【イラストでたどる萩往還】 No.18「国境の碑」

文・イラスト=古谷眞之助

 国境とは長門周防両国の境のことで、萩市と山口市の市境とほぼ重なる。文化五年(1808)に建て替えられた碑には「北長門国阿武郡、南周防国吉敷郡」と記されている。

 イラストの石碑の左側を進んで右手に回り込むと、東側の谷に向かって下る道がある。この谷一帯にはかつて「一の坂銀山」があって、それが創成期の萩藩財政を支え、萩城の建設も可能にしたと言われている。今でもマブと呼ばれる坑道が残っているようだが、道はすでに荒廃していて通行禁止となっている。最盛期には鉱夫は3000人以上を数えたとも伝わり、山奥に残る魚屋町、八百屋町、女郎町などの小字の地名が往時の繁栄ぶりを物語っている。

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