ブルー・マーダー嵐の船出、ジョン・サイクスから “デビカバ” へ怒りの結晶! 1989年 4月25日 ブルー・マーダーのデビューアルバム「ブルー・マーダー」がリリースされた日

日本でも大人気! “バンド再生請負人” ジョン・サイクス

長髪のブロンドヘアーに、貴公子の如き整った風貌。ゲイリー・ムーア直系の猛烈な速弾きを駆使した、類稀なるギターテクニック。ジョン・サイクスは、洋楽のHM/HR系アーティストとして、日本で人気を博す要素を、余すことなく兼ね備えたギタリストだ。実際、日本のHM/HRファンは、世界のどの国よりも、サイクスの活動を長きに渡り応援してきた。

そんな、サイクスの80年代を振り返る上で特筆すべきは、“バンド再生請負人” とでも形容すべき、八面六臂の活躍ぶりであろう。

手始めは1980年に加入した、ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(以下、NWOBHM)のタイガース・オブ・パンタンだ。彼らのデビュー作と、サイクス加入後の1981年のセカンド作『スペルバウンド』を聴き比べると、一聴瞭然。バンドのクオリティが、見違えるように上がっている。もう1人のギタリストとの差も歴然で、サイクスの貢献ぶりが容易に伺えるだろう。

そんなサイクスとバンドの “格差婚” が、長く続くはずがない。次作『クレイジー・ナイト』後に、サイクスは自らに相応しい次なるステージを目指して、オジー・オズボーンのオーディションを受けるために、バンドを離れたのは必然の展開だった。

フィル・ライノットとの出会い、古豪シン・リジィの起爆剤!

オジーのオーディションで、サイクスは残念ながら良い結果を得られなかった。しかし、そこから転じて、シン・リジィのフィル・ライノットとコラボする機会を得て、日本で後にプリティ・メイズのカヴァーでヒットする「プリーズ・ドント・リーブ・ミー」を発表。結果的にフィルは、サイクスをシン・リジィに迎えることになった。

今でこそ “アイルランドの英雄” と呼ばれ、レジェンダリーな存在として語り継がれるシン・リジィだが、80年代初頭の頃は、バンド史上の暗黒期を迎えていた。看板ギタリストのゲイリー・ムーアが脱退後、スノーウィー・ホワイトを迎えて2作をリリースしたものの、セールス的にも内容的にも全盛期の勢いを失っていたのだ。

そんな中で、NWOBHM以降の流れに乗るべく、起爆剤として加入したのが、サイクスだった。1983年のサイクス初参加作にして、最後のスタジオ作『サンダー・アンド・ライトニング』は、これまでの彼らのイメージを一新。冒頭からアップテンポの雷鳴の如きヘヴィメタルが炸裂する、まさに会心作に仕上がった。

その立役者は、サイクスに他ならないだろう。ライノットのベースと同じく、ブラックボディにミラーのピックガードをつけたお馴染みのレスポールを、縦横無尽に弾きまくるギタープレイが、伝統的なシン・リジィのサウンドに化学反応を起こした。それは、メタル史上に語られる名作を生み出しただけでなく、彼らを再びシーンのセンターへと返り咲せ、有終の美を飾らせることになるのだった。

ホワイトスネイクと共に目指したアメリカ進出

シン・リジィを見事に再生させたサイクスだったが、バンドは惜しまれながら解散へと向かってしまう。脂の乗り切ったサイクスに目をつけたのが、アメリカ進出を目論んでいた、ホワイトスネイクのデイヴィッド・カヴァデールだった。

LAメタルブームに湧く全米マーケット攻略を考えると、ホワイトスネイクの地味なギタリスト陣と比べ、若くて才能のあるサイクスは、喉から手が出るほど魅力的に映ったに違いない。

カヴァデールの誘いに応じたサイクスを迎え、ホワイトスネイクは手始めに、既発の『スライド・イット・イン』のギターパート差し替えを行った。結果、2種類のヴァージョンを聴くことができるが、ここでもその差は歴然だ。好みの問題はあれど、サイクスのギタープレイにより、同じ楽曲が全米マーケット向けにアップデートされたことは、間違いなかった。

蜜月を深めたカヴァデールとサイクスは、勝負作となる音源の制作にイチから取り掛かった。そして完成したのが、HM/HR史上に残る不朽の名作『白蛇の紋章~サーペンス・アルバス(Whitesnake)』(以下、サーペンス・アルバス)だった。

デイヴィッド・カヴァデールから突然の解雇通告

けれども、いざ全米マーケット制覇に動く段階で、すでにサイクスはバンドを解雇されていたのだ。この騒動には、サイクス、カヴァデールそれぞれに言い分があり、真相は当人達のみが知ることだ。わかっていることは、制作の最終段階でサイクスがカヴァデールに解雇された事実と、残りの制作作業をカヴァデールらが行い完成させた事実だ。

公開された「スティル・オブ・ザ・ナイト」のMVでは、すでに後任ギタリストであるエイドリアン・ヴァンデンバーグとヴィヴィアン・キャンベルが出演しており、サイクスの奏でるソロに、似合わない当て振りをする場面を見せられることになった。

『サーペンス・アルバス』は、カヴァデールの目論み通り、全米チャート2位と空前の大成功を納めた。1988年に観たホワイトスネイク全盛期の来日公演では、全く別のバンドと言えるほど、ゴージャスなバンドイメージに変貌を遂げており、本当に驚かされた。

一方のサイクスは、自分が携わった作品の成功を尻目に、カヴァデールへの怒りが頂点へと達していったのは、想像に難くない。結果としてサイクスは、“バンド再生請負人” を封印し、自らを全面に押し出したバンド、ブルー・マーダーを結成を決意するのだ。

デビューアルバム「ブルー・マーダー」は “デビカバ” に売った喧嘩?

メンバー集めにこだわり、紆余曲折を経て固まったラインナップは、トリオ編成だった。フレットレスベースの名手トニー・フランクリン、ハードロックドラマーの第一人者カーマイン・アピスという実力派を従え、サイクス自身がセンターに躍り出て、ヴォーカルも担当した。

渾身のデビューアルバム『ブルー・マーダー』は、80sのHM/HR史に残る、圧倒的な内容の素晴らしさに加え、『サーペンス・アルバス』を聴きこんだHM/HRファンにとって、あらゆる意味で衝撃的な一枚となった。

1曲目の「ライオット」のギターリフが始まって、僕は早速驚かされた。ギターパートの印象が『サーペンス・アルバス』と全く同じではないか。弾いてる人間が同じだから当然だけど、あの作品を構成する要素の大半はサイクスのギターだった、という事実を、改めて認識させられた人が大勢いたに違いない。

サイクスのヴォーカルも、兼務とは思えぬ本格派の香りを漂わせていた。ここまで完璧に“歌える”のは想定外の驚きであり、どこかカヴァデールを意識しているようにも、聴こえてならなかった。

2曲目の「セックス・チャイルド」で、その驚きは倍加した。何せ、中間部のアレンジが、まんま「スティル・オブ・ザ・ナイト」なのだから! 他にも『サーペンス・アルバス』収録の「イズ・ディス・ラヴ」に対するアンサーソング的なバラード「アウト・オブ・ラヴ」や、同じく「バッド・ボーイズ」にリフが酷似した「ブラック・ハーテッド・ウーマン」など、完全にカヴァデールに喧嘩を売っているようにさえ思えた。

それは、ジョン・サイクスの意地とプライドの結晶

でも冷静に考えると、サイクスは自らが創り出せる能力を、今度は自分のバンドのために注ぎ込んだだけなのだろう。そこには並々ならぬプライドを感じたし、名作『サーペンス・アルバス』に最も貢献したのがサイクスであることを、ようやく白日の元に晒すことになったのだ。そうした意味でも、サイクスの意地とプライドの結晶である『ブルー・マーダー』を、こうした作風で仕上げた意味は、決して小さくなかったと思う。

1989年に観たブルー・マーダーの来日公演では、禁断の「スティル・オブ・ザ・ナイト」が演奏されたが、このギターソロはオレのものだ! と言わんばかりのパフォーマンスに、他の曲以上の怨念がこもっていたような気がした。

サイクスは近年のインタビューで、30年以上も前の解雇劇を今も苦々しく思い、カヴァデールと再び話す気は全くないと断言している。四半世紀を超える積年の恨みを募らせる理由と、ブルー・マーダーで示した、サイクスの貢献度を証明する物的証拠からして、カヴァデールの方が少々分が悪い気もするが… さて、真実やいかに。

カタリベ: 中塚一晶

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