泥沼のネイマール騒動 「人種差別」も「同性愛者差別」も不当な逆差別も許さない闘いを!

5人の退場者を出す大荒れの展開となったフランス版クラシコは、多くの深い命題を突き付けることとなった。9月13日に行われたフランス・リーグアン第3節、パリ・サンジェルマン対マルセイユの試合後、ネイマールが「猿と言われた、人種差別だ!」とSNS上でアルバロ・ゴンサレスを糾弾したことをきっかけに、ネイマールを取り巻く数々の人種差別疑惑と同性愛者差別疑惑に発展。ネイマールが「クソ中国人」と罵ったとして酒井宏樹も巻き込まれる事態となった。人種差別を罰する法律をもち、人種差別と闘う先頭に立っているフランスにおいて、何人かの選手・関係者がデリケートな立場に置かれている。「人種差別主義者」という糾弾は恐ろしく重い。われわれはこの問題をどう見守り、どう向き合うべきなのか。

(文=結城麻里、写真=Getty Images)

フランス版クラシコは幸福から泥沼に

9月13日に行われたフランス版クラシコ、パリ・サンジェルマン(PSG)対マルセイユが複雑で厄介な事態に発展、あらゆる人々を幸福から泥沼に突き落としている。

この試合前、フランス人はむしろワクワクしていた。新型コロナウイルスの影響で長く中断していたフランス・リーグアンがついに再開、熱いクラシコが戻ってきただけでうれしかったからだ。

しかもその直前には、PSGがUEFAチャンピオンズリーグ(CL)で快進撃。優勝こそできなかったもののクラブ史上初のファイナリストに輝いて、フランス中を沸かせていた。マルセイユはといえば、宿敵がCL優勝を逃したことを祝って花火を打ち上げ、別の幸福感に浸っていたものだった。

こうしてPSGに刺激されたマルセイユも、CL後バカンスに出たPSGの選手たちの気の緩みを突いて勝利をものにしようと決意。ディミトリ・パイエットは、一見ロゴの上に星がついているようなPSGユニフォームを提示してから、指で「ノン、ノン」と否定し、そのユニフォームを下にずらす映像をSNSにアップした。出てきたのはマルセイユのユニフォームで、星はマルセイユの星だった(1993年にCL優勝)というオチ。なかなかの出来が人々に大受けし、ここまでは「いい香辛料が利いた」と6割以上のフランス人が笑っていた。

パルク・デ・プランスでのクラシコは10年間もPSGの一方通行勝利になっていたが、今年は1990年代のような熱い対決が戻ってくるかもしれない――。人々はそう期待して胸を躍らせていたのだった。ラジオ『RMC』のフィリップ・サンフルシュ記者によれば、PSGメンバーも、「かえってモチベーションが上がったぜ」と鼻で笑い飛ばしていたそうだ。

ところが……。それが突然、暗転してしまった。

はっきり言っておこう。すべてはPSGのブチギレから始まった。まずネイマールがしつこく立ち向かう酒井宏樹に苛立ち、次いでパイエットを徹底的に襲った。さらに先制点を奪われるや、苛立ちは絶頂に。一方のマルセイユは、アルバロ・ゴンサレスが“口撃”で応じたのを除くと、PSGの挑発をインテリジェントにやり過ごし、パイエットも黙々と襲撃に耐えてみせた。

だが敗北が避けられなくなってくるとPSGはついに総ブチギレに。レイヴィン・クルザワがジョルダン・アマヴィに蹴りを入れ、これにはアマヴィも応酬、ネイマールはゴンサレスの頭を叩き、最後はレッドカードだらけの乱闘状態になってしまった。

ネイマールが酒井に対して「クソ中国人」と罵った?

これだけでも異様だったが、嫌悪感を催す事態になったのは試合直後だった。ネイマールがSNSで、「猿と言われた、人種差別だ!」とゴンサレスを徹底糾弾したからだ。しかもこの発信は狙い通り一瞬にして世界中を駆け巡り、ブラジルからはゴンサレスに死の脅迫が届くという異常事態になってしまった。

これを受けてPSGはクラブとして正式にネイマールを支持する声明を発表、対するマルセイユもクラブとして「ゴンサレスは人種差別主義者ではない」と抗戦した。だがそれでも終わらなかった。一種のメディア戦争まで勃発してしまったのだ。

この試合を放映した『TELEFOOT』の諸カメラでは問題のシーンが確認できなかったのだが、PSG側は中東放映権をもつ『beIN MENA』のカメラがシーンを捉えていたと主張。すると今度はスペインメディアが、「ネイマールがゴンサレスに『汚いオカマめ』と同性愛者差別用語で罵倒していた」と報道し、さらに21日には「マルセイユはネイマールが酒井に対しても『クソ中国人』と罵った証拠を握っている」と報道した。

要するに、試合は0-1でマルセイユの歴史的勝利に終わったにもかかわらず、今も「泥沼の延長戦」が続いているところだ。

人種差別疑惑と同性愛者差別疑惑だけに、ことは重大。フランスは人種差別を罰する法律をもつ国だ。当然ながらフットボールでも同様で、フランスサッカー連盟(FFF)規則第9条は、「とくに相手のイデオロギー、人種、民族的帰属、信教、国籍、身体的様相、性的志向、性別、障害などの理由で人を狙いうちする言葉、行為、および/または態度」があった場合、最大10試合出場停止の処分になりうると明記している。したがって、ゴンサレスもネイマールも、確たる証拠が出た場合は、相当の処分を受ける可能性がある。

だが一般犯罪と同じで、証拠もなく一方の申し出だけで人を人種差別者扱いすれば、こちらも重大な冤罪を招きかねない。このためFFF規則を適用するフランスプロリーグ機構(LFP)のディシプリン委員会は、全「証拠」をつぶさに検討中だ。もし証拠が出て事実と判明すれば断固たる措置をとるが、もし証拠が不十分であれば「推定無罪」を適用することになる。

人種差別根絶の闘いに専念しているリリアン・テュラム

LFPディシプリン委員会のセバスティアン・ドゥヌ委員長は、「われわれは一定数の材料を手にしているが、それも調査の対象であり、しかも関係各位全体の(主張の)矛盾に照らし合わせて言ったことや聞いたことに光を当てるようにし、最後にあらゆるディシプリン上の結論を引き出さねばならない」と明言している。ただ同委員会も、泥沼で重い荷物を背負わされた格好だ。

というのも、FFFのノエル・ルグラエット会長が、「フットボールに人種差別は存在しない」と主張したため、人種差別反対市民団体や同性愛者団体がパリのFFF本部にデモをかける事態になったからだ。言葉足らずだったのか故意だったのか、ルグラエット会長の真意は不明だが、ここでは2つの側面を見ておく必要があるだろう。

1つ目は、残念ながらフットボールにも人種差別や同性愛者差別が存在している、という冷酷な現実だ。

イタリアや東欧では、モンキーチャントが当然のように飛び出して黒人選手たちを傷つけている。他の国でも頻度の差こそあれ皆無とはいえない。フランスでもマリオ・バロテッリが客席から人種差別用語を受け、加害者を睨みつけたことがある。ただし当該クラブは監督責任を問われて処罰された。また『レキップ』のギヨーム・デュフィ記者によれば、ピッチ上の人種差別を厳しく処罰しているイングランドでさえ、ひとたびスタジアムの外に出れば、スキンヘッドやフーリガンによる人種差別がうじゃうじゃしているという。

被害者の肌が黒であれ白であれ黄色であれ、また大金持ちのネイマールであれ貧しき庶民であれ、人種差別や同性愛者差別は根絶しなければならないのだ。

2つ目は、とはいえフランスのフットボール界は人種差別と闘う先頭に立ってもいる、という事実だ。

人種差別根絶の闘いに専念している1998年ワールドチャンピオンのリリアン・テュラムは、「フランスでは黒人という理由で差別された記憶がない」と語っていた。またカリドゥ・クリバリも、「フランスのメスで育ったから差別されたことなどなかった」と明快だった。

フランスのフットボールはむしろ、世界各地にルーツにもつ少年たちを必死に育成しながら、フランス社会で自立していけるよう渾身の努力を傾けている。最近も難民だったエドゥアルド・カマヴィンガを育て上げ、17歳でフランスA代表に招集したばかり。そもそもフランス代表も「ブラック・ブラン・ブール」(黒・白・アラブ)パワーで世界王者に君臨したとさえいえる。

いや、それ自体も彼らの闘争だった。当時ジャン=マリ・ルペン率いる極右政党「国民戦線」とそのシンパたちは、「これでフランス代表といえるのか。黒人だらけじゃないか!」と攻撃、人種差別をあおっていた。1998年フランス代表はこの汚い攻撃に対し、団結して見事な回答を突きつけたのだった。

「人種差別主義者」という糾弾は恐ろしく重い

その後もこの闘いは続いている。なぜなら一瞬でも気を抜けば、人種差別はあっという間に広がるからである。

コロナ禍や経済危機で不安が広がっている現在は、なおさらだ。思考力に欠ける人々は、不安やフラストレーションに駆られると、「自分より下」の人間を「作り出す」ことで「優越感」を得ようとする。この心の黒い隙間に、差別を扇動する政治勢力の言葉がするりと滑り込んでしまうのだ。かつてナチスドイツもイタリアもこの罠にはまった。ナチスドイツに協力したフランス人の一部も同じだった。だがこうした過ちは必ず歴史によって裁かれる。平等を国是に掲げるフランスは、今後も人種差別反対の先頭に立ち続けるだろう。

だがもう一つだけ、注意しなければならないことがある。それは逆差別だ。

差別されてきた憎しみのあまりに、罪なき人を根拠なく人種差別者に祭り上げる行為は、ブーメラン効果を生み、かえって自らへの社会的差別を助長してしまうのである。

カリム・ベンゼマを擁護する者が、ディディエ・デシャン監督の自宅の塀に「人種差別主義者」と落書きした事件は、その好例だった。長い間ゴールできずに批判されていたベンゼマを、一貫して支えてきたデシャン監督。ところが自分と取り巻きの不注意からセックステープ事件が勃発、取り調べを受ける羽目になってしまった。この捜査で容疑者となったベンゼマは、被害者マテュー・ヴァルブエナと顔を合わせることを法的に禁じられ、結果として2人とも代表から外された。

だがこれに納得できなかったベンゼマは、スペイン紙に「デシャン監督はフランスの一部にある人種差別勢力に譲歩したのだ」と語ってしまう。ここでは黒人差別ではなく、アラブ人差別を指している(ベンゼマはアルジェリアルーツのフランス人)。これで“ベンゼマ教徒”の何者かが、デシャン宅に前述の落書きをするに及んだのだった。

「人種差別主義者」という糾弾は、恐ろしく重いのである。家族も疑惑の目で見られるばかりか、司法調査の対象にもなりかねず、何より命の危険にさえ晒される。これでデシャン監督も堪忍袋の緒が切れた。「デシャン監督=人種差別者」などと信じる者はどこにもいない。1998年ワールドチャンピオンチームの主将であり、ジダンやテュラムの盟友なのだから。したがってベンゼマのほうが孤立してしまった。軽々しい糾弾は重大な結果を招くということである。

今回のネイマールとゴンサレスの事件は、早ければ30日にも裁定が出されることになっている。人種差別があったと裁定しても証拠不十分と裁定しても、LFPディシプリン委員会は誰かしらから非難されるという、デリケートな立場に置かれてしまった。それでも断固、公正な裁定をするしかない。

「証拠があれば誰だろうと断固処罰。証拠がなければ処罰しない。これしかない。だが委員会も大変な目に遭いそうだ。場合によっては政治利用される心配もある」。こう懸念するのは、黒い肌をもち「教授」の異名を誇る、『France Football』誌のデイヴ・アパドゥー記者だ。

こうしてフランス版クラシコは、多くの深い命題を突き付けている。確かなのは、世界中のわれわれ一人ひとりが、高い文化と良識と思考力をもって、人種差別も同性愛者差別も不当な逆差別も許さない闘いをしなければならない、ということである。この地球上には、人類というたった一つの「人種」しか存在しないことを、深く理解したいものである。

<了>

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