豊平のあゆみ~まちの生い立ち編~(2)

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■4 札幌市との合併実現
○紆余曲折(うよきょくせつ)の末に決着した問題
戦後の懸案(けんあん)事項だった札幌市と豊平町の合併は、推進派の本間義孝(ほんまよしたか)氏が町長に当選した昭和32(1957)年6月から本格的に動き出し、調査・研究が進められました。ところが翌年4月、反対派議員が提出した「豊平町を市に昇格させる案」が可決されたことで事態は急変。以降、町議会では合併案が2度も否決されるなど、混迷を極めます。

そんな中、昭和34(1959)年の改選選挙で、合併に賛成する議員が過半数の議席を獲得。合併への機運が一気に高まり、札幌市との条件交渉も進展を見せます。迎えた昭和36(1961)年3月、町議会での投票の結果、賛成多数で合併案が可決となり、ようやく町を二(にぶん)した問題が終結しました。同年5月には署名を交わし、町民約8万人が正式に札幌市へ編入。こうして豊平町は、半世紀を超えるその歴史の幕を下ろすことになりました。

○豊平区の船出
アジア初の冬季オリンピックが札幌で開催された昭和47(1972)年。この年、札幌市は政令指定都市の仲間入りを果たし、豊平区を含む7区が誕生しました(旧豊平町は豊平区と南区に分離)。昭和49(1974)年には、区役所が月寒の仮庁舎から現在地に移転し、新たな一歩を踏み出します。
その後も順調に発展を続けた豊平区は、宅地化の進行なども相まって平成8(1996)年に人口30万人を突破。著しい人口の増加を受け、翌年、南東部が清田区として分区し、現在の10区体制に落ち着きました。

■5 新しい時代の幕開け
○“令和”も魅力あふれる街へ
今では、市内4位の約22万人が暮らす豊平区。国際規模の施設に恵まれた「スポーツのまち」として名高く、記憶にも新しい昨年のラグビーのワールドカップでは、国内外から訪れた多くの人々が声援を送りました。来夏の開催が予定されている東京オリンピックでも、札幌ドームでサッカーが行われる他、区内の一部がマラソンコースとなっており、一層の盛り上がりが期待されています。

[参考文献]
・『新札幌市史』(第一巻~第四巻)
・『豊平町史』
・『豊平町史補遺』
・『豊平区の歴史』など

次回は…2021年3月号
今後も、さまざまなテーマで今に至る豊平区の物語を掘り下げていきます

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