【“壮絶ストリート系”の苦労人議員は必要!?】⽣活保護・いじめ・元不良少年…中⾕⼀⾺議員に聞いてみた︕

高卒で秋田から上京し、段ボール工場にて住み込みで働いた。

数十年後に総理大臣になった

これは映画のお話ではない。
菅義偉総理の実話だ。
苦労人・叩き上げエピソードが多くの共感を呼び話題になっている。

国会には華やかな経歴を持つ
ピカピカに育てられたエリートが溢れている。
そんな中、雑草の臭いのする総理就任へのエピソードは国民にとって新鮮な匂いが漂った。

雑草の臭いがするのは菅総理だけではない。
永田町には菅総理以上にとてつもなく苦労人で叩き上げの人物が存在する。
アンダーグラウンドな空間でたくましく生き抜いてきた猛者が存在する。

それは立憲民主党所属の中谷一馬衆議院議員だ。

中谷一馬議員のイメージといえば、
・立憲の若手代表議員としてメディアに出てくる人
・ブロックチェーンに詳しい人
・インターネット投票の実現に向けて動いている人
など、スタイリッシュな印象を持っていた。

しかし、中谷議員の過去はそんなイメージとは真逆だ。

右が中谷一馬議員

学生時代だったら、目を絶対合わさないように地雷除去する人のように下を向いてすれ違っていただろう。
中谷議員と一緒に映っているピザもびびっているのか、気持ち赤を控えめにしているように見える。
実は中谷議員は100人を超える不良少年達のリーダーだったのだ

あんなに赤かった中谷議員のイメージカラーは青に!?

幼少期の家庭環境が複雑で、不良少年達のトップに君臨した経験を持つ“壮絶ストリート系議員”は世襲や既得権益層が幅を利かせる今の日本の政治の中で、どんな効果をもたらすのか!?
それを知るために、中谷議員に突撃取材を行った。

病院で生活保護だから後回し

中谷少年はとても厳しい生活環境で育った。

「私が幼少期に母と離婚した実父がとてもバイオレンスな⼈で、家庭内でも凄かったですけど、外でも血気盛ん過ぎでよく喧嘩してるような⼈でした」

「小学校は、全国でも犯罪発⽣率が上位の地域にあって、当時小学生の私が1人で歩いていると中学生5人くらいに囲まれ、フルボッコにされてカツアゲされるようなことが日常茶飯事。」

「東京から大阪の小学校に転校した時はとても大変で⾃分が⼤阪弁が喋れるようになるまでは村八分。音楽室のカーテンでぐるぐる巻きにされて、⼆階から投げ捨てられたり、全校集会のど真ん中で服を全部脱がされて素っ裸にされたり、毛をライターで燃やされたこともあります。」

序盤から自分の幼少期とはあまりにもかけはなれたエピソードの連打が始まり硬直した。

BS番組でジャングルを牛耳っている男が当時を振り返る時にいいそうなセリフを、日本の中心である永田町で中谷議員は言い放った。

「強くならないと生きていけなかった」

誰も助けてくれない環境で中谷少年は空手、テコンドー、柔道、散々鍛えた。

中谷少年が11歳の時だった。
両親は離婚し、貧しい母子家庭で育つようになる。まだ幼児の二人の妹もいた。
祖母が家で子育てを手伝い、母は昼にパート、夜に水商売等、昼夜問わず働いた。

中学2年生の時、働き過ぎた母は体調を崩し、より生活が困窮した。生活保護も受けた。

家族を⽀える為に中学卒業後は進学せずに働きに出た。中卒で社会にでて、朝から晩まで働いたが上⼿く⾏かず、家族を養うだけのお金を稼ぐことはできなかった。そして挫折をし、道を逸れ、不良少年の道に進む事になる。

街の小さな病院でのある体験が中谷少年の進学を諦めさせた。

中谷少年は小児喘息持ちであった。
救急で運ばれたりする程、定期的にお世話になっていた。

ある日、1人で病院を訪れた中谷少年は受付スタッフの会話が耳に入ってきてしまう。

「この子“生保”だから後でいいよ」

生活保護受給者への差別からか、なんと診察を後回しにされたのだ!
複数名順番を抜かされたのだ!!

「生活保護を受けて病院に来ることに、後ろめたいような気持ちが子供ながらにありましたよね」
と中谷議員は当時の心境を語った。

受けたい治療を「それは必要ないから」と断られる場面もあり、様々な気持ちが錯綜しました。

この後回しの体験が中谷議員の進路を動かした。
「妹⼆⼈にはそのような体験させられないと思って、私が早く働きにでて肩⾝の狭い思いを家族にさせないような環境を作らないといけないと。だから経済的な⾃⽴に焦って中卒で働きにでました」

硬直していた体から「すごい」の3文字だけが零れ落ちた。

中卒で働いても上手く行かず、不良の道に進む事になる。

人を助けるような不良でありたい

不良少年になり、同じような境遇な人達が集まり始めた。
ただバイクを買うお金がなかったので、暴走族ではなかったという。(僕は不良格差!?の存在を初めて知った。)
ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』で描かれていたようなグループが形成された。
いつもメンバーの中心にいたので、自然と100人を超える不良少年達のリーダーになった。(リーダーより強い仲間はいっぱいいたらしい!?)

中谷リーダーは意外な事に
1回も警察にお世話になった事がなく、自分から喧嘩を売ったことは一度もないという
そこにはヤンキー漫画の影響があった。
『今日から俺は』や『湘南純愛組』等に描かれていたヤンキー漫画の主人公たちは弱い人を助けるために強い者に立ち向かったり、本当に悪いことをしようとする人達に対して親身になって寄り添い友達として喝を入れるといった、あたたかい人物像で、正義感の強い美学のある不良でありたいと思っていた。むしろ、カツアゲや危険ドラッグなど倫理に反することをやめさせるタイプであった。

無駄に喧嘩を売られる事を避ける為、とにかく見た目を威圧的にして、集団で行動した。
孫子の兵法を読んで、戦わずして勝つことを目指していたからだ(驚愕)

「人は本能的に怖い者には向かってこないんですよ。でも優しいとやられちゃうんですよね…」

当たり前のように、達観したように話していたが、
真理が怖い!!!!!!!

不良少年時代のメンバーも中谷一馬後援会の一員として支えている。誰が元不良の人か探そうとしても全く分からない(笑)

 

なぜ不良少年から政治家に!?

誰でも気になるのが、“なぜ不良少年から政治家になったのか”であろう。

実は中谷議員は不良少年時代から政治に関心を持っていた。
当時周囲にいた大人達や仲間達は、社会が悪い、政治が悪いと言っていました。しかし、どう変える?がなかった。私は政治だと思っていました」

そこから、中谷少年は不良を卒業し、通信制の高校に進学した。
さらに母の再婚相手となる義理の父からの学費を借り、
手に職をつけようと、働きながら柔道整復師になるための専門学校に通った。

在学中に政治家になるための、とてつもない行動力を発揮した。

当時、722人いた全国会議員に片っ端から電話したのだ。(肝!!)
政治家になるなら知り合いの議員を多く作った方がいいと考えたからだ。
政治家に会って貰いやすくする為に学生団体を起ち上げた。
そして蓮舫議員や泉ケンタ議員ら100名以上の議員と会った。

そんな活動で人脈ができ、民主党の村井宗明議員から声が掛かり政治活動をし始めた。
そして元総理大臣の菅直人事務所へ紹介され、インターン、運転手、秘書と政治家になるステップを踏んでいった。

そしてついに27歳で神奈川県史上初の県議会議員に当選を果たした
(地元では、あんなヤンチャだった、かずま君が世の中を変えようって、政治やるって、大人になったんだね・・・と涙ぐむ保護者や仲間達が続出)
そして、現在は衆議院議員として活動している。

在職中にはデジタルハリウッド大学大学院に通い、MVP修了(首席!!!!)を果たした。

「中卒から大学院修了って、そんな人生あるんだなと」
中谷議員は感慨深く語った。幼少期から英才教育を受けてきた人がどんなに大金を積んでも絶対手に入れられない言葉である。

一応首席を疑ってみた。

あった

仲間の自殺がきっかけで実現した条例

2014年、脱法ドラッグが話題になった。
危険ドラッグというワードが流行語大賞のトップ10入りをした。
池袋で危険ドラッグを摂取した男が運転する乗用車が歩道を暴走し、1人を死亡させた事件があったからだ。
しかし、実は中谷議員は2012年から、全国の議員の中でも先駆けて(多分、一番早く)この問題を神奈川県議会で取り上げていた

そこには中谷議員を動かす衝撃的な理由があった。

不良少年時代の仲間が脱法ドラッグで死亡したのだ。

中谷議員が静かなテンションで語った。
「神奈川の県議会議員時代に、不良少年時代の仲間が自殺しました。仲良い同級生の弟で兄弟とも親しくしていたのですが、脱法ドラッグを使用して錯乱したみたいで、“助けてくれー”と自分で110番通報して警察官を呼び出し、警察官が玄関から⼊ってきた瞬間にベランダから飛び降りて死んでしまった」

仲間の死から、脱法ドラッグの撲滅に向けて奔走し、最終的に神奈川県議会で脱法ドラッグを撲滅する条例が制定されたのである。

また、⼥の⼦のドリンクに意識や抵抗⼒を奪う薬を混ぜて、レイプする「デートレイプドラッグ」問題では、友人が被害者となり、相談が寄せられたこともある。中谷議員はこの問題も、国会で問題提起。

Googleで“デートレイプドラッグ 国会” で検索すると上位に中谷議員の質問主意書が表示されている。

性被害問題に関しては、女性議員が真っ先に取り上げるイメージがあるが、デートレイプドラッグに関しては中谷議員が先頭を走っていた。

中谷議員はドラッグをやめさせる正義の不良として動き、現在はドラッグ撲滅する正義の政治家として働いていた。

神奈川県議会議員でも国会議員でも経費を節約するために、シェアハウス。 秘書の風間さん、奈良さんと3人で一緒に住んでいた時期も!?

学校で仲のいい友達の親が大事件を起こし、突然登校しなくなった。

現在、中谷議員だからこそやっている取り組みは犯罪加害者家族(特に子ども)に対する支援である。

この問題も国会で真っ先に取り上げたのが、中谷議員。
犯罪加害者家族(特に子どもたち)に関する質問主意書 – 衆議院

小学生のころ、ある日突然、仲の良かった友達が学校に来なくなった。
なんでだろうと思っていたら、親が大事件を起こして、学校来られなくなってしまったらしいという話が学校中の話題になりました。

中谷議員は続ける
「犯罪加害者家族に関しては共感されづらく、対応も後手になり、全く権利が擁護されていない」
「“犯罪をするような家庭環境に作った家族”と責められることも多々ある」
「ただ、いつ・誰が犯罪加害者の家族になるのか分からない。交通事故などは誰もが悪意のない加害者の家族になる可能性もある」
「特に子どもはどんな環境であったとしても間違いなく被害者。適切に対応してあげないといけない。欧米諸国は当然のように対応している」
親がなにかをやらかして、息子・娘が差別されて行き場所が無くなったら、ずっと負のスパイラルが起こる。結果的に再犯率は下がらないし、犯罪が無くならない。社会にとって不利益ですよ

「この問題って私みたいな犯罪が多い地域にいた奴とか、アンダーグラウンドな環境にいた奴じゃないと分からない」とモニターを使いながら熱弁してくれた。

めちゃくちゃ頭のいい素人が政策を決めちゃう

壮絶な過去を持つ議員が議会に必要なのかという質問をストレートにぶつけてみた。

「本来的には議会は社会の縮図であるべきだと思います。この2020年代を生きる地⽅の80代90代のおじいちゃん・おばあちゃん世代の代表から都市部の10代20代の学⽣、若者世代の代表などあらゆるバックボーンを持つ多様な⼈が集まって、年間100兆円の予算配分や1億2610万国⺠のルールの制度を決められたら健全だと思います。当然かもしれませんが、⾃分と同じような境遇に育ってきた⼈は政治の世界でめっちゃ少ないです。霞が関や永⽥町には、私たちのいた現場で起こっていることを体感値として持っていないめっちゃ頭のいい素⼈が政策を決めちゃうことが多々あります。

“めっちゃ頭のいい素人”というパワーワードが飛び出た。

「専⾨家じゃないけど東⼤やハーバードなど優秀な⼤学を卒業した極めて優秀な素⼈が、地頭の良さで算盤を弾いて、それっぽくロジックを組み⽴てて、机上の空論で政策を考えちゃう。でもその中には、⽣活者の声を聞くことなく、実態を踏まえていない、現場感や体感値に基づかない政策があり、現場と乖離しています。特定の既得権者や政治・⾏政に声を挙げるのが上⼿な⼈だけの意⾒を聞いて政策を組み⽴てたら、結果として苦しむのは国⺠です。」

貧困等の分野に長く関わっている政治家や官僚と実際に当事者として体験をしてきた政治家や官僚とでは、理解度や違いが発生するのか確認してみた。

「長くその分野にいて研鑽を積み、課題解決を図ろうとする姿勢は素晴らしいことだと思います。その一方で、課題の体感値を踏まえていない生活に対する想像力と社会的弱者に対する共感力が足りていない意思決定は現場から乖離しますので、ことの本質をより理解できている体感値を持っている人が課題解決の前線に立つことは合理的だと思います。」

貧困問題、治安対策、負の世代間連鎖を解決するのは、あなたが目をそらし続けている圧倒的共感力を持った不良出身者なのかもしれない。

視界不良議員を取り締まるのは元不良少年議員だ。

◆中谷一馬氏 略歴
1983年生。B型。貧しい母子家庭で育つ。厳しい経済環境で育ったことから、経済的な自立に焦り、日吉中学卒業後、社会に出る。だがうまく行かず、同じような想いを持った仲間たちとグループを形成し、代表格となる。しかし「何か違う」思い直し、横浜平沼高校に復学。その後も社会人として働きながら、呉竹鍼灸柔整専門学校にて柔道整復師の資格を取得し、慶應義塾大学に進学。デジタルハリウッド大学大学院にてMVPを受賞し首席で修了。DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士号の学位を取得。その傍ら、東証一部に上場したIT企業(株)gumiの創業に役員として参画。こうした過程において、社会を変革する必要性を感じ、人の役に立つ人生を歩みたいと政界進出を決意。その後、第94代内閣総理大臣 菅直人の秘書を務め、27歳で神奈川県議会における県政史上最年少議員として当選。在職中、世界経済フォーラム(通称:ダボス会議)のGlobal Shapersに地方議員として史上初選出され33歳以下の日本代表メンバーとして活動。また第7回マニフェスト大賞にて、その年に一番優れた政策を提言した議員に贈られる最優秀政策提言賞を受賞。現在は、立憲民主党 神奈川7区(横浜市港北区・都筑区) 衆議院議員、立憲民主党青年局長(初代)として活動中。趣味は、”ラーメン”の食べ歩き。

◆著書
セイジカ新世代 母子家庭・貧困育ちの元不良少年が国会議員になって政界を変えていく話 – 幻冬舎

セイジカ新世代 母子家庭・貧困育ちの元不良少年が国会議員になって新しい政界を創る話

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