西海のミカン産地、再生目指す 白崎地区の基盤整備事業 区画整理で作業効率化 モデルケースに

県内初の果樹地を対象とした白崎地区の基盤整備事業。全体の約8割が完成した=西海市西彼町

 県内有数のミカン産地である西海市。高齢化や後継者不足で栽培面積や生産量が低迷する中、同市西彼町白崎地区の山間地で県内初の果樹地の基盤整備事業が進んでいる。区画整理で作業効率が増した農地を、規模拡大を目指す農家に貸し出す。関係者は「ミカンの産地再生のモデルケースに」と期待を寄せている。

■雑木林
 西彼杵道路から大村湾方面に視線を向けると、頂上部が整地された小高い山が見えてくる。着工前は青々とした雑木林だった。整備が進む標高約100メートルの白崎土地改良区。耕作放棄地約12ヘクタールを含む計17ヘクタールの予定地で、かつての“ミカン山”がよみがえりつつある。
 個々の面積が狭く、形もバラバラな段々畑や、耕作放棄地は整地され、軽トラックや薬剤散布の車両が果樹の列に横付けできるよう作業路が整備された。隣接する下岳地区の1.3ヘクタールで栽培する瀬川泰裕さん(40)は、白崎地区に農地1.2ヘクタールを借りて規模を拡大。「農地が1区画にまとまっていて作業ロスがない」と効率化を実感している。
 西彼町では昭和30~40年代にかけてミカン生産が拡大し、芋や麦などからの転換が進んだ。しかし、1972(昭和47)年には全国的な生産過剰やオレンジの輸入拡大などの影響で価格が暴落。75年からは政府の減反政策が進められた。県内の早生温州を含むミカンの栽培面積は76年の1万7350ヘクタール、収穫量は79年の36万7200トンをピークに減少に転じていった。

着工前の2018年8月。離農が進み放棄された畑は雑木林になっていた(県提供)

■高品質
 農家は品種を切り替え、高品質のミカン作りに取り組んだ。80年代後半から90年代前半にかけて、西海市で生産された温州ミカンは日本一の高値で取引されたことも。一方、車や機械が入らず手付かずとなった農地が徐々に拡大。高齢化や後継者不足が重なり、白崎土地改良区でも地権者の大半が離農し、数戸が農業を続けるだけになった。
 2019年、ミカンの栽培面積は県全体で4410ヘクタール、収穫量は8万5200トンにまで落ち込んだ。JA長崎せいひによると、西海市内の栽培面積は18年時点で約260ヘクタール、生産者は約300人と10年前の6割程度になった。さらに県全体の耕作放棄地(19年)は1万7千ヘクタールで全農地の約27%だが、西海市は2900ヘクタールで58%と県全体を上回っている。
 栽培面積と生産者の減少傾向を受け、JA長崎せいひ大西海みかん部会や、西海市、農業委員会などは10年、市内の遊休農地の集約を図ろうと委員会を発足。翌年、生産者の意向をアンケートしたところ「農地を貸したい」「借りたい」との声はあったが、「個々の農地が狭く効率化ができない」などの理由で、実績にはつながらなかった。

■担い手
 そんな中、14年に政府の農業成長戦略の柱として、農地中間管理機構(農地バンク)の集積制度がスタート。離農者の農地や耕作放棄地を借り受け、農業法人や集落営農など地域の担い手に貸し出すことが可能になった。白崎地区ではJAや県、市、地権者が協力して基盤整備事業にも取り組み、16年の国の事業採択を受け、18年に着工した。
 総事業費は約15億円で23年度完成予定。国が55%、残りを県、市、地元が負担する。果樹は畑地と異なり、本格的に出荷できるまで3、4年がかかり当初は収益が見込めない。このため、新規就農ではなく既存の農地に合わせて規模拡大に取り組む農家が参入した。
 県県央振興局農林部によると、意欲ある農家に農地を集約することで国の制度を活用。地元負担の軽減につなげ、地権者の合意形成が進んだという。同部は「県内には山間地の耕作放棄地が多い。白崎の事例は持続可能な農業に向けた好事例になる」としている。
 区画整理はこれまでに約14ヘクタールで完了、原口早生などミカンの苗木約1万本や、サツマイモなどが植えられた。残る約3ヘクタールは21年夏までに完成する予定。23年春までに給水所も設け、水の心配もなくなるという。
 整備事業に関わったJA長崎せいひ北部営農経済センターの浦口大輔さんは「管内では西海市の小迎地区や西彼長与町でも事業化の動きがある。基盤整備された地区に特化したミカンのブランド化にも、今後取り組みたい」と産地再生へ期待を込めている。

 


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