サッカー天皇杯 長崎県勢の歩み 過去最高はV長崎の3位 「番狂わせ」見どころの一つ

【第99回大会準決勝、V・ファーレン長崎―鹿島アントラーズ】サポーターの声援を受けて躍動したV長崎の選手たち=茨城県鹿嶋市、カシマスタジアム

 第100回天皇杯全日本サッカー選手権(日本サッカー協会、Jリーグ主催、共同通信社、NHK共催)が16日に各地で開幕する。アマチュアがプロを破る番狂わせも見どころの一つになっている大会。いつの時代も格上へ挑む姿に、観客は沸いてきた。昨年、V・ファーレン長崎が過去最高となる3位に輝いた光景も記憶に新しい。節目の年のキックオフを前に、県勢の歩みを振り返る。

■デビュー戦

 県勢の“デビュー戦”は1952年。当時は各地区代表と前回王者、開催地枠の計16チームが参加する形式で、九州代表として島原クラブが初出場した。結果は強豪の大阪クラブに0-4で敗れたが、県サッカー史に貴重な一ページを記した。
 以降は八幡製鉄や福岡大など福岡勢が九州代表に君臨。県サッカー界にとって空白の期間が続いた。新たな一歩を踏み出したのは44年後の96年、各都道府県代表が出場する形式となってから。初代県代表となった国見FCが1回戦で上田ジェンシャン(長野)を2-1で破り、県勢初勝利を挙げた。2回戦はFC東京の前身でJFLの東京ガスに0-8で敗れた。
 97年は県内で初めて天皇杯が開催された。会場は諫早市の県立総合運動公園陸上競技場。初出場の三菱重工長崎が、初芝橋本高(和歌山)にシュート21本の猛攻を仕掛けた。前半40分に安部真一が先制点、42分に東尾和希が追加点を挙げ、2-1で競り勝った。根橋和文監督は「相手は高校生で負けられないというプレッシャーもあった」とほっとした表情をのぞかせた。2回戦は前回王者でJリーグのヴェルディ川崎に0-2と善戦した。

【第77回大会1回戦、三菱重工長崎-初芝橋本高】三菱重工長崎の安部(中央)が先制ゴールを決める=諫早市、県立総合運動公園陸上競技場

■国見高健闘

 99年からは国見高が5年連続出場。夏の岐阜インターハイ、秋の富山国体を制して臨んだ2000年は、初戦で関西学生リーグ王者の立命館大を撃破した。続くJ2アルビレックス新潟戦は0-2で敗れたが、大久保嘉人、松橋章太にボールを集めてシュート14本を放った。国見高はその後、年末年始の全国高校選手権も制して全国3冠を達成した。
 県勢としても、高校生チームとしても初めて3回戦に進出したのは02年。初戦は2年生エース平山相太の「公式戦では初めて。記憶にない」というハットトリックで、山形中央高に3-0で快勝した。2回戦は大学選手権準優勝の国士舘大に、柴崎晃誠の2ゴールで2-1で逆転勝ち。この年、J1完全優勝のジュビロ磐田戦は園田拓也、関憲太郎を中心に粘り強い守備で大健闘した。0-2で敗れたが、小嶺忠敏総監督も「ひとケタ(の失点)で終わればいいと思っていた」と満足げだった。
 01、02年は国見高が全日本ユース選手権優勝チーム枠で出場したため、県代表枠で長崎大、三菱重工長崎もエントリー。地元のサッカーファンを盛り上げた。

【第82回大会3回戦、国見高-ジュビロ磐田】国見高の松橋(右)が磐田の田中と競り合いながらゴールに迫る=静岡県磐田市、ジュビロ磐田スタジアム

■V長崎躍進

 県勢最多出場は13回のV長崎。九州リーグ時代の06年に初出場すると、07年は3回戦まで進出した。その後は横浜F・マリノスや東京ヴェルディなどJクラブの壁を越えられず、しばらくは2回戦敗退が続いた。
 4回戦へ進んだのは14年。J2リーグ2年目のシーズンを戦っていた高木琢也監督率いるチームが、J1新潟を倒した。0-1で迎えた後半41分、前田悠佑のクロスを古部健太が押し込んで同点。延長前半11分に高杉亮太が決勝点を挙げた。
 V長崎の躍進は続き、昨年、初の4強入りを果たした。手倉森誠監督体制1年目。リーグ戦で出場機会を得られない“サブ組”を中心に戦い、2回戦は延長戦、3回戦はPK戦の末に辛勝。ここまでは格下相手に苦しんだが、続く4回戦でJ1仙台から金星を挙げると、準々決勝も甲府とのJ2対決を制した。準決勝は総力戦で臨み、J1鹿島に2-3と健闘した。
 今年はコロナ禍の影響で、参加チーム数が昨年の88から52に減少。大会規模が縮小され、Jリーグ勢もJ1の上位2チーム、J2とJ3のリーグ覇者だけしか出場できない。J2のV長崎は現時点で首位争いをしており、初優勝を果たせば、12月23日の準々決勝から登場する。県代表は社会人チームのMD長崎が2年連続4度目の挑戦。異例の大会で県勢がどこまで勝ち上がれるか楽しみだ。

天皇杯県勢の成績

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