トルコのノーベル賞作家が怒っている理由とは? オルハン・パムク氏 コロナ禍で考えた人生、アヤソフィアのこと

インタビューに応じるオルハン・パムク氏=8月25日、トルコ・イスタンブール(HUSEYIN ALDEMIR氏撮影・共同)

 トルコのノーベル文学賞作家オルハン・パムク氏(68)が怒っている。生まれ故郷イスタンブールの世界遺産アヤソフィアがイスラム教のモスク(礼拝所)となったためだ。イスラム教を重視するエルドアン大統領が7月に決定したことだった。異なる宗教が共存してきた歴史的建造物であるだけに国際社会の反発は大きかった。しかし、トルコ国民はモスク化を受け入れているようで、公然と異を唱えるのはパムク氏ぐらいだった。なぜなのか。コロナ禍に何を考えたのか。インタビューに向かった。(イスタンブール共同=橋本新治)

 ―アヤソフィアは6世紀にギリシャ正教の大聖堂として建設され、15世紀のオスマン帝国時代にモスクになった。20世紀のトルコ共和国の建国後は、世俗主義を推進したアタチュルク初代大統領の決定で博物館になった。アヤソフィアはトルコ人にとって何を象徴しているのか。世俗主義の象徴なのだろうか。

 トルコ人にとって何の象徴でもない。トルコ人にとって世俗主義の象徴と言えば、間違いなくアタチュルクだ。ただ(博物館と決定した当時の政府には)国際社会に世俗的なトルコの象徴としてアピールしたかった部分はあるかもしれない。イスタンブールのトルコ人にとっては日常生活の一部だ。

世界遺産アヤソフィア=9月3日、トルコ・イスタンブール(共同)

 ―世論調査ではモスク化に賛成の声が多く、アタチュルクが創設した世俗主義政党で現在の最大野党、共和人民党(CHP)でさえ反対しなかった。

 私が会う人のうち4割は賛成、3割が反対、2割は答えないといった感じだ。賛成が過半数というわけではない。イスラム保守系の与党が政治情勢を支配し、誰も反対と言い出せない雰囲気だった。CHPにとって世俗主義は何十年にもわたって唯一のアジェンダ(取り組むべき検討課題)だ。しかし、彼らは「これは宗教的な問題だ。この問題に踏み込むと、多くの票を失う」と考えた。CHPは前回のイスタンブール市長選で55%を獲得したのにもかかわらず、おびえ、怖がり、そして間違った。声を上げず、モスク化を気に入ったふりさえした。エルドアン大統領は(賛成か反対かで世論の)分断を狙い、CHPは大きくなりすぎた宗教問題をどう扱ってよいのか分からなくなり、逃げ出したのだ。世俗主義はトルコ人の精神、近代性、文化において、憲法に定められるほど重要なことなのにCHPは無視した。エルドアン大統領は熱烈な支持者に向けて「私は権力者だ。何でもできる」と強調し、みんながおじけづいた。

 ―トルコの国是である世俗主義は終焉(しゅうえん)を迎えたのか。

 そうではない。確かにモスク化は「私たちは世俗的でありたくない」と国際的に宣言したことになるが、世俗主義が終わるわけではない。例えば新型コロナウイルス対策としてトルコ政府は3月、イスラム教の集団礼拝が行われる金曜日のモスク閉鎖を決定した。キリスト教世界では日曜日の教会の礼拝に相当する。欧州で日曜日の礼拝を中止するのは容易ではないだろう。政府は宗教上の義務より、人々の命を大切にした。アタチュルクの世俗主義が国民の血の中にまで浸透していることを示している。エルドアン大統領は最も急進的で、世俗的な決定を下したが批判はなかった。

オルハン・パムク氏(HUSEYIN ALDEMIR氏撮影・共同)

 ―多くの国民はモスク化を受け入れているように見える。公然と反対する人はあなたぐらいだ。

 人々が簡単に受け入れたとは思わない。ただナショナリズムが強調されている。モスク化の動機の半分はイスラム教に基づくが、残りの半分はナショナリズムに基づいている。欧米を怒らせる問題を取り上げ、えらくなったように感じている。支配層だけでなく、国全体が欧米との対立を楽しんでいる。

 ―トルコの言論の自由についてどう思うか。あなた自身は圧力を感じていないか。

 本当にひどい。トルコに言論の自由はない。圧力を感じているかどうか、私のことは話したくない。もちろんいくつもの事件があり、死の脅迫を受けたこともある。ただ、もう慣れた。大げさにしたくない。

 ―モスク化にキリスト教世界の反発が大きい。イスラム教とキリスト教は共存できるのか。

 アヤソフィアのことはトルコ人が決めることだ。欧州で何を言われようが気にしない。欧州が怒るかどうかは二の次だ。私がモスク化に反対しているのは、私が世俗的なトルコ国民だからだ。真実を言えない人が何百万人もいる。だから私は怒っている。私のこの判断のために欧州人は必要ない。トルコには世俗主義がふさわしい。

モスクとなったアヤソフィア。キリスト教の聖母子像(上中央)がカーテンで隠されている=トルコ・イスタンブール(共同)

 ―米政治学者ハンチントンが指摘した「文明の衝突」と見るべきか。

 ハンチントンの文明の衝突を取り上げるような大きな問題ではないと思う。そもそも私はこの理論を信じていない。世界で何が起こっているかを理解するにはあまり役立たない。本質的に異なる人々とは衝突が起きるという主張だ。私はイスタンブールに住むトルコ人で、半分はアジア人、半分は欧州人だ。文明の衝突ではなく、文明の調和を信じている。トルコ人には「私たちはイスラム教徒だが、世俗的だ」という誇りがある。ほかのイスラム諸国との違いだ。イスラム主義者とまで呼ばれる保守的な与党が、集団礼拝が行われる金曜日にモスクを閉鎖するという超世俗的な決定を下したのだ。

 ―新型コロナウイルスの感染拡大で一時、イスタンブールから人がいなくなった。感じること、考えることはあったか。

 私は写真家でもある。65歳以上は外出禁止だったが、そのことは忘れて、誰も外出していない最も暗い日々に最も面白い場所に出かけた。車もないところをずっと歩いた。素晴らしい試みだった。「コロナウイルスの日々」という写真集を出そうかと思っている。写真に写っている人はみんなあなたのようにマスク姿だ。

 みんなが感じたことかもしれないが、私は通りの静けさ、街の静けさ、飛行機が飛んでいないことがうれしかった。私はイスタンブールの観光地に住んでいるが、観光客はいない。私の街が1950年代、60年代に戻ったようだった。

オルハン・パムク氏(HUSEYIN ALDEMIR氏撮影・共同)

 ―ステイホームの期間中、何をしていたのか。

 全く偶然なのだがこの4年間「ペストの夜」という小説を書いている。1901年に中国とインドで大流行し、米西部、ハワイ、サンフランシスコにも広がった第3次ペストのことだ。この小説を書いていて突然ほとんど同じことが実際に起きたのだ。

 パンデミック(世界的大流行)に対する人類の反応はまず「何も起きてない」と否定することだ。次に事態を制御できない政府に怒りを覚える。しかし次第に政府の方が強くなる。政府は「私たちを守ってください」という人々の声を利用し、「これをするな、これをするな」という。政府は権威主義的になり、強権的で意地悪くなっていく。しかし、彼らはそうするしかないのだ。この小説を書いているうちに歴史が教えてくれるのは、人はすぐ政治化されるということだ。

 ―あなた自身はパンデミックからどのような影響を受けたのか。

 私たち誰もが自分たちが生きていく中で一番大切なことを見つけたと思う。人は誰かに誘われると、本当は行きたくなくてもいい顔をするために出かけることがある。コロナは行かない良い言い訳になる。私はやりたくないと思っていたことがたくさんあったが、パンデミックを理由にやらなくなった。本を読み、家族や友人だけと過ごすことで生活が単純化し、人生の意味を考えさせられた。死がごく近くにあるからだ。

 ―トルコ社会にはどのような影響を与えたと思うか。

 私の運営している博物館では来館者の半分以上は外国人だったが、誰も来なくなった。これからは地元の人々と向き合うべきだと思う。レストランやホテルも飛行機で来る人々ではなく、地元の人々に対応することになるだろう。これは大切なことだ。

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 オルハン・パムク 1952年6月、イスタンブール生まれ。2006年にノーベル文学賞受賞。東西文明の相克を描く作品で知られる。代表作は「白い城」「わたしの名は赤」「雪」「僕の違和感」など。日本語に翻訳された作品も多い。

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