「一生野球ができなくなってもいい」菊池雄星が涙した甲子園の光と闇。後に明かした本音と矛盾

海を渡って2年目、菊池雄星はMLBでもその評価を確かなものにしつつある。日本時間5日のテキサス・レンジャーズ戦で自身2連勝をマーク。苦しんだ昨季からの変貌ぶりを米メディアも高く評価している。

「一生野球ができなくなってもいいから、人生最後の試合だと思って投げ切ろうと思った」
高校時代、そう口にした覚悟は本物だった。だが、もし本当に野球ができなくなっていたら、今の活躍はなかった。プロになってからの菊池は、この時の自分の心境をどう見ていたのだろうか? その“矛盾”をはらんだ言葉には、高校野球のあるべき姿が映し出されている――。

(文=花田雪、写真=Getty Images)

コロナ禍の高校野球で見られた、いつもの夏と違う光景

野球選手に限らず、アスリートにとって決して避けることができないモノ。

それが、引退だ。

野球選手の引退というと、誰もがプロ野球選手のそれを想像するかもしれないが、少年野球であれ、中学野球であれ、高校野球であれ、大学野球であれ、社会人野球であれ、すべての野球選手に「競技から離れる」瞬間は訪れる。

コロナ禍で大混乱に陥った今年の野球界でも、高校野球は甲子園交流試合と地方独自大会が8月に終了。10月にはドラフト会議が控えるが、もちろんそこで指名される選手など一握りだ。

高校限りで野球をやめる者、大学、社会人で競技を続ける者、プロを目指す者……。すべての高校球児が、次のステップを踏み出すことになる。

例年、高校野球は全国49地区の地方大会を経て、夏の甲子園を行う。そのすべてがトーナメントで行われるため、最後まで「負け」を経験しない高校は約4000分の1。秋に国体があるとはいえ、「勝っても負けても、これが最後の試合」と分かって試合に臨むことができるのは、甲子園で決勝戦を戦う2校のみに与えられた特別な経験ともいえる。

それが、今年はどうだろう。夏の甲子園が中止となったことで、「勝っても負けてもこれが最後の試合」が全国各地で行われた。

中止となったセンバツ出場校による交流試合も、32校が1試合ずつ、計16試合を行っただけ。すべての高校が試合前から「これが甲子園で戦う最後の試合」と知った状態で試合に臨んだのだ。

そんな背景もあって、地方大会や交流試合では、今年ならではの選手起用も多く見られた。

「最後だから」エースにすべてを託すチームもあれば、「最後だから」できるだけ多くの選手を試合に出すチームもあった。その起用法はさまざまだ。

「最後の試合」というバイアスが、判断力を鈍らせる

図らずもコロナ禍という未曽有の事態が引き起こしたこの事象を見て、あらためて高校球児にとっての「最後の試合」がどういうものなのか、浮き彫りになったように思う。

高校球児にとっての「高校最後の試合」は、大学やプロで野球を続ける一部の選手を除き「野球人生最後の試合」と同義だ。

最後だからこそ、悔いなく、持てる力を目いっぱい出す。高校野球、甲子園が人々の胸を打つのは、多分にこの「最後」というバイアスが影響している。

野球人生の集大成――。
だからこそ、時に奇跡としかいえないような信じられないプレーが起こる。

「甲子園には魔物が棲む」という今や使うのも少し恥ずかしい言葉の由来は、そこに起因するように思える。

ただ、時としてその魔物は、高校球児だけでなく大人の判断力まで鈍らせてしまうことも事実だ。

近年叫ばれ続けている高校生、特に投手の酷使について論じられると、必ずといっていいほど「これからプロに行くような投手と、高校野球が最後と決めて臨む投手を同列に扱ってはいけない」という意見を耳にする。

確かに、一理あるかもしれない。

ただ、「最後の試合」だからといって、その後の人生に大きな影響を及ぼしかねない故障のリスクを冒してもいいのかというと、そうではない。

「一生野球ができなくなってもいい」菊池雄星が残した言葉

3年ほど前、当時埼玉西武ライオンズに所属していた菊池雄星投手(現シアトル・マリナーズ)にインタビューしたことがあった。

筆者は編集者として取材に帯同したのだが、この時、彼をインタビューしてくれたのがスポーツジャーナリストの氏原英明さんだった。氏原さんは高校時代から菊池を取材し続け、後に彼の著書『メジャーをかなえた 雄星ノート』(文藝春秋)で構成も務めた、菊池雄星が最も信頼するライターの一人だ。

そんな氏原さんによるインタビューだからこそ、彼の高校時代について、一つの「本音」を聞くことができた。

菊池は2009年の夏、花巻東のエースとして夏の甲子園に出場。同年春のセンバツでは準優勝しており、地元・岩手の期待を一身に背負っての出場だった。

ただこの大会、「世代ナンバーワン」と呼ばれた菊池は、決して万全の状態ではなかった。背中を痛め、満足な投球ができない。それでも準決勝・中京大中京戦まで勝ち進んだが、この時点で彼の身体は限界を迎えていた。

菊池はこの試合、先発を回避して3点ビハインドの4回2死満塁からマウンドに立ったが中京大中京打線に打ち込まれ、わずか11球でマウンドを下りている。

試合後のインタビューでは人目もはばからず涙を流し、「一生野球ができなくなってもいいから、人生最後の試合だと思って投げ切ろうと思った」と言葉を絞り出した。

個人的に、この光景は衝撃的だった。
菊池はこの時点ですでにプロ入り、もっと言えばドラフト1位指名が確実視された怪物左腕だ。彼自身もプロ野球、さらにはメジャーリーガーを目標として高校生活を送っていたことは周知の事実。そんな逸材にすら、「一生野球ができなくなってもいい」と思わせてしまう。

彼の涙に、「感動」したのはもちろんだが、同時に甲子園という舞台の恐ろしさも感じた。

「もし、今の自分があのころに戻ったら」 矛盾する思いだが……

話を、3年前のインタビューに戻す。
取材テーマが「甲子園」だったこともあり、当時の想いを赤裸々に語ってくれた菊池が、あの「最後の試合」について口を開いた。

「もし、今の自分があのころに戻っても、やはり同じ気持ちになったと思います」

この時、菊池は西武のエースという立場を確固たるものとし、その先にある「メジャーリーグ」という夢を現実のものとしつつあった。それでも、「あのころに戻ったら、同じ気持ちになる」と言う。

ただ、そこから少しだけ間を空けて、こうも続けた。

「でも、自分以外の選手が同じ立場だったら、止めていると思います」

彼の言葉は、大いに矛盾していた。

プロ野球、メジャーリーグを目指しながら、「ここで野球が終わってもいい」と言い、数年後にそれが実現しつつある状況になっても「同じ気持ちになる」と言う。それでいて、もし自分以外であれば止めるとも言う。

ただ、人間とはそういうものだ。
18歳の高校生であればなおさらだろう。

将来に明るい希望を持ちながら、一方で目の前の瞬間、瞬間を生きている。そこに、理論理屈など存在しない。

瞬間、瞬間を生きているからこそ、それが大きな光を放って見る者の心を打つのだ。

ただ、忘れてはいけないのが、菊池は後に、自身の希望通りプロ入りを果たし、夢だったメジャーリーガーにもなっているということ。もしもあの試合で将来が大きく変わっていたら……。

「人生最後の試合に」、覚悟を持った球児を止めるのが大人の役目

大いなる矛盾を抱えた高校生に対し、「やめておけ」と声を掛けてあげられるのは、周囲の人間しかいない。

菊池の場合は、それが恩師でもある佐々木洋監督だった。もちろん、当事者にしか分からないたくさんのしがらみがあったはずだが、結果として最後の夏、佐々木監督は菊池と「心中」するようなことはなかった。

故障を抱えるエースを先発させず、11球で「無理だ」と判断してマウンドから下ろす。
「一生野球ができなくなってもいい」という覚悟を持った教え子に、ストップをかける。

それが、大人の役目ではないか。

菊池雄星が、プロ注目の投手だからではない。「野球は高校で最後」。そう決めて夏に臨む球児は大勢いる。

ただ、自らの意志で野球をやめるのと、やりたくても野球がやれなくなってしまうのはまったく違う。

例えば、高校野球をやめた後、しばらくしてまた野球が恋しくなった時、もう野球ができない、ボールを投げられない体になっていてもいいのか。

プロだけが次のステップではない。
指導者の道を歩んだり、もっといえば草野球を楽しむだけでもいい。

高校野球では「燃え尽きる」という言葉をよく使うが、肝心なのは燃え尽きたその後だ。「もう、野球はいいや」と思ってしまうのか、「やはり、野球は素晴らしい」と思うのか。

高校野球が、人生最後の野球――。

それ自体は否定しない。
ただ、できればそこに、「“本気で打ち込む”人生最後の野球」という注釈があってほしい。

燃え尽きた後でも、「でも野球は楽しい、素晴らしい」と思える、そんな球児が一人でも増えれば、少なくとも野球界の未来は、いくらか明るくなるはずだ。

<了>

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