7月豪雨 自然の猛威伝えたい 古里熊本の被災状況写真に 竹本さん 県立大4年

被害を受けた実家の写真を見せながら当時の状況を語る竹本さん=佐世保市内

 7月の豪雨で甚大な被害が出た熊本県南部。当時、長崎県立大経営学部4年の竹本拓史さん(21)=佐世保市=は熊本県人吉市の実家に帰省中だった。大雨で自宅は全壊し、古里は変わり果てた姿に。それでも「被災地のことを伝えたい」。竹本さんは現地の様子を写真に収め、自主製作中の雑誌に掲載する予定だ。
 7月3日。竹本さんは、人吉市の実家に帰省していた。木造2階建て。球磨川の側にある。「暴れ川」と呼ばれる球磨川。梅雨の時期に氾濫しそうになれば、高台にある母親の実家に避難するのが子どもの頃からの習慣だった。
 4日午前4時ごろ、緊急事態を告げる携帯電話のエリアメールがけたたましく鳴り響いた。竹本さんは両親と姉の4人で母親の実家に避難。眠れずにテレビを見ていると、球磨川が氾濫する様子が映し出された。「ただ事じゃない」。心がざわついた。
 夜が明けて雨がやみ、実家に戻る車の窓から目にしたのは悲惨な光景だった。土砂が家々を押しつぶし、至る所で車が横転していた。姉はそれを見て涙をこぼした。実家は窓が流され、土砂が流れ込んでいた。家族の思い出が詰まったアルバムも、祖母の形見の着物の帯も流されていた。
 翌日から1週間、泥出し作業をして、14日に佐世保に戻った。大学の友人から「被災地の様子を発信しよう」と提案され、21日、再び故郷に戻った。
 約1カ月かけて「被災地」になった古里を撮影。川の氾濫で水に漬かった球磨村にも足を運んだ。想像以上の被害に胸が痛んだ。それでも住民はへこたれていなかった。「球磨川と一緒に復興せんば」。打ちのめされても立ち上がろうとする強さを感じた。
 「災害のことを伝えなきゃ。残さなきゃ」。竹本さんは夢中でカメラのシャッターを切り続けた。撮影した写真は、現在、仲間と製作中の雑誌に一部を掲載することにしている。「被災地の実情を知り、災害について考えるきっかけにしてほしい」。豪雨災害の「当事者」の一人として、そう強く願っている。

 雑誌は年内の完成を目指している。問い合わせはメール(tajuramozoph@gmail.com)で。

竹本さんが撮影した熊本県人吉市の被害の様子=7月30日(竹本さん提供)

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