安倍政権の功も罪も継承を 菅義偉首相誕生に感じる「改革」の懐かしさ

By 尾中 香尚里

 16日の衆参両院での首相指名選挙で、第99代首相に菅義偉氏が就任した。約7年8カ月ぶりの首相交代だ。前日の15日には野党第1党の立憲民主党(新)が結党し、同党の枝野幸男代表を中核とする野党ブロックが確立された。10日の合流新党(新立憲民主党)代表選、14日の自民党総裁選は、遅くとも約1年以内に行われる衆院総選挙に向けた「首相候補の予備選」であり、本格政権の発足は、すべての有権者が意思表示できる衆院選を待たなければならない。永田町は久々の首相交代に沸いているが、菅首相の誕生は基本的に暫定的なもの、あるいは「次の政治への一里塚」に過ぎない。その前提に立ち、菅首相誕生に感じたことを書いておきたい。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

記者会見する菅義偉首相=16日午後9時5分、首相官邸

 「安倍政権が進めてきた取り組みをしっかり継承して前に進めていくことが、私に課された使命である」。菅首相は16日、就任後初の記者会見で「安倍政権の継承」をはっきりと掲げた。

 基本的に歓迎したい。辞任の理由が病気であれ何であれ、第2次安倍政権の功罪に「民意が審判を下す機会が全くない」ということは、決してあってはならないからだ。ましてや菅氏は安倍政権の官房長官である。「菅政権の政治は安倍政権とどこが同じでどこが違うのか」と問う以前に、菅首相には安倍政権の光も影も全て背負った上で、民意の審判を受ける義務がある。

 だから、菅氏が自民党総裁選を通して、アベノミクスなど安倍政権の「功」を「引き継ぐ」と訴える一方で、森友・加計問題など安倍政権の「負の遺産」については「(森友問題をめぐる公文書改ざんについて)財務省で調査し、処分も行っている。検察の捜査も結論が出ている」などと「終わったこと」のように述べたことには、正直不快感を抱いた。

「桜を見る会」であいさつする安倍首相=19年4月13日、東京・新宿御苑(代表撮影)

 都合の良いものだけを自分のものとして引き継ぎ、都合の悪いものだけを切り捨てることは許されない。会見で菅氏は「客観的に見ておかしいことは直して行かなきゃならない」とも述べた。ぜひその姿勢を堅持することを望みたい。

 例えば「桜を見る会」なら、求められているのは「今後の開催を中止」することではない。これまで開かれていた会にまつわるさまざまな疑惑や疑問に、誠実に応えることのはずである。

 こうした前提は前提として、ここでは別のことを指摘してみたい。菅首相の発言に感じた「懐かしさ」についてである。

 16日の就任記者会見。菅首相は前半、ほとんど安倍前首相が掲げていた政策をおうむ返しに語る印象だった。だが、後半に入ると少し様相が変わり、こんな言葉が並び始める。

 「世の中には国民の感覚から大きくかけ離れた、数多くの『当たり前でないこと』が残っている。わが国にあるダムの大半は、洪水対策に全く活用されていなかった。携帯電話大手3社が9割の寡占状態を長年にわたり維持して、世界でも高い料金で20%もの営業利益を上げ続けている……」

 そして「行政の縦割り」「既得権益」「あしき前例主義」を打ち破って「規制改革を全力で進める」と打ち上げる。このあたりが「安倍政権の継承」から踏み出して色付けされた「菅カラー」と言えるところだろう。

記者会見で記者の質問を聞く菅義偉首相=16日、首相官邸

 しかし、そこに新しさを感じることはない。むしろどこか懐かしい。これは平成の時代、55年体制崩壊後の野党が、いやと言うほど唱え続けてきたお題目だからである。

 筆者は11日公開の小欄「新立憲民主党の本当の意味 『民主党再結集』は的外れ」で、55年体制崩壊後の野党第1党が「保守二大政党論」の高まりの中で「自民党と同じ方向性のもとで個別政策の良しあしを競い合う」ことを求められてきたことを指摘した。

 新進党、民主党と続いた「平成の野党」は、55年体制下のイデオロギー対立のような対立軸を失い、自民党との差別化を図るため「改革」姿勢を強調した。彼らは自民党を「守旧派」、自らを「改革派」と位置づけ、縦割り行政や既得権益の打破をうたった。規制改革は地方分権と並ぶ「改革」のテーマだった。

 やがて野党に一定の支持が集まり始めると、自民党は2001年に発足した小泉政権の時代に「痛みを伴う改革」を打ち出し、野党から「改革」の旗印を奪う。そこからはしばらく、小泉自民党と野党・民主党(当時)が「どちらがより改革派か」を競う時代が続いた。

民主党の鳩山代表(右)と党首討論する小泉首相=2001年6月、国会

 菅首相が記者会見などで強調したさまざまな「改革」フレーズは、あの頃に野党側からいやと言うほど聞かされてきた言葉そのままだ。だが改革の言葉は踊っても、一体何を改革するのか、改革してどんな社会を作るのかが見えない。

 「ダムの活用」はかなり唐突だった。確かに近年、日本は毎年のように大きな災害に見舞われている。だが、災害対策はハード・ソフトともに多岐にわたり、なぜいきなりダムという一点に焦点が当てられるのか、いまひとつ飲み込めない。ましてや今や「ダムに頼りすぎる治水」への疑問の声も出ているのだ。

 携帯電話もしかりである。確かに、携帯電話の料金が安くなれば、単純にうれしいかもしれない。だが、このコロナ禍にあって、解決すべき課題が山積する中でなぜ今携帯電話なのか、これもピンとこない。

 どちらについても、別に「手をつけるべきではない」と言っているのではない。だが、それぞれの施策の狙いどころに統一感がなく、菅首相がこれらに手をつけることでどんな社会を作ろうとしているのかが、全く分からないのだ。

 「縦割り110番」にもあぜんとした。国民の声を聴くなとは言わないが、縦割りの弊害があるというなら、長期にわたって官房長官を務めてきた菅首相自身が、すでに問題の所在を理解しているはずなのではないか。

 「110番」などと言う前に「これらの弊害をこのように改め、こんな政策を行いやすくする」と、具体的に語れるのが当たり前なのではないか。この「110番」という響きに、あの当時の「野党っぽさ」というか、何とも言えない軽さを感じてしまうのだ。

 目玉政策とされる「デジタル庁」にも同じ印象を抱いた。21世紀初頭にはやった省庁再編の小型版のようなイメージだ。組織をいじれば何か改革したような気になる、そんな軽さをここでも感じる。

 菅氏の会見を聞いていて、逆に「当時の野党がなぜ支持されなかったのか」が見えた気がした。当時の野党、特に民主党・民進党は、党内に保守派からリベラル派まで幅広い議員を抱えていた。そのため「改革」のスローガンでは一致できても「改革してどんな社会を目指すのか」で認識を統一できず「どこを向いているのか分からない」という有権者の不信感につながった。

 菅首相の言葉にも、ほぼ同様の印象を抱く。

新立憲民主党の初代代表に選出され、壇上で泉健太氏(右)と拍手に応える枝野幸男氏=10日午後、東京都内のホテル

 菅政権誕生とほぼ同時に結党した新・立憲民主党は、こうした過去の野党像を脱ぎ捨て「過度な自己責任社会、新自由主義からの脱却」にかじを切った。野党が捨て去ったものが、今度は政権側から立ち上ってきた。

 かつて野党側から「改革」の言葉を散々聞かされてきた身には、菅首相が平成の時代の政治のアジェンダ設定から脱皮できていないように思えてならない。

 世界的なコロナ禍の中での政権発足である。時代の変わり目に立つ自覚を持ち、もう少し「次の時代」のありようを大きく描いた上で、そこから個別政策を練り上げるという「王道」を歩んでほしいものだ。

© 一般社団法人共同通信社