かつての“天才卓球少女”前田美優、15歳で訪れた転機 「不思議な光景」と「新たな価値観」とは

写真:前田美優日本生命レッドエルフ)/提供:日本生命

福原愛さん、石川佳純に次ぐ“愛ちゃん3世”として名を馳せていた天才少女は、今、Tリーガーとしてプレーしている。日本生命レッドエルフに所属する前田美優(まえだみゆ・24歳)のことだ。

前田は、全日本選手権混合ダブルスで、世界選手権金メダルの吉村真晴/石川佳純ペアを下したことがあるダブルス巧者だ。猛者揃いのTリーグでも2ndシーズンダブルス最多勝に輝くなど、日本トップで活躍している。前田はどのような卓球人生を歩み、今、Tリーグの舞台に立っているのだろうか。

これは、勝つことがすべてだった天才少女が卓球の楽しさを知り、プロ卓球選手へと成長を遂げる物語。

「愛ちゃん3世」「天才少女」と呼ばれた前田美優

前田にとって卓球は苦しい記憶から始まる。

父、兄、姉が経験者という香川県の卓球一家に生まれた、ラケットを握ったのは5歳のときだ。クラブチームで練習し、帰宅後は練習や試合のビデオを見たり、時には家に置いてある卓球台で夜遅くまで追加練習をしたりと、卓球漬けの毎日を過ごした。

「父がすごく厳しい人だったので、幼少期の練習はきつすぎてあまり思い出したくないくらい」と当時を回想し苦笑する。

写真:当時小5の前田美優(2008年全日本選手権)/提供:アフロスポーツ

練習漬けの少女にとっては、試合が息抜きだった。「とにかく練習がきつすぎて、試合がすごく楽だったのを覚えてます。練習の休憩のような感覚で試合をしてました(笑)」。

豊富な練習量で力をつけ、カブ、ホープス、カデットと各カテゴリで表彰台の頂点に立つ。森さくら(日本生命)、森薗美月琉球アスティーダ)、安藤みなみ(十六銀行)ら強者揃いの1996年世代を牽引する存在となっていた前田は、小5で出場した全日本選手権一般の部では大学生を相手に1勝をあげた。

当時、小5が一般シングルスで勝利するのは福原愛さん以来ということもあり、「石川佳純に次ぐ愛ちゃん3世」「天才少女」とメディアに取り上げられた。

写真:当時小5の前田美優(2008年全日本選手権)/提供:アフロスポーツ

だが本人は「同級生の中では、誰よりも練習してたから勝てたんだと思います。あまりセンスがある方ではないので、とりあえず練習して練習量で上にいくしかなかった」と笑う。天才少女は、幼少期から厳しい練習をこなしてきた努力の天才だった。

中学からは地元香川を離れ、石川佳純を輩出した大阪の名門校・四天王寺中学に進学する。だが、生活はあまり変わらなかった。「土日はいつも親が香川から大阪まで来ていました。なのでもう土日が来たら最悪な気持ちでした(笑)」。父親のスパルタ指導は中学を卒業するまで続いた。

希望が丘での出会いが卓球人生のターニングポイント

中学卒業後は福岡県・希望が丘高校に進んだ。そこでの出会いが前田の卓球人生を変える。「希望が丘で石田(眞行)先生に出会えたことが私の卓球人生のターニングポイントです」。

写真:石田卓球クラブ/撮影:ラリーズ編集部

石田眞行氏が代表を務める石田卓球クラブは、中間東中、希望が丘高校と男女とも小学校から高校生までの一貫指導体制を確立している。石田門下生には、世界卓球メダリストの岸川聖也早田ひな、Tリーグで活躍する田添健汰・響兄弟ら有名どころが名を連ねる。

写真:石田門下生の早田ひな(日本生命レッドエルフ)、前田美優がベンチから声援を送る/撮影:ラリーズ編集部

希望が丘の環境は、15歳の前田にとって新鮮だった。

「卓球が楽しいと思ったことはあんまりなかった。特に練習を楽しいと思ったことは1度もなかった。でも、石田卓球クラブでは中高生みんなが楽しそうに練習していて、今まで自分が見たことのない不思議な光景でした」と振り返る。

写真:希望が丘高校時代の前田美優/提供:アフロスポーツ

「確かに練習量が多くて厳しいときもありましたが、自分から練習をやりたくなる。みんなで頑張る楽しさを教えてもらいました」と自身の転換期を語る。卓球を「やらされる」ではなく「やりたいからやる」。そんな当たり前のようなことを経験し、前田は「卓球を楽しむ」という新たな価値観を手に入れた。

卓球を楽しむ気持ちで飛躍

希望が丘高校の環境で前田は、1年生でいきなりインターハイシングルス優勝、ダブルス・団体準優勝と十分すぎる結果を残した。ただ「負けてものすごく泣きました。団体戦がすごく嫌になりました」と団体決勝・青森山田高戦でシングルス・ダブルスの2点を落としたことが、1年生エースの心には重くのしかかった。

写真:希望が丘高校時代の前田美優(2015年全日本選手権)/提供:アフロスポーツ

そんなとき、チームメートの温馨(当時3年生・現エクセディ)の言葉が“楽しむ”気持ちを思い出させた。

「インターハイ終わってすごく落ち込んでる私に、温さんが『チームが負けてもあなたのせいじゃないし、勝ってもあなたのおかげじゃないよ。勝ったらチームみんなのおかげだし、負けてもあなた1人のせいじゃないよ』と言ってくれた。それがきっかけで気持ちが楽になって、団体戦をすごく楽しめるようになりました」。

3年生のインターハイではシングルス・ダブルス優勝、団体準優勝の成績を残した。今回の準優勝は1年生のときの準優勝とは違う。「みんな一生懸命やって負けたので全然悔いはない」。そう言い切った。

「中学までは結果を残せばいい、卓球が強ければいいという感じでした。でも、希望が丘では『部屋をきれいにする』『挨拶しっかりする』『目を見て話す』など生活面を含む当たり前のことをたくさん指導してもらいました。卓球の楽しさを知ることができて、人間性を高める指導もしてもらった。本当に自分が成長できた場所でした」。

写真:希望が丘高校1年で全日本混合ダブルス優勝した前田美優(ペアは田添健汰)/提供:YUTAKA/アフロスポーツ

希望が丘高校で人間面、卓球面で成長を果たした前田は、インターハイでの活躍、全日本選手権混合ダブルス優勝、シングルスベスト4などのド派手な実績を引っ提げて、次なる進路として常勝軍団・日本生命の門を叩く。

取材・文:山下大志(ラリーズ編集部)

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