新たな語り部にデジタル駆使も 核廃絶訴える若者たち ヒロシマとナガサキの思い各地で発信

「交流証言者」として被爆者の体験を語り継ぐ松野世菜さん=7月、長崎市

 「被爆体験がないからこそ、分かりやすく伝えられる」「気軽に平和について考えられる場所を」。広島・長崎への原爆投下から75年たち、高齢化する被爆者に代わり体験の継承をする必要性は高まっている。若者たちは自ら語り部になって子どもたちに原爆について伝えたり、デジタル技術を駆使したりして、核兵器廃絶を願うヒロシマとナガサキの思いを発信し始めた。彼らの平和への思いに迫った。(共同通信=山上高弘、小川美沙)

 ▽知らないからこそ

 「これだ」。直感に従い、被爆者の体験を受け継ぐ「交流証言者」になったのは、長崎市の爆心地近くで育った長崎純心大4年、松野世菜さん(22)だ。

 小中学校から平和教育を受け、「自分も何か継承に関わりたい」との思いはずっとあったが、きっかけをなかなか見つけられずにいた。しかし高校3年の5月、担任教諭から証言者を育成する事業が始まったことを紹介され、語り部への一歩を踏み出した。

 体験を語り継ぐ被爆者との交流会で出会ったのが、独学の英語で外国人に証言してきた長崎市の山脇佳朗さん(86)。「いつか外国人にも伝えたい」との考えも重なり、半年間にわたって被爆体験を聴かせてもらったり、講話用の原稿を確認してもらったりした。

2019年8月、被爆者代表として平和祈念式典に参加した山脇佳朗さん=長崎市の平和公園

 大学1年の時に交流証言者としてデビューし、各地の小中学校などで30回以上、山脇さんの体験や思いを代弁した。一生懸命、耳を傾ける子どもたちの姿に「体験をしていないからこそ、戦争や原爆を知らない世代にも分かるように伝えられる」と実感。被爆者ではない自分が、語り部となった意義を見いだした。

 来春、首都圏の旅行会社に就職するが、できる限り講話活動は続けるつもりだ。「いつか長崎への修学旅行を手掛けたい」と目標を語る。

 ▽「自分ごと」に

 祖母が長崎原爆に遭った被爆3世の岡山史興さん(35)=富山県舟橋村=は、NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」(東京)で、理事として被爆証言や資料をウェブ上にアーカイブ化する活動をしている。

 祖母は生まれる前に亡くなったが、父で教師の草野十四朗さん(65)は、私立活水高(同市)で長らく平和学習部を指導し、若者に「ナガサキ」を語り継ぐ父の背中を見て育った。自身も、高校1年で核兵器廃絶を求める「高校生1万人署名」の活動に携わり、高校生平和大使にもなった。

ウェブを使った被爆体験の継承活動について話すNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」理事の岡山史興さん=7月、富山県舟橋村

 筑波大に進学し、東京で就職して感じたのは、広島、長崎以外の人にとって原爆や平和の話題が「身近じゃない」こと。どうすれば継承を人ごとでなく「自分ごと」として向き合えるか。試行錯誤の末、会で始めたのが「未来につなぐ被爆の記憶プロジェクト」だ。

 全国各地に住む被爆者と、地域の若者が、平和について語ることができる学習会の仕組みをウェブで構築した。これまで東京や京都などで、学生らのグループが学習会を開いた。地域での身近な出会いを通じ「平和活動への敷居を下げる」ことが目標だ。「継承とは歴史を学ぶことだけじゃない。学んだことを自分の生き方にどう生かすかだと思う」

 ▽きっかけづくりを

 「この辺りは広島で一番の繁華街でした」。広島県呉市のシンガー・ソングライター瀬戸麻由さん(29)は7月、故郷の広島などを題材にした曲作りの傍ら、広島市の爆心地から170メートルの被爆建物「レストハウス」を拠点に、平和記念公園(広島市)を巡るガイドを始めた。

平和記念公園を巡るガイドを始めた瀬戸麻由さん=7月、広島市

 メンバー5人はいずれも20代で、外国人を含む。現在の平和記念公園にあたる旧中島地区の暮らしに焦点を当て、当時の人々の「当たり前の日常」を紹介する。

 東京で過ごした学生時代に、ピースボートで世界を3周した。被爆者が各地で証言するプロジェクトを手伝い、次第に故郷・広島への思いが募った。いったんは東京で就職したものの、知人が広島で平和について語り合うことのできるスペース「Social Book Cafe ハチドリ舎」を開くのに合わせ帰郷した。

 今は「ハチドリ舎」のスタッフとして働きながら、被爆者の証言会や核廃絶をテーマにしたイベントなどを数多く手掛ける。「これからも平和について身近に感じたり、気軽に考えたりできるような、きっかけづくりをしていきたい」と、思いを巡らしている。

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