手側から見れば「日本国籍を持つ日本人なのに…」と思うことだろう。日本はアメリカと違い帰化する(できる)外国人はとても少ない。外見で判断してしまう日本人は多いだろう。当然、外国人をもてなすという意味で「日本語がうまいですね」と使う人も多いと思うが、これから多人種共生社会を築くことになれば、摩擦は必至。「日本人」を再定義する必要がある。

身体図式の拡張

身体図式とは、心理学、神経科学、哲学、ロボティクスで広く用いられ、心や意識の身体性を論じる上で用いられる概念である。例えば、人間はペンを持つことでペンの先まで意識を拡張できる。神経回路が繋がっていなくとも、道具を使い、人は身体を拡張することができる。意識を拡張することができるのは人ならではだそうだ。ここに国境を混ぜて考えてみる。人が日本という概念に拡張し、日本に意識を拡張する。日本が貶められた際に自分が貶められた気分になる人がいるように、コミュニティ、もしくは概念まで意識を拡張することができるのだ。

日本人とは何か考える必要がある

グローバル化が進み、数十年、数百年後、人種が雑多に入り混じる日本が予想される。日本人たらしめるのは「血統」か「思想」か。白人風、黒人風の日本人が現れるかもしれない。その時の日本人に「日本」はどう映るだろうか。日本人という誇りを持つためには、日本人とは何か考える必要があるだろう。

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