全国高校ラグビー100回目の冬<中> 長崎県勢の軌跡 長崎北陽台が最多27勝

第74回大会で準優勝した長崎北陽台。相模台工(神奈川)との決勝前半29分、FWがモールを押し込んでフッカー山内がトライを決める=花園ラグビー場

 1956年度の第36回大会に猶興館が初出場して以来、計9校が全国の舞台に立ってきた長崎県勢。第99回大会までの通算成績は62勝59敗3分けで、勝利数は全国15位。勝率の5割1分2厘は全国14位につけている。現在も11大会連続で初戦を突破している県勢の活躍をデータで振り返る。

■「青」のイメージ
 出場回数、勝利数ともに県勢最高を誇るのは長崎北陽台。1989年度の第69回大会に初出場して以来、計18回出場して27勝をマークしている。
 94年度の第74回大会で準優勝したのをはじめ、8強以上に進んだのは5回。第87回大会で4強、第75、85、98回大会で8強入りしている。初戦敗退は2回だけで、勝利数は全国34位、勝率(全国20勝以上)の6割は全国20位タイ。現在、花園で「青いジャージーと言えば長崎北陽台」というイメージが定着している。
 この基礎を築き、全国で通用するチームに育て上げたのが初代監督の浦敏明。創部2年目の83年に2回生が県高総体でノーシードから初優勝、翌年に3回生がV2を達成するなど、監督就任後数年で頭角を現した。
 3年生が「受験のため」と夏前に引退していたため、花園出場までには時間を要したが、3年生に「花園まで続けろ」と言わずに自主性を待った。全国準優勝をした年は創部以来初めて、3年生全員が自主的に残ったチームだった。浦はその後も監督、部長として指導に携わり、73歳になった今もコーチとして選手たちと一緒に泥にまみれている。
 準優勝した第74回大会はBシードとして2回戦から登場。東海大一(静岡)に順当勝ちすると、3回戦でBシードの男鹿工(秋田)を35-7で圧倒した。その後は大分舞鶴、同志社香里(大阪)に競り勝って決勝進出。ナンバー8山口明雄を軸にしたFW8人が「一つの塊」となって前に出て、SH八百山雪男、SO小森允紘、CTB山口大輔、松添健吉、FB今崎克也らバックス陣が仕留め続けた。
 けが人だらけで臨んだ相模台工(神奈川)との決勝は12-27で敗れたが、県立普通校の大健闘に花園は沸いた。浦は「立派なもの。最高の生徒たち」とたたえ、主将のフッカー山内慶も「北陽台ラグビーを全部出せた」と胸を張った。
 長崎北陽台はその後も結果を出し続けた。松尾邦彦が監督だった第87回大会の4強以降、上位進出を逃してきたが、2018年度の第98回大会で品川英貴率いるチームが11大会ぶりに8強進出。今季もコロナ禍の影響を受けながら、全国上位に絡めるチームに仕上がってきている。

■無印から快進撃
 長崎北陽台に続くのは、8回出場で11勝の長崎北。西野忠文が監督を務めていた1980年代から力をつけ、86年度の第66回大会に初出場すると、93年度の第73回大会でノーシードから4強入りを果たした。
 緒方広道が監督、本多秀典、久保田和典がコーチだった第73回大会。この年は3年生部員25人全員が春で引退せずに、花園を目指して一丸となったチームだった。主将のナンバー8神辺光春をはじめ、CTB深堀敏也、WTB吉田尚史、プロップ萩田将洋ら要所に好選手がそろっていた。
 1回戦で清真学園(茨城)、2回戦で黒沢尻工(岩手)に競り勝つと、3回戦でAシードの秋田工に22-19で逆転勝ち。準々決勝は大阪工大高に24-13で快勝した。“アタックル”と称された前に出るディフェンスを生かして、格上の相手を倒し続けた。準決勝は東農大二(群馬)の前に10-22で力尽きたが、緒方は「自分たちのラグビーを発揮してくれた。胸を張って長崎に帰れる」と目を潤ませた。

第73回大会でノーシードから4強入りした長崎北。準決勝後、悔しさと充実感が入り交じった表情で引き上げる選手たち=花園ラグビー場

 長崎北は本多が率いた2004年度の第84回大会、06年度の第86回大会も8強入り。第88回大会も花園のグラウンドに立った。残念だったのは11年度の第91回大会。県大会決勝で長崎北陽台と史上初の両校優勝となり、抽選で涙をのんだ。結果、花園出場は8回、県大会優勝は9回という記録になっている。

■県勢初の決勝へ
 3位は15回出場で10勝の諫早農。1966年度の第46回大会に初出場すると、68年度の第48回大会で4強、続く第49回大会で準優勝した。
 2大会連続4強以上を果たした当時は、69年1巡目長崎国体に照準を合わせて強化されていたチーム。林田友徳、深堀徹也の指導の下、実際に68年福井国体で準優勝、長崎国体は新潟と同時優勝を果たした。
 この好成績はそのまま花園に反映された。第48回大会は1回戦で黒沢尻工(岩手)を17-5で下すと、その後も淀川工(大阪)、日川(山梨)を倒して、県勢初の4強入り。準決勝は目黒(東京)に5-31で敗れた。
 長崎国体後に臨んだ第49回大会は「優勝候補の一角」という前評判通りの強さを見せた。主将のCTB里和敏、副将のナンバー8山内保晴を中心に、FW、バックスのバランスが取れたチームは快進撃。初戦の黒沢尻工(岩手)戦は5-3と苦しんだが、2回戦以降は熊谷工(埼玉)、福岡、慶応(神奈川)を連破して、県勢初の決勝進出を決めた。
 最後は目黒(東京)に16-20で屈したものの、選手たちの表情には充実感があふれていた。試合後、選手たちは敗れたチームとしては“異例”の部長胴上げをした。この光景にスタンドからは温かい拍手が送られた。

第49回大会で準優勝した諫早農。決勝は目黒(東京)と4点差の大接戦だった=花園ラグビー場

 諫早農はその後も県内トップレベルの力を維持。監督が久米俊一、元川浩司らに引き継がれた後も花園に出場した。2002年度の第82回大会を最後に遠ざかっているが、伝統のタイガージャージーは復活を期して練習に励んでいる。

■初勝利は長崎工
 4位タイは6回出場の長崎南と5回出場の長崎南山の6勝。長崎南は原宮之が率いた1970年度の第50回大会に初出場すると、いきなり3回戦まで勝ち上がった。
 惜しまれるのは諫早農が全国準優勝した69年度。春の県高総体決勝で諫早農に5-0で勝ちながら、3年生の引退もあって花園出場を逃した。原は「あの年はかなり残留を説得したんだが…」と今も悔やんでいる。
 長崎南山は市山良充が監督だった99年度の第79回大会に初出場。2回戦でBシードの啓光学園(大阪)に13-12で競り勝つ金星を挙げた。
 残念だったのは2度の引き分け。啓光学園を下した後の3回戦、第92回大会の2回戦ともに引き分けに終わり、抽選で次戦出場権を逃した。
 県勢の全国初勝利は58年度の第38回大会に初出場した長崎工。のちに諫早農を全国準Vに導く林田が指揮を執り、1回戦で沼津商(静岡)に9-3で競り勝った。長崎工は5回出場して2勝をマークしている。
(敬称略、学校名は当時)

県勢の成績

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