黄金の6年間:成りあがった矢沢永吉「俺、矢沢。ヨロシク!」 1978年 6月1日 矢沢永吉のアルバム「ゴールドラッシュ」がリリースされた日

糸井重里が言語化した「俺、矢沢。ヨロシク」

「頭上から右に20度の方向に、大きな丸のままの地球が浮かんでいた。透明な青と暖かな白のまだら模様の球体が、暗黒な天界でひとり神秘な光を放っていた――」

これは、アポロ12号に乗船した宇宙飛行士アラン・ビーンの言葉である。彼は月面から眺めた地球のあまりの美しさに感動し、NASAを退職した後、その瞼に刻まれた残像を忘れまいと、絵描きの道に進んだという。ちなみに、月面から宇宙に浮かぶ地球を眺めた飛行士は、今日までわずか12人しかいない。

当たり前だが、地球に暮らす僕らは、この宇宙で最も美しい星、地球を眺めることはできない。地球の美しさを最もよく知るのは、月である。そう、自分の顔を最も目にするのは自分よりも、家族や友人や職場の同僚であるのと同じように――。転じて、自分の性格は自分自身よりも、案外、身近な人の方が知っているとも。

「俺、矢沢。ヨロシク」
―― 言わずと知れた、永ちゃんこと、矢沢永吉サンの口ぐせである。だが、この言い回し、もともと永ちゃんは、それほど口にしてなかったという。初めてそれを言語化したのは、糸井重里サンである。そう、言わずと知れた永ちゃんの自伝『成りあがり』のインタビュアーであり、構成者。糸井サンが長時間、矢沢サンと向き合い、その言葉を文章に変換し、章立てして、一冊の本にまとめた後―― 永ちゃんは初めて自分自身と向き合ったのである。そして、気がつけば『成りあがり』で語られた “自分” を演じるようになっていた。

矢沢永吉がスーパースターに成りあがる年、これもまた黄金の6年間

永ちゃんほど、都市伝説の類いが多いミュージシャンもいない。自動ドアにアタマをぶつけて、ドアに「フェアじゃないね」と語りかけたとか――。でも、真偽は別として、その種の話が本当のように思えてしまうのは、一周して本人の耳にも入り、もしかしたら永ちゃんがそのキャラクターに寄せている―― という一面もあるかもしれない。まるでモノマネされる本人が、モノマネタレントに寄せられるように――。

さて、今日9月14日は、そんな矢沢永吉サンの71歳の誕生日である。おめでとうございます。全然見えませんが。

なぜ今回、永ちゃんを取り上げたかというと、僕がこのリマインダーに連載している企画「黄金の6年間」に、ピタリとハマるからである。キャロルを解散した後、ソロに転じた永ちゃんがスーパースターに成りあがるエポックメーキングの年が、まさに黄金の6年間の起点である1978年なのだ。そう、「時間よ止まれ」と『成りあがり』の年――。

 罪なやつさ Ah PACIFIC
 碧く燃える海
 どうやら おれの負けだぜ
 まぶた閉じよう

永ちゃんのソロデビューは、わずか2年半の活動で終止符を打った伝説のバンド、キャロルのラストライブから5ヶ月後の1975年9月21日―― シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」と、同名アルバムのリリースに始まる。そのバラード調の曲構成は当初、シンプルなロックを求めるキャロル時代のファンから不評だったのは有名な話である。

1975年ソロデビュー、急速なファン離れと永ちゃんの勝算

この年、永ちゃんは急速なファン離れを起こす。今や “リメンバー佐世保” として語り草になっている佐世保公演は、スタッフが無料券を配りまくるも、1,500人のキャパシティーに、わずか200人しか集まらなかったという。

だが、永ちゃんには勝算があった。それは、類い稀なるメロディーメーカーとしての才能だ。クオリティの高い楽曲のリリースを続ければ、必ずやファンは戻って来てくれる、と。事実、ファーストアルバムは徐々にその評価を高め、続く1976年6月リリースのセカンドアルバム『A Day』には、今やライブのアンコール曲として定番の「トラベリン・バス」が収録された。曲に合わせて観客が “タオル投げ” を行なう、アレである。

そしてソロデビュー3年目の1977年には、日本のロック・ソロミュージシャンとして初の日本武道館単独公演を敢行するまでに――。ここへ至り、キャロル時代の人気を完全に回復する。

いよいよ、永ちゃんが真のスーパースターへの扉を開く運命の年が、間近に迫っていた。黄金の6年間である。

ロックと化粧品メーカー、異色のタイアップ「時間よ止まれ」

 夏の日の恋なんて
 幻と笑いながら
 この女(ひと)に賭ける

1977年暮れ、永ちゃんのもとに、CMのタイアップ話が持ち掛けられる。クライアントは資生堂。自立した女性をイメージさせるために、敢えて “ロックミュージシャン矢沢永吉” に曲を依頼したいという。コピーは同社宣伝部の小野田隆雄氏の発案で「時間よ止まれ」。CMの絵コンテも提示され、永ちゃんはそれらのイメージを膨らませ、ツアーの合間を縫って作曲する。作詞は、永ちゃんの推薦で、歌謡曲の大御所・山川啓介サンが起用された。

年が明けて1978年1月7日、レコーディング。この時のメンバーが凄い。キーボードは坂本龍一、ドラムは高橋幸宏、ベースは後藤次利、パーカッションは斉藤ノヴ―― ちなみに、YMOが結成されるのは、この翌月の2月19日である。

かくして、同年3月21日―― 矢沢永吉5枚目のシングル「時間よ止まれ」がリリースされる。ほどなくして資生堂のCMの放映が始まると、男性ロックミュージシャンと化粧品メーカーの異色のタイアップは、たちまちお茶の間の話題になった。さらに、楽曲の持つメロディアスな旋律も人々を惹きつけ、永ちゃん自身初となるオリコン1位に輝く。そして、ミリオンへ――。

 汗をかいた グラスの
 冷えたジンより
 光る肌の 香りが
 おれを酔わせる

勝因は2つある。1つは、黄金の6年間の象徴 “クロスオーバー” である。永ちゃんと資生堂―― 異分野の両者を結び付ける不思議な力がこの年、働いたこと。そして、もう1つが、メロディーメーカー矢沢永吉の覚醒。そのロックミュージシャンは、ことのほかバラードの旋律に長けていたのである。

アルバム「ゴールドラッシュ」、そして自伝激論集「成りあがり」

1978年6月1日、「時間よ止まれ」も収録された自身4枚目となるアルバム『ゴールドラッシュ』をリリース。もはや時代の風は永ちゃんに吹きまくっており、こちらも5週間に渡ってオリコン1位の大ヒット。

そして極め付きは、同年7月―― 本コラムの冒頭でも紹介した、永ちゃん初の自伝『成りあがり』の上梓である。まだ、コピーライターとして知る人ぞ知る存在だった糸井重里サンが四六時中、永ちゃんに張り付いて、片っ端から話を聞いて、テープを回し続けた力作。故郷・広島で過ごした極貧の少年時代から、ワルの中学時代、初恋を貫いた高校時代、夜汽車での上京、途中下車した横浜時代、そしてキャロル―― 現在、僕らがイメージする永ちゃんの基本スペックは、この本で作られたと言っても過言じゃない。

『成りあがり』は売れた。売れに売れて、ミリオンセラーになった。元より「時間よ止まれ」で風が吹いていたのに加え、その本自体が抜群に面白かったのだ。永ちゃんの語る話は青く、切なく、泥臭く、圧倒的な上昇志向があった。それを糸井サンが永ちゃんの息遣いまで聞こえてきそうなリアリティある語り口に変換し、魂を吹き込んだのだ。

 幻でかまわない
 時間よ止まれ
 生命の めまいの中で

この年、1978年―― 永ちゃんは長者番付歌手部門で初めて1位になる。そして、文字通りスーパースターとなった彼は、自らの “輝き” を『成りあがり』を通して可視化したのである。

「俺、矢沢。ヨロシク!」

成りあがった男の、新たな伝説の幕開けである。

※ 指南役の連載「黄金の6年間」
1978年から1983年までの「東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代」に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、その理由を紐解いていく大好評シリーズ。

■ 黄金の6年間:映画「男はつらいよ」変化の時代に繰り返される黄金の様式美
■ 黄金の6年間:編曲家 大村雅朗と松田聖子の「SWEET MEMORIES」
■ 大滝詠一と松本隆の黄金の6年間「A LONG VACATION」が開けた新しい扉
etc…

カタリベ: 指南役

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