旅の記憶 中国・厦門(アモイ)コロンス島

 

コロンス島より愛をこめて

 今年の夏は移動するのもままならない。

 海外への旅など見果てぬ夢だ。

 せめて、バーチャルでもいいから遠くへ旅がしたい。

 私は、Googleマップのストリートビューを使って旅に出る。

 飛行機や汽車の時刻表に指を滑らせたり、どの宿がいいかなんて調べてみたりして妄想を広げていく。

 昨年12月、私は中国の福建省へ旅に出た。

 この連載でも「のら猫中国福州をゆく~琉球王国の交易をたどって~」でリポートした(1月20日、2月20日、3月9日の記事参照)。

 そのとき立ち寄った厦門。

 かつて“海のシルクロードの出発点”とも呼ばれた自由貿易区。

 福建華僑の故郷。

 地図上で、台湾海峡に面しガキガキと入り組んだリアス式の海岸線を指でなぞってみる。

 廈門の西岸500mほど沖に浮かぶ小さな島。

 鼓浪嶼(ころうしょ。コロンス島)。

 2017年に世界文化遺産登録された島。

 清末時代、中国には租界と呼ばれた場所が港湾都市沿いにはあった。上海が有名だが、諸外国が行政権を持って設立したのが国際共同租界、厦門もそうだった。そして、1903年にコロンス島もその一つになった。

 当時の建築物が現存していて、現在は観光地として人気のコロンス島。 

 伝統的な福建省南部の様式、コロニアル様式などの異なった様式が混ざり合った建築物。

 特に、モダニズムとアールデコが融合した「アモイ・デコ・スタイル」と呼ばれるコロンス島独特の建築様式が見られ、建築好きにとっては島全体が万国建築博覧会状態で大変貴重な建築物が見られる。

 私はまた、あの風景をどうしても見たくなった。

 今回は「のら猫中国福州をゆく」の続編として振り返りつつ、10代からの憧れである福建華僑の故郷の魅力を、数々の記憶と妄想が混在する世界を、私の万華鏡を通じてのぞいてみようと思う。

 厦門という地名を知ったのは、小学生のころ。

 課題の天気図を書くために、NHKラジオ第2の気象情報を聞いていた。

 「厦門 気温◯度、気圧○○ミリバール(当時はヘクトパスカルではなかった)、風力◯、晴れのち曇り」という抑揚のない声。

 今でも、あの音声とともに思い出してしまう。

 かつて香港厦門映画と呼ばれる古い白黒映画があったと聞く。

 日本統治時代や、中国内乱という混乱時代に廈門で製作され福建華僑などに愛された作品群。

 私が香港に通っていた1980年代、翡翠電視台など地元のテレビ局で真夜中にその懐かしい白黒映画が放映されていた。

 夜12時、画面からエリザベス女王の横顔が消えると、ぼんやり始まる白黒映画に登場するのは、アヘンしか食べてないとうわさされた“香港のゴッドファーザー”新馬仔や鄭君綿といった往年の大スター、鈴が転がるような歌声の女優たち。彼らの歌声を子守歌にして眠る、懐かしい南洋の夜。

 コロンス島は、テレビの旅番組や機内誌で知り、その情景にやられた。

 共同租界の建築物が立ち並ぶ島。

 これが本当なら、ぜひこの島に身を預けてみたい。

コロンス島日本領事館や博物館には廈門映画資料も

 コロンス島へはフェリーで20分ほど。

 ぎゅうぎゅうの中国人観光客に挟まれて、入島。

 緩やかに坂を登ってゆくと植物の放つちょっとモイスチャーな香りと共に、19世記か20世紀初頭にタイムスリップしたような、コロニアルな気分に。

 島には租界当時の建築物がいまだに残っている。“建築の万国博覧会”とも言われ、建築好きにはたまらない島だ。

 島には、英国、米国、日本領事館もあるが、なんと言っても長い歴史のある建築物に宿泊できるのも魅力。

 現存する別荘の中で最も歴史のある「船屋」に宿をとった。

 どこの宿も魅力的だが、決め手は船着き場が近かったことだった。

 島内には、電気自動車の乗合カートが走行しているのみで、タクシーもない。

 足で歩くしかないので、船着き場や繁華街に程近い場所にあったここを選んだというわけだ。

 1920年代に建造された船屋。先端に立って見下ろすと、建物全体がまるで航海を待つ船のような形をしていることに気づく。

 対岸には厦門島が見渡せ、ここが高台で見渡しの良い場所に位置しているのがわかる。

 宿泊したのは1階の角部屋。

 マホガニーやローズウッドといったアンティークなスタイル。

 ちゃんと洗面所やシャワーも付いて、おいしいおかゆの朝食付きで1泊3千円もしない。井戸水で煎(い)れた中国茶の味は格別で、手入れの行き届いた庭で茶を楽しんでいたら、小さなおじさんが奥からひょっこり出てきてあいさつを受ける。

 彼はここのオーナー。医師で、この家に生まれ、暮らしたミスター・ヘンリー。

 現在はロス在住だが、たまたまクリスマスで帰省していたところだった。

 くしくも、クリスマスイブに滞在していた私たちに、ミスター・ヘンリーは手招きした。

 奥の自宅に案内され、由緒あるピアノでクリスマスソングを弾いて聴かせてくれた。

 古い床、壁、部屋全体に共鳴するピアノの調べ。

 この島はピアノの調べがあちこちから聞こえてくるとは聞いていたが、実際にこんな風に歓待されるとは思ってもみなかった。

 旅はこういう出会いがあるからやめられない。

船が停泊したようなモダンなデザインとアンティークピアノ

 中国人観光客の群れに混ざって、島内を散策。

 あちこちで、新婚さんとそれを撮影するプロのカメラマンに遭遇する。

 花嫁衣装に身を包み満面の笑みの新婦。気取ったポーズをとらされている硬い表情の新郎。船屋の前でも何組かが撮影していた。

 彼らは写真を撮るためだけに、コロンス島にやって来るという。ものすごい気合の入れようだ。

 繁華街にはおいしい食べ物の匂いや花の香り、そこに潮風が相まってなんとも心地よい。

 テレビで見たお目当ての胡麻(ごま)餅屋は、行列ができていてすぐに分かった。

 見事な手さばきで胡麻団子をこしらえる横顔をよくよく見ると、それは息子さん。テレビで見たオヤジさんから代替わりしていた。もっちりとふわふわ柔らかな団子をぺろりと平らげた。お代わりしたくなるほどのうまさだった。

 何でも食べたくなって、あれこれ買い食いして歩く。

 路上にゴロニャンする猫に、もん絶するのは万国共通だ。

 猫たちは、スマホカメラを向けて必死な人のことなどつゆ知らず。のんびりと自由気ままに古い街並みの情景と化し、その美しい肢体をあけすけにゴロゴロしている。

新婚さんや猫やグルメで幸せいっぱい

 不思議なほど日本人に出会わない島だった。歩き疲れるほど歩いた。

 夕日を見ようと展望台の頂上を目指したが、高所恐怖症のため私は途中であきらめた。

 腕のたくましい男どもがリヤカーを引き港へ向かう夕暮れ。

 路地裏には安楽椅子にもたれ、茶をすするじいさん。

 猫もあちこちでくつろいでいる。

 自動車が通らない、歩行者天国の島。

 薄暮の紫が夜の闇に変わるころ、船屋にたどり着いて一日が終わる。

薄暮は紫に、やがて夜のとばりが降りてくる

 どこを歩いても風が心地よく、どこにたたずんでも絵になる島。

 中国にこんなにのんびりと時間を封じ込めた島があるなんて知らなかった。

 3日間の滞在を終え、あらためて船屋の屋上から眺めてみる。

 古い租界建築が並ぶコロンス島から、厦門島、その背後には中国大陸が続く。

 コロンス島の端には、彼が睨みをきかせているおかげで台風の影響や被害にすら合わないという、鄭成功(てい・せいこう)の巨大な像がそびえている。

 17世紀半ばに福建で生まれ、のちに台湾からオランダを放逐し、明朝の復興運動を起こした中国の民族的英雄だ。

 近松門左衛門の人形浄瑠璃『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』の主人公「和藤内」はこの鄭成功を描いた作品である。

 2001年には、中日合作で映画も製作された。

 鄭成功の母は長崎生まれの日本人。映画でその役は島田陽子さんが演じているそうだが、その作品を私は見ていない。

鄭成功像のみつめる未来は?

 「和でも唐でもない」とうたわれた鄭成功。

 ほとんど知らなかったこの人物から現代にも通じる面白い考察ができそうだ。

 鄭成功の戦略がヒントになったのではないかと推察できる毛沢東の長征。毛沢東らが率いる紅軍は、長征という大移動をすることで革命の基礎を築いた。

 さらに福建には世界遺産にも指定された「土楼」がある。

 土楼は、生活と防衛集団で行うために作られた独特の建築物。

 ここまで来て、土楼を見ずしてどうする。

 悩んだところで、帰国までの中国元の所持金が2万円相当。

 上海経由で中国滞在あと2日、、、。ここで断念。

 うう、いつかはきっとあの土楼群へ挑むぞ。

 宿泊もして、白亜の土楼にも行ってやる!

 待ってろよ、福建省。

歴史に詳しくなくても、旅を通してこうした連想は限りなく続く。

 旅は想像する力、心の扉を開く勇気を与える。

 やっぱり旅には出てみるものだ。

 南シナ海の風に吹かれたあの旅の記憶は、退屈な私の日常を励まし心慰めてくれるのであった。(女優・洞口依子)

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