ひろゆき「他人に嫉妬しそうな時、自分にいう言葉」

「2ちゃんねる」など、日本のインターネット文化黎明期をリードしてきた「ひろゆき」さん。「お金がなくても生きられる」、「働かなくても別に全然かまわない」と公言し、ひょうひょうと生きているイメージがあります。そんなひろゆきさんが、他人をうらやみそうな時、思い出す言葉とは何でしょうか? 前回、前々回に続き、彼の「お金」や「成功」の哲学を、著書『1%の努力』(ダイヤモンド社)から一部抜粋して紹介します。

<撮影:榊智朗>


存在を知ると「足りないもの」が顕在化される

1976年。僕は神奈川県で生まれ、幼少の頃に東京都北区の赤羽に移り、そこで育った。小学生のときから、 「MSX」というパソコンでプログラミングをしていた。 バッドエンディングで終わる映画「ポセイドン・アドベンチャー」に衝撃を受けて、 期待を裏切る展開やレールを外れる人生が好きになった。

「お金がなくても生きられる」「働かなくても別に全然かまわない」 僕の根底部分にはそんな考えがある。たぶん、世の中の常識とは真逆だと思う。考え方には家庭環境が影響する。そんな話から語っていこう。

大人になってからカルチャーショックを受けることがある。早速だが、1つ質問がある。 「あなたの家には、エッグスタンドがありますか?」 どうだろうか。ちなみにエッグスタンドとは、食卓のテーブルの上に「卵を置くため」だけにある器のことだ。

「エッグスタンドくらいあるでしょう」「エッグスタンドって何? 見たことないんだけど」 反応は2つに分かれると思う。

先に僕の考えを書いておこう。 卵を置くためだけの食器があるって、おかしくないか。器なんて何でもいい。普通の小皿であれば、卵に限らず、なんだって置くことができる。

けれど、エッグスタンドは「卵のためだけ」にしか使えない。そんなものを買う「余裕」があること。しかもそれを当たり前のように語る人がいることに、僕はショックを受けたのだ。

それを知ってからというもの、雑貨店に行くと、たしかにエッグスタンドが売られている。それまで目に入らなかったものが顕在化されてしまった。

考え方の「自分軸」を持つために

さて、なぜ、こんな話をしたかというと、比較対象が現れたときに、どう受け止めるかで人生はけっこう変わると思うからだ。

「ああ、私の家はエッグスタンドもない家なのか。恥ずかしい……」 そう受け取る人が一定数はいるのではないだろうか。ここでいう「エッグスタンド」は、例のひとつにすぎない。

「幼稚園の頃にお受験をしたことがある」
「海外へ行くときは必ずファーストクラスに乗っている」
「家にはサッカーができるほど大きな庭がある」

社会に出たり、SNSを開いたりすると、比較する機会が増えていく。特に、上京して大学に進学したり、就職して都会に出てきたり、結婚などのライフイベントで人間関係が変われば、この問題に直面する。生きていく限り、つねに「比較対象」にさらされる。

でも、比較対象がないほうが、人は幸せなんじゃないか。そう思うと、「自分はこうやって生きてきた」ということをちゃんと軸として持っておくことが必要だ。人をうらやんでしまいそうなときに、この言葉を思い出して立ち戻ってほしい。

「エッグスタンドなんて、いらなくない?」

すると、人生におけるさまざまなことを内省することができ、ぐっとラクになることだろう。

子どものお受験=エッグスタンド
ファーストクラス=エッグスタンド
大きい庭付きの家=エッグスタンド……

瞬時にそう置き換えるようにすればいい。さもエッグスタンドを持っていることを当たり前のように語るやつに、劣等感を抱く必要はない。

ブータンという国がある。もともとが貧しい国で、農業で細々と暮らしていたが、国民の幸福度は高かった。

しかし、経済発展をしてテレビが見られるようになり、「借金をする」という概念を覚えてしまった。ちゃんと学校教育を受けていなかったため、借金をして物を買うことになんの抵抗もなくなり、みんな借金で首が回らなくなってしまい、幸福度は下がっていってしまった。

ちゃんとした思考がないまま情報だけを与えられるとカモになってしまう。ブータンの人々はおそらく、情報がなかったら、普通に幸せな国のままだったはずだ。

情報はときに人を不幸にしてしまう。

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