【佐々木淳コラム:在宅医療の現場から】彼が帰ってきた理由

©️Jun Sasaki

診療を終えて家に帰ろうとした時、進行胃癌の男性が吐血したと訪問看護師さんから相談あった。本人は病院には行きたくない、点滴もしたくない、このまま自宅で最期まで過ごしたいと話しているという。

訪問診療は入っていない。今夜急変されると、警察による検案死になってしまうかもしれない。
ご本人の状態確認と今後の対応方針を考えるため、とりあえず向かうことにした。

山の日の夕方、対向車線の渋滞は房総半島からの行楽帰りの車列か。目的地に到着したのは日がまさに沈もうとするタイミング、電話をくれた訪問看護師さんが待っていてくれた。

タバコのヤニで燻んだ部屋の中に設置された真新しい介護用ベッドの中に彼はいた。挨拶をすると身を起こしてスムースに名刺を受け取ってくれた。思っていたよりも元気そうで、少しホッとした。血液が染み込んだティッシュの塊を見せてくれた。量としてはそんなに多くはない。看護師さんが教えてくれたバイタルサインにも緊急性はなさそうだ。

聞けば会社の健診を受けていたころから貧血と断続的な黒色便があったとのこと。
病院で進行癌・多発転移と診断され、一切の治療を断り、自宅に帰ってきた。60数年、一人自由気ままに生きてきた、という感じの一戸建ては、今はなき両親と暮らした彼の生家なのだという。

治るなら入院して頑張るけど、そうでないなら自分の好きなように時間を使いたい。診断から予後宣告、そして退院。ほんの短い期間に、自分の意思で選択した生き方。
今すぐどうこう、ということはなさそうですよ、とお話しすると、彼はちょっとホッとしたような表情を浮かべた。
もしかするとまだ少し迷いもあるかもしれない。だけど、たぶん、ここに帰ってくるのだろうと思う。

帰る間際に、実は彼は一人暮らしではなかったことに気づいた。小さなヨークシャーテリア。ケージの隙間からこちらを心配そうな顔で見ていた。
家に帰ってきたかったのはもしかしたらこの子がいるからかもしれない。

入院しない、治療しない、というのは、もちろん何もしないというわけではない。
明日からきちんと体制を整えて、この家で、この子と少しでもいい時間を過ごせるようにサポートしていけたらと思った。

佐々木 淳

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長 1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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