初の欧州ツアーは約670万円だった!?日本人の海外パッケージツアーの歴史を振り返る

新型コロナウイルスの感染拡大により、海外旅行が厳しく制限されています。出入国合わせて1か月近くの待機時間が必要で、よほどの理由がなければ「旅行しない」という選択が現実的です。旅行好きにとってはかなりの苦痛です。

「日本人が海外旅行に行き始めたのはいつなのか」という疑問がふと頭をよぎりました。戦前はごく限られた人だけが海外旅行ができました。では戦後は、どのタイミングから日本人の海外旅行が始まり、今日の市場に至ったのでしょうか。

国産として初のパッケージツアーブランド「ジャルパック」を1964年に誕生させ、日本人の海外旅行をいち早く後押しした日本航空グループの旅行会社、ジャルパック(現在は社名・ブランド名同一)・広報の長尾哲さん、黒永祥子さんに話をお聞きし、「日本人の海外旅行56年」を振り返ります。


事実上、海外旅行に行けない

新型コロナウイルスの感染拡大により、事実上、海外旅行に行けない状況が続いています。

海外渡航をするとして、大半の国で採用されているのが、「PCR検査での陰性証明」などの入国時の検査と、入国後14日間の在宅検疫などです。また、滞在を終えて日本に帰国する際も同様で、帰国後は14日間の移動制限があります。つまり、海外への渡航には計約1か月の待機期間が必要となり、働く世代にとっては事実上不可能なスケジュールです。

かつての日本にもあった「海外旅行に行けない」時代

―日本国内から発信した「海外パックツアー」を初めて展開したのがジャルパックと言われています。

長尾哲さん(以下、長尾):はい、弊社は国産としては初めてのパッケージツアーブランド「ジャルパック」を1964年に誕生させました。翌年1月に発売、同年、4月に第一陣として26名が参加したヨーロッパ行きツアーを実施しています。

実は1964年7月にスイス航空が、「プッシュボタン」というブランドの海外パックツアーを発表しています。「ジャルパックが日本初」と言いたいところですけど、厳密にはそう言えないのがもどかしいところです。ただ、日本の旅行会社としては弊社が初めてパッケージツアーを販売したことは確かです。

―1964年以前の大半の日本人は、自由に海外旅行に行けなかったのですか?

長尾:はい、戦後は原則的に限られた人しか海外に行くことができませんでした。「業務での渡航」「留学での渡航」といった目的がないと、気軽には海外に行ける時代ではなかったのです。

その後、1964年4月1日より、海外渡航が自由化され誰でも海外に行く権利を得られるようになりました。同年は東京五輪が開催され、世界が自由に交流するということが強く印象づけられました。東海道新幹線が開通したのもこの年です。こういった社会情勢のもとで、海外渡航の自由化は実現したのです。

これに応じて弊社でも翌1965年に初めての海外パッケージツアーを実施しました。

現在の感覚で約670万円のヨーロッパツアー

―どんなツアーだったのですか?

長尾:「ヨーロッパ16日間コース」で、コペンハーゲン(デンマーク)、ロンドン(イギリス)、アムステルダム(オランダ)、フランクフルト(ドイツ)などヨーロッパの主要都市を回るものでした。

価格は当時の金額で67万500円。この時代の大学卒の初任給が2万1千円くらいだったようですので、今の約10分の1です。つまり、現在の金額に換算すると、670万円くらいになりますから、とてつもなく高かったことがわかります。

1965年のジャルパック新聞広告。ヨーロッパコースのほか、香港・マカオ・台北コース、アメリカ一周コース、東南アジアコース、ハワイコースなどがあった

昭和の日本人にとって海外は「未知の世界」だった

―当時は、旅行先の各国の情報も今ほど得られなかった時代ですよね

長尾:はい、歴史とか慣習にまつわる限られた情報はあっても、「旅行先」としての情報はほとんどありませんでした。ほとんどの日本人にとって海外は「未知の世界」だったわけです。

ですから、パッケージツアーに参加される方に対し、渡航前に「旅行説明会」を実施し、たとえば「食事の仕方」「風呂の使い方」など、慣習面での情報をご説明することを行っていました。それでもヨーロッパだと、ビデをトイレと間違えて使う参加者がいるなど、まだまだ日本人は海外旅行に慣れない時代でした。

―そういった意味でも、添乗員がついていないと行けない時代だったのですね

黒永:そうなのです。ですから弊社では「お客さまに寄り添ったサービス」だけでなく「安心」「安全」を強く訴えていました。その象徴的なものが、トラベルバッグです。

旅行に必要な、ポケット通訳、外貨の換算表、各地のレストラン、お土産屋さんの地図が書いてある案内所、参加者バッジ、荷札などをバッグに入れて、参加者の方にお配りしていました。

―昭和世代にとっては、ある意味「海外への憧れ」でもあったバッグです。

黒永:慣れない海外でも、このバッグを持っていれば、パックツアー参加者であることがすぐにわかるという効果もありました。今ではトラベルバッグは廃止していますが、参加者バッジや荷札は現在でもパッケージツアーで使われることもあり、名残を感じますね。

ジャルパックが始めた当初のトラベルバッグ

昭和時代の3度の海外旅行ブーム

―当初は「高嶺の花」だった海外旅行ですが、いつからブームになっていったのでしょうか

黒永:旅行業界では、今日までに3つのブームがあったと言われています。第1次ブームは、前述の1965年。高額でなかなか手を出せない海外旅行でしたが、多くの日本人が海外に憧れを強く抱いた時代です。

そして、第2次ブームは1971年頃です。1969年に、団体客に大幅な割引を行う「バルク運賃」が航空券に導入されました。また、1970年にはジャンボジェット機が羽田・ホノルル(ハワイ)間に就航。この2つが相まって海外旅行が多くの人にとって現実的になり始めた時代です。

さらに、第3次ブームは、1987年頃です。1986年頃から円高が進行し、好景気だったこともあり、日本政府が海外旅行者数1000万人を目指す「テンミリオン計画」を打ち出しました。この時代からさらに多くの日本人が海外へ旅立つようになりました。

今でもハワイが根強い人気を誇るワケ

―各ブーム期で、特に人気があった渡航先はありますか?

長尾:第1次ブームはヨーロッパですね。日本の制度は、例えば議会制度はイギリス、法律はフランスというようにヨーロッパから輸入されたものが多く、当時ヨーロッパへの憧れはとても強かったようです。

しかし、羽田・ホノルル間のジャンボジェット機の就航以降は、圧倒的にハワイが人気になりました。特に第2次ブームの際、当社では「海外旅行=ハワイ」というほどでした。ご存知の通りハワイは、海外旅行が多様化した今であっても、根強い人気を保っています。

そして第3次ブーム以降は、ハワイも人気方面ではありましたが、加えてアジアやミクロネシアにも人気が広がりました。

黒永:以降、旅行業界は多少の波はありながらも、緩やかに右肩上がりを続けてきたのですが、今回の新型コロナウイルスの件で、この半年は全く動けていないという状況です。

第2次ブームとなった頃のジャルパックの広告

当時は目新しかった「高層階、オーシャンビュー確約」

―これまでのパックツアーで、特にジャルパックとして顕著だった試みはありますか?

黒永:特にジャルパックがパイオニアとなった強みとしては、ハワイの有名ホテルの海側の部屋を買い取り、事前に階層やビューを確約できるプランがあります。当時は、パッケージツアーであっても、現地に行かないと部屋がどんなものかわからないことが多く、「海側か山側のお部屋か」くらいしか選べなかった。ジャルパックのこのサービスは大好評で、今でも続いています。

また、好評を得たものに、家族向けのツアーもあります。お子さま連れのお客さまにとっての海外旅行は、やはりハードルが上がるものです。それをフォローするために考えた企画が「ファミリージェット」という12歳未満のお子さま連れご家族を限定とした商品です。

家族専用機なので気兼ねなく旅行をお楽しみいただけます。出発前に現役のパイロットやCA(キャビンアテンダント)、整備士と撮影することもできるというものです。現在は発売していませんが、とても人気があった商品でした。

2009年、ジャルパックが企画した家族専用機・ファミリージェットによるツアー。子ども連れの家族向けに特化した商品だった

新型コロナの影響で大打撃を受けている旅行業界

―日本人にとって海外旅行自由化から56年、今年は新型コロナウイルスで大打撃を受けていると思いますが、感染拡大以降の状況を教えてください。

長尾:渡航先にもよるのですが、今年の2月頃までは、ツアーを催行していました。しかし、4月以降は緊急事態宣言が出され、世界中の行き来がほぼできない状況になりました。これを受け、4月から現在までの約半年間、すべての海外パッケージツアーが止まっています。

―例えば、催行したツアーで行った渡航先で、新型コロナウイルスの影響で足止めをくらうみたいなことはなかったのですか?

長尾:皆さまに無事にお帰りいただいています。ただ、これまでにそういった経験がないわけではなく、例えば台風の影響で、現地を出国できなくなることもありました。

こういった際でも、ツアーに入っていると、代替便の手配を現地のスタッフや添乗員のサポートを受けられるなど利点があります。個人での海外旅行も増えていますが、非常事態の際はすべて自身で手配しなければいけない。こういった点でも、パッケージツアーの「安全・安心」が活かされるのではないかと思っています。

再び自由に海外旅行ができる日はいつ?

―今後、どの段階で、海外旅行が再び盛り上がるとお考えでしょうか。

長尾:しばらくは厳しいだろうという見立てが正直なところです。日本はもちろん、海外の渡航先の状況が良くなっていくにつれ緩やかに戻ってくるだろうと思っています。

黒永:なかなか先が見えませんので、「オンライン・リモートツアー」として、ハワイの観光で欠かすことができない史跡巡り、ハワイ王朝期の登場人物を、ゆかりの地と合わせてオンラインで巡れるサービスをご提供したり、国内での新しい旅のカタチを提案したり……様々な新しい試みを実践しております。

ジャルパックが9月より打ち出した「オンライン・リモートツアー」

ウィズ・コロナ時代の旅行会社のあり方とは?

―では、実際に事態が元に戻ったとして、未来の旅行会社のあり方をどのように考えておられますか?

長尾:特に近年は、旅行会社同士での競争が激化していました。また、インターネットの普及により、どの国の航空会社、ホテルも直接お客さまに販売できるようにもなりました。

これに加え、旅行される方のニーズも多様化しているので、これまで以上に「旅行会社ならではの付加価値」というのを強く打ち出していく時代になるだろうと思っています。

前述のようなハワイのホテルの部屋を買い取り、部屋番号ごとに販売するというような例もそうですし、旅行会社だからできることを増やしていかないといけないと思っています。ウィズ・コロナ時代、アフター・コロナ時代においては、安全・安心をさらに徹底し、サービスをご提供することが課題だと考えています。

(写真はいずれもジャルパック提供)

<文:松田義人>

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