首相裏切りの予兆、気づかなかった岸田氏 総裁選3候補の真の姿は?

安倍首相からの禅譲を期待していた岸田氏だが・・・

 菅義偉官房長官の圧倒的優位が伝えられている自民党総裁選。かつては安倍首相からの禅譲をめぐる盟約説が取り沙汰され、「ポスト安倍」の本命とも呼ばれた岸田文雄政調会長が窮地に立たされている。だが、政治学者で『自民党 価値とリスクのマトリクス』(スタンド・ブックス)の著書もある中島岳志・東京工業大教授によれば、首相が禅譲話を反故にする予兆は過去の発言からすでにあった。また、首相に最も近い立場とされる菅氏は実は根っからの右派ではない。石破茂元幹事長はこの数年で政治姿勢を大きく変化させたという。イメージで語られがちな3候補の真の姿を過去の著作などからあぶり出し、ポジションの違いをマトリックス図に表してもらった。

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 ■政治家を見極めるための「4類型」

 自民党総裁選が始まりました。テレビ番組はこの話題で持ちきりですが、どうしても「どの派閥が誰を支持している」とか、「二階幹事長がどう動いたか」とか、「石破さんがなぜ国会議員票を獲得できないのか」といった政界ワイドショーに話が流れていく傾向があります。しかし、自民党総裁選は、日本の首相選びに直結します。重要なのは、それぞれの政治家の理念やヴィジョン、特質を見極めることであるはずです。

 政治家の考え方を見極めるためには、私たちがしっかりした座標軸を持っておく必要があります。その時、私が提案しているのは、下記のような図です=図1=。

【図1】

 政治は内政面において、主に「お金」の問題と、「価値」の問題をめぐって仕事をしています。図では縦軸に「お金」、横軸に「価値」を配置しています。

 「リスクの個人化」というのは、様々なリスクに対して個人で対応することを基本とする自己責任型です。そのため、税金は安くなりますが行政サービスも小さくなります。いわゆる「小さな政府」になります。

 一方、「リスクの社会化」は、セーフティーネット強化型です。税金は高くなるかもしれませんが、行政サービスも手厚くなります。いわゆる「大きな政府」になります。

 「リベラル」というのは、多様な価値観への寛容な態度を意味します。逆に「パターナル」は、「父権的」と訳されるように、力を持った人間が個人の価値の問題に介入するあり方を意味します。例えば、選択的夫婦別姓についての賛否であれば、リベラルは個人の価値観を尊重する立場から賛成、逆にパターナルは「日本人は同姓であるべき」という価値の介入を行うため、反対になるでしょう。

 従来の「右」「左」という二分法よりも、このマトリクスで政治家を理解する方が、より適切な位置づけが出来るのではないかと、私は考えています。

 ■菅義偉:「値下げおじさん」と「忖度おじさん」

予定調和的な質疑が横行するようになった菅官房長官の記者会見。東京新聞の望月衣塑子記者(写真手前、2019年6月撮影)の質問に応じないこともあった

 さて、具体的な候補者の特徴を見ていくことにしましょう。まずは、最有力とされている菅義偉さんです。

 菅さんのポイントは二つです。まず一つ目は、大衆の欲望に非常に敏感なポピュリストであるという点です。菅さんは「令和おじさん」や「パンケーキおじさん」と言われていますが、本質はそうではありません。私は、「値下げおじさん」と呼ぶのが的確だと思っています。

 菅さんが国会議員に当選したのは1996年の衆議院選挙です。そして、最初の重要な成功体験は、国土交通大臣政務官時代に手がけた東京湾アクアラインETC割引の実施でした。総務大臣時代にはNHK受信料値下げを主張し、世論の支持を背景にNHK人事に介入しました。

 そして、最近は携帯電話料金の値下げを主張し、今回の総裁選でもこの点を強調しています。他にも総務大臣時代の「ふるさと納税」導入。これも返礼品がもらえるという「大衆への利益供与」です。

 辺野古基地移転問題をめぐって沖縄の世論とぶつかった際には、USJ・ディズニーランド、カジノなどの大型リゾート施設の誘致に動き、揺さぶりをかけました。このように「値下げ」「返礼品」「リゾート誘致」のような大衆的欲望に直接訴えかける政策が、菅さんの特徴です。

 二つ目の特徴は、「忖度おじさん」です。よく知られているように、菅さんは官房長官として官僚の人事を掌握し、彼らを支配することに成功しました。官僚機構の中では「上目遣い」が横行し、菅さんを忖度して行動する官僚が目立つようになりました。

 菅さんは、このような統制のあり方に、極めて自覚的です。彼は野党時代の2012年3月に『政治家の覚悟-官僚を動かせ』という本を出していますが、ここで次のように述べています。

 人事権は大臣に与えられた大きな権限です。どういう人物をどういう役職に就けるか。人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。効果的に使えば、組織を引き締めて一体感を高めることができます。とりわけ官僚は「人事」に敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。

 ここでご本人が明言しているように、菅さんは「人事」を掌握することによって、官僚たちに権力者の意思を察知させ、忖度を働かせることができると考えています。

 同様に、菅さんはメディアの統制にも成功しました。安倍政権下では、官房長官の記者会見が形骸化し、予定調和的な質疑が横行するようになりました。官僚やメディアの人間に対して、人事や情報を使って忖度させ、自らの意思を察知させることで、主体的に服従させるメカニズムを構築していきました。

 菅さんが首相になった場合、この仕組みが国民の側にまで及ぶことを想定する必要があります。安倍内閣下では秘密保護法や共謀罪(テロ等準備罪)が成立しています。これらは一般市民が対象とされる法律で、いくつかの見せしめ逮捕によって、政府批判の自主規制を働かせることが可能になります。忖度による主体的服従システムは、私たち国民にも及ぶ可能性が十分にあります。この点に、私たちは注意深くなければなりません。

 菅さんという政治家は、理念に基づいて何かをやりたいというタイプの政治家ではありません。政治は権力闘争でありパワーゲームであるという認識に立っている人です。一般企業でも、社長を目指す人の中には、「社長になって何かやりたい人」と「とにかく社長になりたい人」の両方がいますが、菅さんは「とにかく社長になりたい人」タイプです。社長になり、権力を維持すること自体が目的化するタイプといえるでしょう。

 そのため、菅さんを理念やビジョンで位置づけるのは、なかなか難しいところがあるのですが、前掲の図の中に位置づけるとすれば、Ⅳの位置になります。これは安倍首相と同じゾーンで、日本型ネオコンといえる枠組みです。

 今回の総裁選でも「自助」を強調しているように、「リスクの個人化」傾向が強いことは明白です。一方で、価値の問題については、安倍内閣に同調してきたものの、強い関心やこだわりを持たないことが特徴といえるでしょう。

 菅さんは『サンデー毎日』2014年1月5日号に掲載されたインタビュー(「ぬるま湯ニッポンを大改革する 安倍政権の大番頭 菅義偉官房長官」)で、安倍さんと出会った時のことを、次のように述べています。

 正直言うとね、国家観というものが私にはなかったんです(笑)。安倍さんの話を聞いて、すごいなあと。安倍さんが官房副長官のときです

 菅さんは自分自身で明言しているように、「国家観」に対する関心を持っていません。歴史認識などについても、右派的なこだわりを強く持っているわけではありません。価値の問題については、非常にプラグマティックに行動する政治家だといえるでしょう。

 ■岸田文雄が失敗し続ける理由

前回の総裁選では不出馬を表明した岸田氏。会見で渋い表情を浮かべた(2018年7月)

 次に岸田文雄さんを見ていくことにしましょう。岸田さんは極めてスタンスが曖昧な政治家です。明確なヴィジョンを打ち出すことが出来ず、どのような国家構想を持っているのかが見えづらいことが特徴です。これは、ある意味でバランスのとれた政治家ということができると思いますが、実態としては典型的な風見鶏で、権力者の顔色を見ることに長けた人といえるでしょう。

 岸田さんは、報道されているように、安倍さんからの禅譲を狙っていました。しかし、私は拙著『自民党 価値とリスクのマトリクス』の中で、禅譲への期待を持つべきではないと指摘しました。これには根拠があります。

 安倍首相がかつて、繰り返し語っていたエピソードがあります。それは、祖父の岸信介が60年安保騒動の際に、大野伴睦に禅譲を明記した念書を渡し、協力を求めたと言うものです。岸の後に首相の座に就いたのは、大野ではなく池田勇人です。つまり、岸は自ら記した念書を反故にしたのです。

 これについて、安倍首相は岸の行為を高く評価しています。政治は心情倫理よりも責任倫理が重要であって、結果責任こそが重要だと述べています。安倍首相が禅譲話を反故にすることは、本人の書いたものをしっかり研究しておけば、容易に想像できたことです。

 岸田さんは本来、図のⅡのゾーンに位置づけられるべき政治家です。このゾーンは、彼が率いる宏池会が担ってきたゾーンで、自民党の保守本流とされるものでした。

 一方、安倍首相はⅣのゾーンの政治家で、岸田さんとは真逆のタイプです。二人は、理念や政策では、相容れない政治家のはずです。

 しかし、岸田さんは、安倍さんからの首相の禅譲を狙い、外務大臣・政調会長として安倍内閣を支えてきました。そして、その過程で、安倍内閣と対立しないように、考え方をⅣに寄せていき、態度を曖昧にしてきました。

 その結果、一体、何をやりたい政治家なのかが不明瞭になり、風見鶏の側面ばかりが目立つようになりました。

 拙著『自民党』では、安倍内閣期の岸田さんを、ど真ん中のゼロ地点に置きました。つまり、特色がなく、どのような国家を作りたいのかが全く見えない政治家なのです。

 メディアでは「発信力が乏しい」とよく言われていますが、それもそのはずです。積極的に発信することを控えることで、自らのポジションを獲得してきたのが、これまでの歩みだったからです。

 総裁選を闘うにあたって、岸田さんはこれまでの曖昧な態度からの脱却を目指しています。格差社会の是正を強調することで、リスクの社会化を打ち出していますが、やはり時すでに遅しです。

 自らが支えてきた安倍政権を高く評価する姿勢との矛盾を埋めることが出来ず、信頼を失っているというのが現状でしょう。しかも、リベラルな価値への言及が欠如しているため、踏み込みが足りません。

 総裁戦後、岸田さんが行うべきことは政治哲学の再構築です。菅さんのような策謀術もなく、政治哲学もしっかりしないようでは、首相への道は開かれないでしょう。

 ■石破茂:保守本流のフラッグを獲得

安倍首相と一騎打ちとなった前回の総裁選で敗れた石破氏(2018年9月)

 最後に、石破茂さんを見ていきたいと思います。石破さんは岸田さんとは対照的に、近年は安倍内閣と距離を置き、批判的なスタンスを示してきました。時にその批判は厳しく、「首相を後ろから撃っている」と言われるほどでした。

 石破さんは、もともと図のⅢに位置づけられる政治家でした。このゾーンは新自由主義で、河野太郎さんなども、同じ枠に位置づけられる政治家です。

 しかし、石破さんはこの数年で、ポジションを変化させています。それはⅢからⅡへの変化です。このゾーンは前述のように宏池会が担ってきた保守本流の枠なのですが、ここが岸田さんの曖昧な態度によって空洞になっていました。そこに場所を見つけ、安倍内閣と対峙したのが石破さんです。

 Ⅱのゾーンには、野田聖子さんなども位置づけられますが、党内での支持基盤が脆弱なため、石破さんが保守本流のフラッグを奪取したといえるでしょう。

 今回の総裁選では、この姿勢がより明確になりました。政策パンフレットでは「格差是正」を掲げ、「福祉社会の実現」を説いています。「教育無償化によりアンダークラスやシングルマザーなどの抱える教育格差問題を解決します」と踏み込んでおり、「リスクの社会化」路線を鮮明にしています。

 アベノミクスは低所得者の固定化を生んだと批判し、格差縮小こそが経済の拡大につながるとして、消費税減税も視野に入れた発言を行っています。

 さらに、選択的夫婦別姓についても賛成の意を示し、リベラルな価値観を押し出しています。政策パンフレットでも「多様性」を重んじることを強調し、「自由と寛容さを高めて女性、若者、高齢者にフェアな社会を実現します」と謳っています。

 出馬の記者会見では「一人一人が居場所のある社会の実現」を冒頭に述べ、社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)の重要性にも踏み込んでいます。

 菅さんや岸田さんが、安倍内閣の継承を基本路線としているのに対して、石破さんは明確に逆の方向性を提示しているのが特色です。

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 3人の現在の位置づけを図で表わしてみましょう=図2=。

【図2】

 総裁選での論戦は、必然的に【菅vs石破】という構造になるでしょう。石破さんがⅡのゾーンを奪ったことによって、岸田さんの立ち位置の不明瞭さが、一層際立つ構造になっています。

 菅さんは理念やヴィジョンに基づく政治家ではないため、融通無碍(むげ)なところがあります。そのため、攻めの石破さんに対して、柔軟にかわす菅さんというやりとりが繰り返されるように思います。

 そして、石破さんの議論に説得力があればあるほど、菅さんはその政策を受け入れるという場面が出てくると思います。菅さんは「値下げ」に代表されるように、国民に具体的な利益を配分することで支持を得ようとする志向性が高いため、「自助」「自己責任」を掲げながら、ピンポイントの配分を積極的に行う可能性があります。

 総裁選を見る際には、是非、上記の図を参考に、候補者の位置づけを確認していただければと思います。そのことによって、誰がどのような方向性で、これからの日本を率いていこうとしているのかが明確になり、争点もはっきりしてくると思います。細部の政策への賛否だけでなく、大きな理念の違いに注目し、巨視的な観点からこの国のあり方を問い返すことが重要です。総裁選を有意義なものにできるかどうかは、国民のまなざしにかかっています。

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