「菅義偉総理」待望論|小川榮太郎 心にぽっかり空いた穴――。安倍総理辞任の報道を受けて、多くの人たちが同じような気持ちになったのではないだろうか。しかし、この国はいつまで“安倍依存症”を続けるつもりなのだろう――。「米中激突」で世界がより不安定になるなか、感傷に浸っている時間はない。6月の時点で「『菅義偉総理』待望論」を打ち上げたのはなぜなのか、その理由がついに明かされる!

総理にしてはいけない男

「次の総理にふさわしい人」は誰か──。
最新の世論調査(FNNプライムオンライン2020年6月3日)は、次のような数値を示している。

石破茂 18.2%
安倍晋三 12.2%
小泉進次郎 8.8%
河野太郎 5.0%
枝野幸男 3.5%
菅義偉 3.0%
岸田文雄 1.9%
西村康稔 0.9%
野田聖子 0.9%
加藤勝信 0.5%
茂木敏充 0.4%
この中にはいない 32.4%

ただし、自民党支持層を対象にした調査では、安倍一強が続く。

(去年12月・今年2月・3月・4月・今回)
安倍晋三 34.4%・33.9%・39.3%・30.7%・28.7%
石破茂 20.6%・16.9% ・19.7%・18.7%・16.0%

いまは安倍政権に逆風が吹いているが、そうでない時は、一般国民の次期首相候補でも、安倍氏は、石破氏、小泉氏と三つ巴で、大抵の場合、首位か僅差での2位である。

要するに、自民党が党則を改正し安倍氏が4選を志せば、自民党員も国民も、結局はこれを支持することになり、安倍氏が4選を選ばないならば石破氏を選ぶ──これが、国民、自民党員を問わず、現在の輿論の大勢ということになろう。

私が日夜会う各界各層のリーダーたちのほとんどから異口同音に聞かれるのは、安倍氏の4選はあるのか、安倍氏の4選が何としても必要ではないか、という声ばかりである。他方、岸田氏、菅氏ならともかく、石破氏だけは困るという声ばかりである。

第2次安倍政権発足からすでに7年半、国民はある意味で政権に飽きている一方で、甘えてもいる。安倍政権の齎した圧倒的な安定感が誰が総理になっても続くという錯覚に、国民全般が覆われている。

だが、第2次安倍政権前の日本は、「強いリーダーシップ」の例に出される小泉政権でさえ、橋本~小渕政権で持ち直しかけていた株価1万4千円台を7千円台まで下落させ、政権終盤にようやく就任当初に戻す有様であった。

上野公園は青テントに覆われ、「痛みに堪えろ」という総理の掛け声のもと、自殺者は3万人超を記録していた。

第2次安倍政権は「奇跡」の政権だった

平成時代を通じ、第2次安倍政権まで、「失われた10年」 「失われた20年」を取り戻せた政権は一つもない。誰が総理になってもそれなりの高度な安定が保てるというのは、明白な幻想だ。第2次安倍政権が齎した高水準の安定は、平成30年史を振り返れば奇跡としか言いようがないのである。

安倍時代に、日本を巡る国際環境は危機を深め続けた。そのうえにコロナ禍が加わった。ほとんど微小な感染者を出しているだけなのに、まだ報道は危機を煽っている。

両国の指導力に不安定さが加われば、周辺諸国の野心と打算も一気に噴き出す。米中二極時代のなかで生じたコロナ禍は、日本周囲の国際情勢を準有事へと一気に引き上げることになるのではなかろうか。

各界指導者層ほど、何としても安倍氏に4選を選んでほしいというのは、ある意味で当然だろう。

いつまで「安倍依存症」を続けるつもりか

では、安倍氏自身は4選に前向きだろうか。

とてもそうは言えまい。

森友・加計騒動、桜を見る会などの常軌を逸した倒閣運動に消耗し、政権が長期化するなかで、党も官邸もダイナミズムを失っている。

安倍首相としては、今夏に東京五輪を開催して失速傾向にあった現況に再生の勢いを与え、憲法9条改正へと王手を掛けるべく、政権最終局面への気力を奮い立たせようしていた矢先にコロナ禍に見舞われた。

世界でも最も適切・充分な対応をしたのに、野党のみならずマスコミ・有識者らの言いがかりレベルの罵倒が続く。そのうえ、役人界隈の不始末も全て政権のせいにされる。いくら何でもやりきれまい。

状況の緊迫性と国民の要請を受け、安倍氏が4選または任期延長を受け入れる可能性はゼロではないかもしれない。

が、そうであっても、逆に問わねばならない。

この国は、一体いつまで安倍依存症を続けていれば気が済むのか、と。

政治家たちの明確な覚悟と政権構想の練り上げはもとより、論壇・国民も、次期総理について、現実的な宰相論を始める必要があるのではないか。

いま、世界は、国家指導者の人間力、政権担当能力が、ただちに国力となって跳ね返る、新たな時代に突入している。オバマのアメリカとトランプのアメリカ、胡錦濤の中国と習近平の中国、鳩山・菅・野田の日本と安倍の日本では、まるで別の国のようだ。

もし次期首相の統治能力が低く、経済が不安定化すれば、中、韓、露、米は、ただちに揺さぶりをかけ始め、安定した安倍時代は瞬時に終わるだろう。そうなれば、支持率は20%まで一気に低下する。時代は、政局一色になる。そしてその反作用として、強い総理が待望されるに違いない。

誰が出現するか。

小泉純一郎型のポピュリストである。

具体的に言えば、小池百合子氏や、橋下徹氏らの出番である。

小泉氏は、特段の国家観を持ち合わせない典型的なポピュリストだったが、福田赳夫氏の書生から出発した自民党派閥政治の叩き上げだった。彼は破壊者を演じ、実際に自民党の重要な機能をいくつも破壊してしまった。

とはいえ、根本的には自民党の伝統的な統治原則の範疇の人物であり、とりわけ日米関係の保持においてそれは顕著だった。

次期宰相の「3大条件」

が、小池氏や橋下氏となれば、話は全く変わってくる。

政治的出自=根がない、本当の「ポッと出指導者」である。両氏の地方首長としての手法をみれば、ポピュリズムの暴走、事実上の議会無視型の独裁に突き進む可能性が高いのは間違いあるまい。

また、50代を中心とする次世代型ポピュリストは、橋下徹氏や堀江貴文氏に代表されるように、世の中の事柄をすべて経済合理性に還元し、対他関係を全て取引に還元する傾向が強い。

そのように、事柄を全て合理性と取引に還元するような価値観の持ち主は、外交関係をも取引に置き換えるであろう。こうした指導者に対して、中国が取引の形を取った事実上の間接支配のシナリオを描くのは想像に難くない。

次の自民党政権が低支持率に喘ぎ、再び総理交代を繰り返して国情が混乱すれば、わが国はポピュリズム→独裁型統治→中国による間接支配に一気に進む可能性が極めて高いのではないか。

だからこそ、ポスト安倍論は、競馬の下馬評のような政局当て物談義であってはならないのであって、誰が籤を引くかではなく、どんな資質が求められるかを真摯に問い、次期宰相を演繹する作業がどうしても必要となるのである。

では、いま日本の総理に求められる資質とは何なのか。

次の3点に要約できる、と私は考える。

__第1に、安定統治能力である。
第2に、重大性・緊急性の高い国家的危機を解決する見識と政策実行力である。
第3に、親日政権であることである。国体護持、国益最優先派であること。国家の威信を決して汚さぬ人間であること。──この3点こそが次期宰相の3大条件であろう。__

統治の安定は平成年間を通じ、橋本・小渕政権と小泉政権、第2次安倍政権においてしか実現していない。橋本・小渕時代は、田中派の遺産の総決算期であったが、橋本氏の消費増税の失政と小渕氏の短命によって約4年で幕を閉じた。

小泉政権は政策に関しては評価し難いが、経済の失政を本人のカリスマ的なPR力で補うとともに、アメリカに完全に軸足を置くことで、安定統治を実現した。

第2次安倍政権については言うまでもない。憲法改正を阻止しようとするリベラルメディアからの執拗な安倍叩きに晒されながら、いくら底を打っても、支持率40%~50%台に回復する驚異の粘りを見せている。

次期首相は、誰であれ、政見や政策以前に安定統治を実現すべく周到なプランを練らねばならない。統治の安定が失われた途端、日本は経済・雇用・外交・安全保障全てが暴風雨に巻き込まれるからだ。

安倍政権でも果たせなかったこと

第2の「重大危機の解決能力」は、安倍政権においては大胆な金融緩和によるデフレ脱却の決断であった。完全な脱却には至らなかったものの、長らく1万円前後を停滞していた日本の株価は、2万円から2万5千円の間を安定して推移するに至り、雇用状況、最低賃金などは最も高い水準で推移している。

また、政権前半に矢継ぎ早に実現された特定秘密保護法、NSC創設、安保法制も日本の安全保障政策の重大な転換であり、この2点において第2次安倍政権は、平成年間の政権中、最大の危機解決能力を示したと言ってよい。

尊厳の保持は外交の本質である。実を取れば外交になるのではなく、体面をどう取るかを通じて実を生むのが外交だ。戦後日本の外交は吉田茂氏以後、あまりにもしばしばこの原則を逸脱してきた。

安倍外交が卓越しているのは、軍事・情報力の限定されたわが国で、アメリカに対しても、中国、韓国に対しても、決して国家の尊厳を売り渡さなかった点にある。

石破茂はなぜ政治家失格なのか

これら3点を、次期総理はどこまで達成できるか。

石破氏について、まず見たい。

だが、他の総理候補の国民支持率がどんぐりの背比べであるなかで、石破氏の支持率は安定して高水準にある。安倍氏周辺の政治家のなかには、有力な総理候補がまだ見当たらない。このような状況では、結局世論調査の数字を根拠に、自民党総裁選が雪崩をうって石破氏に流れることは充分あり得ると見なければならない。

では、石破氏は総理の任に堪え得るか。

私は、残念ながらそうは考えない。

氏は、『文藝春秋』の最新号2020年7月号に「安倍総理は国民を信じていないのか」を寄稿しているが、その冒頭を次のように語り始めている。

「政治家のしごとはたった一つ。勇気と真心を持って真実を語る。それができないなら絶対になるな」。私が政治家になる前、渡辺美智雄先生から言われた言葉です。

「安倍政権は国民に嘘をついている」という安倍叩きに便乗した発言だが、この一節をもって、石破氏が政治家失格であることは私には明白に思われる。

「勇気を持って真実を語る」のは言論人の仕事であって、政治家の仕事ではないからだ。

安倍氏ならば、真実を語ることが政治家の役割だとは決して言うまい。

なぜなら、政策決定、人事、外交全ての政治プロセスにおいて、政治家がありのままの真実を語ることなど決してあってはならないし、できない相談だからである。政治の本質は、相矛盾し、激突する利害の調整であって、事が重大であればあるほど、過程は秘匿されねば成果は得られない。

政治家が真実など語った日には、結果は全てぶち壊しになる。「政治とは勇気をもって真実を語ることだ」と語った段階で、石破氏は本質的なを嘘ついていることになる。「クレタ人は嘘をつかない」と嘘つきのクレタ人は言った、という古典的な逆説である。

逆に、だからこそ安倍氏は言い続けてきたのではなかったか、「政治は結果である」と。

総理にならないとできないのか

では石破氏は現実にはどんな結果を生み出してきたのか。

たとえばこの論文には、私は以前から「防災省」を作るべきと主張していますとある。また別の一節には、私は、いまの日本には行き過ぎた「株主優先金融資本主義」というべき部分があると思っていますとあり、それに対して、氏自身は「地域分散・内需主導型」を目指すと語っている。

大規模災害が発生したら内閣総理大臣が総指揮を執り、官房長官が実務を掌握する。その時防災大臣は何をするのだろう。

そして次の地震、台風、津波、原発事故、疫病、すべて対処法も専門も職掌も全く異なる。それらすべてに対応できる省とは、もう一つの小さな政府ではないか。

それにもかかわらず、石破氏が独自の見識を以てあえて防災省の必要を痛感しているのだとしよう。それならばなぜ、いままでに作らなかったのか。

石破氏は15年以上にわたり、いつも有力な首相候補として要職を歴任してきた。新たな省庁創設は、首相にならなければできない話ではない。時の総理に進言し、閣僚ないし党要職にあってその動きを主導すればよかったではないか。

「株主優先金融資本主義」批判も、大した意味はない。現在、世界のどの国であっても、株価を度外視して国力の保持はあり得ない。外貨の呼び込み抜きに、内需の拡大も図れない。

もちろん、経済循環を地域、内需優先の政策に重点を置くというのなら理解できる。

私も同じ立場である。

だが、それならば、実際の石破氏は何をやったのか。

石破氏は『文藝春秋』の2019年11月号「論理の破綻した憲法改正は許せない」という記事のなかで、歴代総理の理想の指導者についてこう言っている。

角栄先生は“魔神”なので、論じる対象にならないんですよ。やっぱり竹下登総理の忍耐力に近づきたい。橋本龍太郎総理のあの勉強力に近づきたい。福田康夫先生のあの厳しさと思いやりに近づきたい。小泉総理は天才なので、真似すると大変なことになる。

要するに、安倍氏の名前を挙げず、氏と不仲な福田氏と小泉氏の名前をわざわざ挙げただけの嫌味だが、思い返せば、かつて参議院選で惨敗した安倍氏の背中から弾を打った石破氏を、あえて幹事長に抜擢したのは安倍氏である。これは相当の「忍耐力」であり、「思いやり」ではないのか。

何しろ、この時の総裁選は、第1回投票の党員票で石破氏が安倍氏を制していたのである。地方票を制した石破氏は、新総裁にとっては脅威だ。それを重要閣僚ではなく、あえて幹事長につけるのは、いわば「魔神」的決断ではないのか。

もし石破氏に能力があれば、次の総裁選を睨み、地方を幹事長の支配下に置くことは容易だったはずだからである。

では、その幹事長時代、石破氏はどのような能力を示したのか。防災省創設に向かって動いたのか。次期総理に相応しい権力基盤を作るために、地方活性化に動いたのか。選挙で勝利を主導したのか。寡聞にして私はその実績を聞いたことがない。

その後、石破氏は、安倍総理から安保担当相を打診された時に、憲法観が異なるという表向きの理由でこれを断った。安倍氏自身が「自分の考えは総理になった時にやれば良いではないか。私がいま政権にいるんだから、まず私の考えの実現に汗をかいてくれないか」と説得したのを拒んでのことであったと聞く。

安倍晋三と石破茂

が、私自身が見聞したのは少し別の話である。石破氏に極めて近い人物から、この時、私は次のようにねじ込まれたのをはっきり覚えているのである。

「安倍さんは石破に防衛相を打診してきた。もう石破は防衛相を2度もやっているんだ。また同じポストをやらせるとは舐めているのか。石破は、外務大臣兼副総理でない限り受けないから、安倍さんにそう言ってくれ」と。

副総理は麻生太郎氏だし、そもそもが名誉職である。金丸信氏など過去の副総理を思い浮かべても、次の総理を狙う人間が欲しがるポストではあるまい。妙なことを言うものだと、不思議に思った記憶が残っている。

強力な指導力を発揮し、党幹事長を務めた強みを活かし、自民党の地方支部および地域の商工会、中小企業団体、青年会議所などを連動・組織化し、地域の経済指標を取りまとめ、地域ごとの成果と失敗を解析して国の構造を転換する──安倍総理が外交安全保障に専心しているなかで、石破氏はこの時、事実上の内政担当総理になってしまえばよかったではないか。

石破茂と菅義偉

党員票で負けた相手を幹事長にするほど寛大な安倍氏のことである。石破氏が内政を強力に主導したとしても、それを妨害したとは思えない。

官邸が嫌悪する小池百合子氏が東京都知事になっても、安倍氏は小池都政に政治介入した形跡はない。安倍氏は政敵を積極的に潰すタイプの政治家ではないのである。

それにもかかわらず、石破氏は、内政における事実上の総理の立場を築けなかった。

女房役を遥かに超えた「功績」

安倍政権のグランドデザインにおいても、菅氏が要石となってきたのは間違いない。

政権発足初期の2013年11月18日の『プレジデント』でのインタビューで、菅氏は次のように述べている。

──憲法改正は安倍首相の持論ですが、今後、どんなスケジュールで。
【菅】まず臨時国会で経済対策、国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案、それに伴う特定秘密保護法案、国家公務員制度改革法案や社会保障制度改革のプログラム法案などをきちんと成立させた後、集団的自衛権に取り組む。憲法はそれから先の話だと思います。

結果を見れば、この時点で菅氏が明言していたプランどおりに事は進んだ。こうしたプランの順調な実現が、氏の強力な政権運営、政策実行力抜きにあり得なかったのは間違いないだろう。

気を付けておきたいが、これは本来の官房長官の職掌ではない。
統治能力のみならず、政策実現にここまで直接功績のある官房長官は空前だろう。

一方石破氏が、菅氏より不利なポジショニングを強いられたという言い訳は通用しない。石破氏は、多年、総理候補と見做され、マスコミの好意的な後押しと、抜群の知名度を持つ。石破氏には派閥があるが、菅氏にはなかった。

まして、官房長官にできて、自民党幹事長にできないという理屈は全く通らない。

戦後政治史においては、大物幹事長が子分を作り、政局、政策を大きく左右してきた。石破氏はその立場を全く使いこなせなかっただけである。逆に、菅氏は総理の女房役に過ぎなかった官房長官の地位を、かつての大物幹事長のように格上げした。

政治理念がどうかの前に、統治能力と政策実現力で、菅氏と石破氏では、すでに勝負はあったのである。

ところが、それが妙な具合に作用して、昨年秋から、菅氏は急激に失速する。

菅官房長官を襲った逆風の嵐

事の始まりは、令和改元時に、安倍総理が、令和の元号を菅氏に公表させたことに始まったようである。昭和天皇崩御の直後の元号発表だった平成の場合、官房長官がそれを発表したのは自然だが、今回は純然たる慶事であって、事の重さを考えれば安倍総理自らの発表であっておかしくなかった。

安倍氏はあえてそれを菅氏に譲った、と私は仄聞している。

ここまでくれば、これはさすがに政権内部、霞が関、自民党総出での、菅潰しに見えてくるのも已むを得まい。

「菅総理」は安定統治を保持できるか

頭角を現した時のそうした「潰し」を乗り切って権力の座に就くほかないのが政治家の宿命である。氏が、いまの包囲網を突破できるかどうかは、その器と天命にかかっており、私の関知するところではない。

個人的な親近感ゆえに菅氏を持ち上げていると思われても困るのではっきり書いておくが、私は菅氏とは親しい関係にない。私が菅氏に連絡することは稀であって、その大半は注文を付ける電話である。氏にとって、私はそう面白い存在ではなかろうと推測する。

だが、菅氏は決して拒んだことがない。電話を取らねば済むだけなのに、クレーム後の処理についてまで──おそらく不快感を押し殺して──折り返しの電話をくれる。凡百の人間には不可能なことだと感心したこともあった。

次期宰相選びは、この国の命運を大きく左右する。
ポスト安倍は、競馬レースのような気軽な話題ではない。

論壇の、また国民の間での宰相論をこの国において活性化させること、総理大臣の器とは何か、ポスト安倍時代の宰相の条件を論じ、また宰相候補たちの実力を厳正に診断して世に伝える一方、候補たちも国家観と政策を堂々と語り、その能力を国民に示すこと──それがいかに切実な問題かということを、もう一度冒頭に戻って確認していただきたい。

次の宰相選びに失敗すれば、わが国は安倍総理によって確保できた高度な安定を瞬時に失う。安倍時代は一場の夢と化す。

人口激減に対処し、中国の脅威を厳として退けながら、文化とイノベーション、平和な繁栄の中核的大国であること──本当にそのヴィジョンを手掛け、この国の安定統治を保持できるのは誰なのか。

問われているのは宰相候補の側だけではない。論壇、そして国民の、日本を亡ばさぬための厳粛な覚悟と見識が問われているのである。

(初出:月刊『Hanada』2020年8月号)

著者略歴

小川榮太郎

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