話せる人いなくなる? 沖縄のしまくとぅば 文化の礎、島言葉が消滅の危機に

「さどやん」こと佐渡山安博さん自作の沖縄語を使った紙芝居=7月、那覇市

 沖縄県には、地域ごとに代々伝わる独自の言語「しまくとぅば(島言葉)」がある。沖縄人(うちなーんちゅ)のアイデンティティーであり、民謡や組踊など沖縄文化の礎でもあるこの言葉が今、消滅の危機にひんしている。琉球王国が日本に併合されて以降、同化政策で標準語教育が進められ、使う機会が減っていった。県の調査では「主に使う」という人はわずか7・6%。若い世代で話せる人はほとんどいない。「先祖の言葉を残したい」と、紙芝居やスマートフォンを使って継承に取り組む人たちを追った。(共同通信=富田ともみ)

 ▽楽しみ大事に

 「沖縄語(うちなーぐち)のありがとうを覚えよう。『にふぇーでーびる』です。せーの」。7月中旬、那覇市内の書店にテンポの良い声と太鼓の音が響いた。親子に自作の紙芝居を読み聞かせているのは、同市の「さどやん」こと佐渡山安博(さどやま・やすひろ)さん(51)だ。

書店に集まった親子に、沖縄語を使った自作の紙芝居を披露する「さどやん」こと佐渡山安博さん=7月、那覇市

 本島中南部の沖縄語を使った紙芝居を図書館や小学校で披露し、動画投稿サイト「ユーチューブ」でも発信する。「沖縄語は田舎の言葉で汚い」と劣等感を持っていた人が、「楽しかった」と喜んでくれたことも。「沖縄が本土化し、独自のものが失われていっている。もう一度、沖縄の言葉をはやらせたい」。子どもたちが楽しみながら覚えられるよう工夫を凝らす。(沖縄の紙芝居屋さどやんのホームページhttps://www.kamishibai.okinawa/

 県によると、しまくとぅばは沖縄語のほか国頭語、宮古語、八重山語、与那国語と、地域ごとに5種類に大別できる。

 1879年、明治政府が強制的に沖縄県を設置した「琉球処分」の後、しまくとぅばを話すと、学校では罰として「方言札」を首に掛けられた。太平洋戦争中は旧日本軍からスパイとみなされた。戦後の米軍統治下でも、本土復帰を求める動きの中で標準語の使用が励行され、話せる人が減っていった。

 「ありがとう」は宮古語で「たんでぃがーたんでぃ」、与那国語では「ふがらっさ」と言い、地域によって大きく異なることも、普及を難しくさせている。2009年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、これら5種類の言語を「消滅の危機にある」と認定した。

沖縄県立博物館・美術館がホームページに開設した「ウチナー民話のへや」の電子紙芝居

 ▽目でも耳でも

 「貴重な話者の音源を活用したい」。県立博物館・美術館は、1970年代から県内各地で収録した音声資料を保存している。地元の人に語ってもらった約3万3千の民話のうち、これまでに31話をアニメーション化。ホームページの「うちなー民話のへや」(https://okimu.jp/museum/minwa/)から字幕付きで楽しめる。

 NTTドコモは、ウェブサイト「みんなのうちなーぐち辞典 〜沖縄語辞典〜」(https://www.nttdocomo.co.jp/special_contents/okinawa/)で、「まーさん(おいしい)」「かなさん(かわいい)」など106の沖縄語を紹介している。県民約200人の協力を得て、単語のイメージに合わせた短い動画をスマホで撮影した。発案した社員は「若い世代が身近なスマホで気軽に見て興味を持ち、残したいという思いが広がっていけば」と期待する。

NTTドコモが公開しているウェブサイト「みんなのうちなーぐち辞典」

 ▽「使う」3割弱

 沖縄県が今年1、2月に実施した県民意識調査では、しまくとぅばについて「必要だ」「親しみを感じる」とする人がいずれも8割近くいる一方、会話で「主に」「共通語と同じくらい」使う人が3割弱にとどまる実態が浮き彫りになった。約6年半前の調査では35・4%だったが、28・1%に減った。使わない理由に「周りに使う人がいない」と回答した中高年層もいた。

 県は、語呂合わせで9月18日を「しまくとぅばの日」と定めて普及に力を入れ、県内の小中学校に「しまくとぅば読本」を配布している。2017年に県が設置した「しまくとぅば普及センター」は検定を実施し、講師養成講座も開いている。

 那覇市文化協会うちなーぐち部会長の名嘉山秀信(なかやま・ひでのぶ)さん(74)は「近い将来、話せる人がいなくなる」と危機感を示す。「何世代にもわたる文化を権力がつぶしてきた。単に残すだけではなく言語の復権と捉え、第2公用語として幼少期から学校や地域、家庭で使えるよう、需要を掘り起こさないといけない」と指摘している。

 ▽取材を終えて

 祖母(99)が認知症で、故郷の与那国語しか話さなくなった。全く聞き取れず、与那国島出身の両親に通訳してもらわないと会話が成り立たない。焦りを覚えたのが取材のきっかけだった。

 那覇市出身の私は標準語の環境で育ち、不自由なく東京の会社に就職できた。「いまさら、しまくとぅばを覚えてどうするの」。必要性を感じない若者が多いのも確かだ。先祖の言葉より外国語の学習に励むのは、仕方のないことかもしれない。

 「沖縄の言葉で話してみて」。興味本位にそう言われると、話せない自分が情けなくなる。同時に、沖縄の歴史を知ってほしいと感じる。

 「しまくとぅばがなくなると、沖縄人(うちなーんちゅ)でなくなってしまう」。取材で聞いた一言が、重く響いた。失ってからでは遅い。まずは祖母と話せるよう、少しずつ与那国語を覚えることから始めたい。

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