中島宏著『クリスト・レイ』第41話

 「カクレキリシタンというのは、隠れキリシタンというふうに書きますが、それは、表面からは隠れたキリスト教徒のことをいいます。あれだけの厳しい弾圧を受けた当時のキリスト教徒たちは、潜伏して、つまり隠れるようにして、密かにキリスト教を信じ続けたということなの。少しでもキリスト教のことを口にすれば、即座に捕らえられて牢獄に入れられ、厳しい追求を受けるだけでなく、拷問にかけられて改宗させられるのですから、絶対にそのことを表面には出せないことになるわけね。
そうやって、ひたすら隠れるようにしてずっと長い間何代にも亘って生きて来たのが、カクレキリシタンなのです。
それは、私たちが今、想像するような簡単なものではなく、絶えず命を賭けた生き方だったということね。それが、あの十六世紀の昔からずっと、十九世紀末に至るまでひたすら引き継がれてきたの。ちょっと考えられないようなことだけど、それはまぎれもない事実なの。クリスト レイ教会に祀られている、あの殉教者たちもみんな、そういう生き方をした人たちでした。そして、この教会のモデルになった、九州の福岡県にある今村教会も、そういう人たちが集まって建立したものです」
「その今村教会というのは、いつごろ建てられたのですか」
「一九一三年に完成しました。もっとも、計画されたのはその五年前の、一九0八年だから、ちょうど、初めて日本移民がこのブラジルにやって来た年に当たるわね」
「そのときはもう、自由にそういうものが建てられたのですか」
「もちろんそうよ。キリスト教の禁止が解かれたのは一八七三年だったから、それからはもう大分年月が経っていたということになるわ。とにかく、徳川幕府が倒されて、明治という新しい日本の政府ができてからは、すべてが民主的で自由な国になったということね。ある意味でそれは、西洋化への急速な変化だったということにもなるわ。
その時代から、日本で生き残ったキリスト教徒たちは、晴れてキリスト教を自分たちのものとして、堂々と表面に出すことができたわけね。その時点で、長かった日本での隠れキリシタンの歴史も幕を閉じたということなの」
「そして、その隠れキリシタンの人たちは、さっきアヤも言ったように、福岡県の今村という所に沢山住んでいたということですね」
「そう、その今村という所は、隠れキリシタンが共同体のように、一つの村を作るようにして、ずっと存在してきたわけね。似たようなことは、長崎県の平戸という所でも見られたわ。長期間に亘って、そういう所からはキリスト教の秘密が全然もれていかなかったということなの。これって、すごいことでしょう」
「たしかに、すごいことですよ。しかも、幕府からの厳しい弾圧が続く中でのことだから、普通ではちょっと考えられないような出来事ですよ。
それにしても、そういうキリスト教を取り巻く物語が日本にもあったということは、信じられないほどのことですね。何だか奇跡の物語を聞いているようで、かなり興奮しますよ。僕はカトリック信者だけど、今まで宗教というものをそれほど真剣に考えたこともなかったから、この隠れキリシタンの話はとても新鮮で、印象深いですね。
それで、その今村という所から、遥々、このブラジルへ移民して来たということのようだけど、そこには何というか、宗教に関係した問題があったということなのですか。たとえば、長期に亘った、あの過去の迫害の影響がまだ尾を引いているといったような、そういう事情もあったのでしょうか」

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