【戦後75年】気球連隊の格納庫解体へ 「風船爆弾」任務 惜しむ住民、見学会に570人 千葉市稲毛区

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解体されることになった気球連隊の旧第2格納庫=19日、千葉市稲毛区

 太平洋戦争末期に米本土を狙う風船爆弾に携わった旧日本陸軍「気球連隊」の旧第2格納庫(千葉市稲毛区作草部)が、解体されることになった。民間企業が倉庫として使っていたが、老朽化が進み昨年秋の台風で天井が破損。別の企業に売却され、解体が決まった。軍都千葉を象徴する戦跡を多くの人に知ってもらおうと、地元住民らが見学会を開き、県内外から訪れた約570人が戦争の記憶を胸に刻んだ。

 千葉市や地元住民によると、気球連隊の前身の気球隊が1927(昭和2)年に埼玉・所沢から作草部に移転。格納庫は37(昭和12)年ごろ、骨組みを三角形状に組み合わせるダイヤモンドトラス工法で建築された。敵機の偵察をしたり、味方の砲弾がどこまで飛んだかを確認したりする「係留気球」が納められていた。一時期は、千葉空襲で焼けた周辺小学校の学舎としても使われたという。

 気球連隊の任務の一つが風船爆弾を使った「ふ号」作戦。和紙をコンニャクのりで貼り合わせて作った気球に、爆弾などをつり下げたもので、44年11月~45年4月に福島、茨城、千葉各県から約9千個が飛ばされた。偏西風に乗り一部は米本土まで到達、オレゴン州で住民6人が死亡する被害があったとされる。

 第2格納庫は戦後、複数の企業を経て川光倉庫の手に渡った。高さ約15メートルの格納庫は4階建てに改修され、米や大豆を保管していた。老朽化が進み、昨秋の台風で天井に穴が空くなどの被害が出たため、積水化学工業に売却、解体されることになった。第2格納庫の近くには第1格納庫もあったが、現在は大型マンションに姿を替えている。

 地元の戦史を知ってもらおうと、住民らが19日、解体前に見学会を開催した。格納庫の前で係留気球が浮かぶ当時の写真などを展示し、第1格納庫跡のマンションに住む満冨五夫さん(66)らが案内した。

 見学会に訪れた石井進さん(91)は、千葉空襲で自宅が焼かれ、戦後に民間に払い下げられた気球連隊の敷地跡に最初に移住した一人。「水もなければ電球もなかった。周りは稲毛まで兵隊屋敷が手つかずの状態で残っていた」と当時を振り返る。軍都千葉を象徴する戦跡がまた一つ姿を消すことに「さみしさがある。(他の戦跡は)残してほしい」と訴えた。

 満冨さんは「飛行機が発達していたのに、実戦的ではない係留気球で時代に合わないことをやっていた。この機会に戦争のことを考えてほしい」と願った。