端島建造の背景に長崎の歴史 「海の上の建築革命」刊行 建築家 中村享一氏

「長崎には西洋の文明が総体として流入してきた」と語る中村氏=長崎新聞社

 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産、長崎市の端島(軍艦島)では、なぜ高層建築群を生み出すことができたのか-。同市の建築家中村享一氏(69)は、その背景を調査研究した著書「海の上の建築革命 近代の相克が生んだ超技師(スーパーエンジニア)の未来都市〈軍艦島〉」(忘羊社刊、2640円)を発刊した。「誰がこの海上都市を計画し、建築を手掛けたのか。謎を解きたいという欲求が抑えられなくなった」とする中村氏。本書のポイントなどを聞いた。

 -執筆のきっかけは。
 2016年に九州大大学院で芸術工学博士の学位を取得した。テーマは「明治期三菱端島坑の形成過程に関する研究~端島から軍艦島へ」。学位論文の出版を大学側に勧められたが、論文ではエビデンス(証拠)が不十分な箇所は削られることも多かったため、補いながら端島建築の全貌をまとめることにした。

 -本書のポイントは。
 二つある。一つは端島の建築は、長崎の歴史に育まれた素地があって初めて成し得たということ。もう一つは、モダニズム建築(近代建築)の巨匠といわれているル・コルビュジエが定義する以前に、端島でモダニズム建築が実現されていたということ。

 -長崎の素地とは。
 18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで産業革命が起きる。この流れでグラバーが高島炭坑の北渓井坑(ほっけいせいこう)で日本初の蒸気機関による採炭に取り組んだのが1868(慶応4、明治元)年。ボイラーや動力源の製造が可能になり、産業は近代化されていく。
 明治期には長崎でコレラがはやり、水環境を良くしなければ大浦の居留地から外国人が出ていくぞということになり、県令(県の長官)が予算を付けて1891(明治24)年、本河内高部ダムを整備した。このことで長崎に土木技術が蓄積された。1905(明治38)年には三菱長崎造船所が第三船渠(ドック)=世界文化遺産の構成資産=を完成。土木・建築技術や製造環境は飛躍的に発展した。さらに三菱のすごいところは、世界から技術を集めてきていたこと。土木、都市計画、建築、経営を含めて、海外で学んだ人が三菱に次々に送り込まれ、また、イギリスとのパイプをつくった。材料を供給できて、技術者もいる。条件が他都市に先行して整い、端島建造の技術が成立した。

 -当時、労働者はどういう状況だったのか。
 前近代的な労務管理の「納屋制度」。会社が労働者を直接管理せず、納屋頭が管理する形で激しい中間搾取が行われていた。一方、内燃機関と同時に長崎に入ってきたのが小島養生所に象徴されるオランダの最新医学だった。遊女も武士も等しく治療を受けるという西洋のシステムを、長崎は同養生所が開設された江戸期の1861年から経験していた。同時に「市民の権利」という概念もいち早く持ち込まれ、西洋の社会秩序の知恵が知らしめられた。近代技術と資本主義だけでなく、文明の総体が流入してきた長崎では、労働者を巡る矛盾も解いていかざるを得なかった。
 厳しい労働環境を新聞などが報じた高島炭坑事件が1887(明治20)年に起き、明治政府が介入する事態となった。10年後、労働者たちが労働条件の改善を要求。三菱は国内で初めて納屋制度を廃止し、その後、直接雇用制に転換して福利厚生を整えていった。西洋では産業革命の中で体制を壊しながら生まれた建築、あるいは社会変革を伴った新建築スタイルをモダニズム建築と言う。端島でも建築や都市計画の進展の中で変革が起きていたと言える。

 -長崎の歴史が端島でモダニズム建築を実現させていたということか。
 戦後、日本のモダニズム建築はコルビュジエの下で日本の建築家が学び、持ち帰ってきたと私も教えられた。しかしそのコルビュジエが近代建築を定義し近代建築5原則を書き上げたのは1926(昭和元)年。その10年前、16(大正5)年には、端島で日本初の鉄筋コンクリートアパート「30号棟」が完成しており、5原則をほとんど満足させていた。それは長崎の歴史の豊かな素地があったからだ。
 現代社会を見渡してみれば(間接雇用制が広がり)逆行しているようにも見える。アフターコロナの社会の在り方が論議されているが、端島、高島、三菱、長崎の都市史も含め、近代をきちんと見直してみるのも次世代の社会構築に役立つのではないだろうか。

 【略歴】なかむら・きょういち 長崎市飽之浦生まれ。県立長崎北高卒。長崎造船大卒後、白石建設入社。1982年福岡市で独立。2011年長崎市に拠点を移し、市公会堂保存再生を求め長崎都市遺産研究会設立。16年九州大大学院で芸術工学博士の学位取得。一宇一級建築士事務所代表。

「海の上の建築革命 近代の相克が生んだ超技師の未来都市〈軍艦島〉」

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