被爆体験の継承、若者たちに知ってほしいこと 被団協の田中熙巳さん「今の平和、当たり前じゃないと気付いて」

長崎原爆の犠牲者を慰霊する平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げる田中熙巳さん=2018年8月、長崎市の平和公園

 戦後75年がたち、被爆者から直接体験を聞ける機会も減る中、全国で継承活動に取り組む若者たちがいる。共同通信がその若者たち100人にアンケートした結果、半数超が「継承は可能」だと答えた。被爆の実相を伝え、核廃絶を訴え続けてきた被爆者は、惨禍を受け継ぐ若者たちをどう見るか。9月26日は国連が定めた「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」。2017年に国連で採択された核兵器禁止条約の発効に必要な批准国・地域も残り5に迫り、期待も高まっている。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳さん(88)に話を聞いた。(共同通信=小川美沙)

 ―アンケートでは、計57%の若者が、被爆者がいない世になっても継承は可能と答え、核廃絶の実現を可能だとした人も計56%に上った。結果をどう感じたか。

 全国各地で若者が継承活動をリードしていることは心強い。「継承は可能」だと答えた人々は、これまでに何らかの機会に被爆者から直接話を聞き、行動を起こす必要性を切実に感じた人が多いのかもしれない。

被爆体験の継承活動をする若者100人を対象に共同通信が実施したアンケートの結果

 「核廃絶は可能」と答えた若者も5割を超えたことは評価している。私が同じ質問をされたら、正直なところ、言葉に詰まってしまうかもしれない。戦後75年がたっても、いまだ世界中には核弾頭が1万3千発以上もあると推計され、唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約に批准しておらず、核廃絶への道のりの険しさを痛感してきたからだ。

 ―田中さんが関わる活動でも、若者が活躍している。

 私を含め、被爆者らの呼び掛けで、核兵器廃絶を世界中に訴えるため16年に始めた「ヒバクシャ国際署名」では、キャンペーンリーダーとして長崎市出身の林田光弘さん(28)らが運動を引っ張った。3月末までに約1184万筆が集まり、これを大きく上回る署名を10月に国連に提出する予定だ。ほかにも、デジタル技術で被爆証言をアーカイブ化するなど、新たな手法を用いて「核廃絶」という共通の課題に向かって活動する若者が多数いることには、希望を感じている。

ヒバクシャ国際署名連絡会の記者会見で話す田中熙巳さん(左)と林田光弘さん=2018年7月、東京都港区

 ―多くの被爆者が鬼籍に入り、体験の継承に不安を感じている若者もいるようだ。今後の活動の課題は何だと思うか。

 アンケートに回答したのは平和への関心がとても高い人たちだと思うが、そうではない若者との温度差を懸念している。

 被爆者として学校に講演に出向くことも多いが、児童・生徒からの質問は以前より少なく、反応も弱くなっているように感じる。学校によっては、校長から「被爆」の事実だけを話すよう求められ、外交や防衛問題など「現代における具体的な戦争の脅威」は政治的だとして、触れないでほしいとくぎを刺されることがあり、残念だ。過去と現在はつながっている。現在の問題と引きつけて考えてこそ、子どもたちは「今の平和な社会は決して当たり前ではない」と、気付くことができると思うが…。

オンライン取材に応じる田中熙巳さん=8月26日

 ―若者が平和への意識を高めるためには、何が必要か。

 まずは、国が核兵器禁止条約に賛成し、批准すること。平和の担い手である若者に「核兵器のない未来を作る」と明確にメッセージを送ってほしい。教育現場でも、現代社会が抱える国内外の平和に関わる問題をタブー視せず、子どもたちと議論することが必要だ。長崎の高校生らが核廃絶と世界平和の実現を求め、2001年に始めた「高校生1万人署名」も、活動は全国に広がった。平和のために自分に何ができるのか主体的に考え、「微力だけど、無力ではない」と確信し、具体的に行動できる若者が増えるような土壌を、この社会に作っていくことだと思う。

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 たなか・てるみ 1932年生まれ。長崎市の爆心地から約3・2キロの自宅で被爆。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)で事務局長を長く務めた。

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