『君が夏を走らせる』瀬尾まいこ著 夏の日差しの鮮やかさ

 何もしなかった夏が終わる。海も花火も旅行だって、なんなら仕事もしなかった。窓を閉め切った27℃の部屋で、遠くの蝉時雨を聞いていただけの、井村屋のあずきバーを食べまくっただけの、連ドラの再放送を眺めていただけの夏が終わる。

 そんな季節の変わり目に手にしたのが本書。そういえば瀬尾まいこって読んだことなかったな。去年本屋大賞獲ってたし、タイトルいいし表紙かわいい。どこにも行けなかったこの夏に風穴を開けてくれそうな気がする。というわけで、文庫化されたこの機会に本書を紹介したい。

 ヤンキー高校生と一歳の女の子の交流を描いたひと夏の物語。主人公の大田は金髪にピアス、小学生からヘビースモーカーという噂で現在禁煙中の高校2年生。高校にもろくに行かず夢中になれるものもない彼のもとに、ある日一本の電話が入った。「夏休み、バイトしないか」。地元の先輩、中武に誘われて大田は二つ返事で承諾する。話を聞きに中武のアパートに行くと、そこには一歳の女の子がいた。おもちゃの車で遊んでいる。バイトとは1ヶ月の間、中武の娘、鈴香の子守をするというものだった。いやいやいやいや、無理無理無理無理と大田は遠回しに言い続けたが、先輩一家ののっぴきならない事情もあって、及び腰のまま引き受けるところから物語は始まる。

 最初はギャン泣きでシールで釣ってもビスコで釣っても見向きもしなかった鈴香。だが大田がお昼ご飯を工夫し、絵本を贈り、おむつを替え、公園に連れて行き、あれやこれやと喜ばせていくうちに、少しづつ、しかし確実に心を許していく。

 その交流は微笑ましく、読んでいるだけで穏やかな気持ちになる。のだが、ヤンキー大田、心配になるくらいいい奴なんだが大丈夫か。だって、例えば鈴香の子守が休みの日には鈴香に喜んで食べて欲しいからと料理を試作したり、公園で出来た「ママ友」とのおしゃべりでは若干オバさん化して順応したり、クラスの陰キャ女子(髪を腰まで伸ばして、前髪が顎のラインまである強者)が近所の夏祭りのステージでサックスを吹くことを知ると、わざわざ見に行ったりもする。さらにはその会場にいた小学生数人がステージ前で騒ぎ出したら、おりこうに椅子に座るよう子どもたちを促したりもするんだよ(しかも子どもの性格を瞬時に把握し、その子に響くように言い方を変えるという高度な技術)。挙句、陰キャの演奏を聴いた後、さっきの小学生が合唱をするようだから会場に残って聴いていくって言うんですよ!信じられます!?めちゃくちゃ、どちゃくそ男前な性格の持ち主なんですよ!!

 一人称で語られる口調も大人びていて、その雄弁さ、語彙、観察眼、考察力が素晴らしい。公園で出会ったほかの親御さんについて語る箇所があるんだけど、彼らがいい人ばかりなのは、そういう人が集まったんじゃなくて、子供たちに礼儀正しく公平であって欲しいから、それを示すためにふさわしい人間でいようと心掛けているのではないか、みたいことを考えるんですよ。えっ何それ。現代文、通知表の10段階評価で14くらいありそうな表現力。人生何周目?ってくらいの理解力。大田、本当は金髪ピアスのヤンキーじゃなくて小説家なんじゃない?ってくらいの表現力。

 優しくていい子だなあ。ひょっとしたら彼は瀬尾まいこの描く理想の少年なのかもしれない。わかる。だって萎縮することなくて清々しくて、気持ちのいい心遣いの持ち主だもん。そんな彼を通して触れた大田と鈴香の1ヶ月は、私にとっても特別な夏になった。今年の夏はこの本を読んだから、何もしなかったわけじゃないという気にまでなった。そんな真夏の強い日差しのような鮮やかさを残してくれる一冊だ。

(新潮社 670円+税)=アリー・マントワネット

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