【コラム】総理総裁への“助走距離”

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陸上競技の走り高跳びは、助走をつけて片足で踏み切り、落とさずに跳び越えるバーの高さを競うものである。長い助走を取る者もいれば、短い間合いの者もいる。五輪選手などの助走は40メートル以上だというが、たとえ長くても、バーを落としてしまっては何の意味もないし、タイミングが合わないこともある。

安倍晋三首相の辞意表明に伴う自民党の後継総裁は来週月曜日に決まり、16日に国会で内閣総理大臣に指名される。とはいえ、すでに菅義偉官房長官が大勝することは既定路線で、関心は2位争いと人事に移っている。「3位になったほうは今後の政治力が大きく削がれる」(自民中堅議員)ため、岸田文雄政調会長と石破茂元幹事長との間でまさに死闘が演じられている。

自民党の国会議員で20人の推薦があれば、誰でも総裁選に出ることができる。だが、まだ政治の右も左もわかっていない者が自薦したとしても、支持が集まらないどころか嘲笑の的となる。いくつかのポストで能力と仕事ぶりを見せて知名度を高め、また、それなりの人間関係を築かなければ、総理総裁という名の走り高跳びに挑戦することは難しい。

かつての自民党では、外相や蔵相(現、財務相)といった主要閣僚と党三役のうちの2役を務めることが総理総裁への“暗黙の要件”とされた。一部の例外はあるものの、田中角栄や福田赳夫、大平正芳などの各氏はいずれもその要件を満たした。そうしたこともあって、自民党政権下で首相になるには、赤じゅうたんを踏んでから実に長い年月を要した。

田中内閣から森喜朗内閣までの約30年間に13人の自民党総裁が首相になっているが、初当選から首相になるまで平均で31年もかかり、長い長い“助走”が取られてきた。宮沢喜一氏などは33歳で議員バッジを付け、早くから将来を嘱望されたが、首相の座に就いたのは38年後ですでに古希を過ぎていた。

しかし、今世紀に入り、若干の変化が見られる。自民党政権の場合、この20年の総理への“助走距離”は平均で22年になった。小泉純一郎氏や麻生太郎氏はそれぞれ29年かかったが、安倍首相は第1次政権を担うまでわずか13年、福田康夫氏は17年であった。次に首相になるであろう菅氏も24年で、かつてに比べれば短い。

年功序列が崩れたり、当選回数の多くない議員にチャンスが与えられたりすることは、間違いなくいいことである。永田町文化にどっぷりと首まで漬かる前に、国民感覚を残したまま頂点を目指すことも大いに歓迎される。20年余りの“助走期間”でバーを跳び越えられるのであれば、社会経験が不十分なまま、急いで選挙に出る必要もなくなるかもしれない。

だが、諸外国の多くの平均“助走距離”は、わが国よりはるかに短い。ドイツのメルケル首相は連邦議員になってから15年で首相になっているし、ニュージーランドのアーダーン首相はわずか9年でバーを跳び越えた。さらに、カナダのトルドー首相は庶民院議員になって5年で自由党党首に選出され、その2年後に首相となった。

“助走”を長く取れば、高く飛べるというものではない。多少短くても、高く、そして華麗に飛び、国民から拍手喝采を受けることもある。やや気が早いかもしれないが、次の総裁選には、たとえ“助走距離”が短くても思い切って高みを目指す議員が現れてもいいのではないか。正式な競技でも、2回までの失敗は許されている。

【筆者略歴】

本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。