小田和正が見せた涙。言葉にできない ~ 前篇

1982年 2月1日 オフコースのシングル「言葉にできない」がリリースされた日

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小田和正から鈴木康博に向けて…「言葉にできない」

今や小田和正の代表曲となった「言葉にできない」。この歌が元々はある男性に向けて書かれた曲だと話すと驚かれることが増えた。

1981年12月1日にリリースされ当然ながらオリコン1位を獲得したオフコースのアルバム『over』で「言葉にできない」は世に出た。翌1982年2月1日にはアルバムからのセカンドシングルとしてカットもされている。

タイトル通り、正に名は体を表すで、サビが「ラララ」でほぼ占められ、最後に「言葉にできない」という言葉が漸く出てくるというなかなか斬新なこの曲は、2枚めのシングルカットということもあり、オリコン最高37位と大きなヒットにはならなかった。しかしこの曲は1982年6月のオフコースの日本武道館10日間公演で、正に鍵を握る1曲となったのである。

5人のオフコースの最後の公演となった6月30日の公演はソフト化され、2016年にもNHKのBSで放送されたが、無口でクールなイメージだった小田がこの曲で涙し、歌えなくなった場面は当時から大きな話題となった。曲の後半では一面ひまわりの映像が映し出され、そこに1980年の前作アルバムのタイトル『We are』そして『over』、さらに「Thank you」という文字が続いて載せられた。

続けて訳すと、「僕たちは終わりました。ありがとう」
オフコースを小田と立ち上げ、長い不遇の時代を共にしてきた鈴木康博は、絶頂期を迎えていたオフコースをこのツアーを最後に脱退する。そう、「言葉にできない」は鈴木に向けて書かれた曲だったのだ。冒頭の「終わる筈の無い愛が途絶えた」という歌詞はそういうことでもあったのだ。

1989年のオフコース解散公演、再び涙で歌えなくなった小田和正

オフコースは解散ではなく4人で続ける道を選んだが、5年足らずで解散となる。その解散公演が1989年2月26日に東京ドームで行われた『The Night with Us』。僕も足を運んだ。コンサート中盤、「言葉にできない」が始まる。

しかし次の瞬間、正に想定外のことが起こった。
(小田さんがまた涙で歌えなくなってる)

周りの人は皆もらい泣きしていた。もちろん僕も。7年経っても小田の心の整理はついていなかった。4人オフコースの解散コンサートだったが、そこには鈴木康博もたしかに “いた” のだった。

再び歌われるまでの月日、なんと9年!

ソロになってからの小田和正はオフコースの曲と一定の距離を取る。それはポール・マッカートニーがビートルズ解散後なかなかビートルズナンバーを歌わなかったことにも通じる。「言葉にできない」も再び歌われなくなった。繰り返しになるが、あれだけ私的な想いが込められた曲では、なかなか取り上げられる機会が無かったのは当然であろう。

この曲が再び歌われるには9年の月日を待たなくてはならなかった。1998年2月3日、東京国際フォーラムホールAで行われた、小田和正4つめのソロツアー 『THRU THE WINDOW』の追加最終公演。僕はこの時も客席にいた。アンコールでこの曲が歌われると、周りの観客は見事なまでに皆涙していた。いや、当然ながら僕もであった。ステージの小田だけが、9年前とも16年前とも異なり涙すること無く、しっかりとこの曲を歌い切った。

そしてこの日「言葉にできない」は復活したと言っても決して過言ではないだろう。

『小田和正が見せた涙。言葉にできない ~ 後篇』に続く

※2016年11月3日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 宮木宣嗣