2人の子どもを事故で失い… 悲劇に見舞われたダンサーの喪失と再生

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時代を超えて描かれる感動作『イサドラの子どもたち』

【映画、ときどき私】 vol. 324

“モダンダンスの始祖”として知られるイサドラ・ダンカンは、20世紀初頭に舞踊の世界で革命を起こしていた。その後、2人の子どもたちを事故で亡くすという悲劇に見舞われ、痛みに苦しむなかでソロダンス「母」を創り上げる。

それからおよそ100年が経った現代で、ソロダンス「母」と向き合っていたのは、振付師のアガト、障害を抱える若きダンサーのマノンと振付師のマリカ、舞台を鑑賞している高齢女性のエルザ。年齢も国籍も異なる4人の女性たちによって、ソロダンス「母」が新たに綴られようとしていた……。

劇中では、ソロダンス「母」をきっかけに生まれた3つの物語を中心に描かれていますが、今回は作品が完成するまでの過程についてこちらの方にお話いただきました。

ダミアン・マニヴェル監督

“フランスの俊英”と呼ばれ、2019年には本作でロカルノ国際映画祭の最優秀監督賞受賞したマニヴェル監督。コンテンポラリー・ダンサーとしても活躍していた監督ならではの視点や今後について語ってもらいました。

―監督自身がダンサーであったこともあり、以前からイサドラ・ダンカンには興味を持たれていたのでしょうか?

監督 もちろん、イサドラのことは昔からよく知っていましたが、だからといって彼女の映画を撮りたいという思いが最初からあったわけではありません。出発点となったのは、映画監督として「ダンスの映画を撮りたい」と考えていたときに、振付師の女性からイサドラのソロダンス「母」という舞踊があることを教えてもらったこと。それが今回の作品につながりました。

―この作品を通してイサドラへの印象も大きく変わりましたか?

監督 そうですね。僕が彼女に抱いていたイメージはステレオタイプなものでしたが、リサーチを重ねていくうえで気がついたのは、イサドラというのはとても脆弱なところがあって、極端なまでに感受性の強い人だということでした。

なぜなら彼女は数々の悲劇を経験するものの、そういったものも芸術的な創作の原動力にしているということがわかったから。そうやって彼女の足跡をたどる過程で新たな一面や考え方を発見しましたが、それらを“翻訳”して映像にしたのがこの作品です。

ユニバーサルで普遍的な感情が内包されている

―ダンスを題材にした作品ということで、ご自身も出たいという欲求にかられることはなかったですか?

監督 準備期間に少しだけ踊ることはありましたが、出たいというのはなかったですね。というのも、僕は俳優やいろんな人々を観察し、撮るほうが好きですから。ただ、もし僕が心から敬愛する映画監督から、「映画に出ないか?」とお誘いがあったら、「出ます!」っていうかもしれないですね。でも、ダンサー役はあり得ない、もうずっと踊ってないもの。

実は、僕はダンサーとしてはもう長いこと踊ってはいないんです。でも、もしいまでもダンサーを続けていたらきっとダンスについての映画は撮らなかったでしょうね。どこかでダンスが恋しいという気持ちがあるから撮りたかったんだと思いますし、ダンスが自分の映画を豊かにしてくれることもわかっています。

―今回はイサドラを題材にした作品ではありますが、3部構成で4人の女性たちが中心に映し出されています。このような形式にしようと思ったのはなぜですか?

監督 最初は1つ目のストーリーの主人公であるアガトだけに焦点を当てようと思っていたんですが、徐々に年代も身体も背負っている過去も異なるさまざまな女性たちに演じてもらいたいと思うようになりました。なぜなら、ソロダンス「母」には、ユニバーサルで普遍的な感情が内包されていて、みんなを感動させるものがあると気がついたからです。

僕にとっては、このソロダンスが主人公でもありますが、100年の歴史に込められている“遺産”を解読し、映画にして観客に届けるべきだと思いました。

現場で新しいアイディアをどんどん入れている

―劇中の女性たちはストーリーを組み立てたあとにキャスティングしたのか、それとも彼女たちとの出会いが脚本に影響を与えたのでしょうか?

監督 その両方ですね。というのも、僕はオーディションなどでキャスティングするのは好きではないので、出演者を決めるときは自分が知っている人のなかから選ぶことが多いんです。なので、今回はソロダンスを題材とすると決めたあとに、この作品を誰と撮りたいか、ということを考えました。

アガトとはパリで出会ったときから仕事したいなと思っていましたし、マリカは10年ほど前にダンサーとして一緒に踊ったことがあって、また仕事をしたいと思っていたときに今回のチャンスが訪れた感じですね。マノンはアヴィニョンの演劇祭で彼女のパフォーマンスを見たときから、考えていた1人。そして、エルザも2011年の『犬を連れた女』で仕事をしましたが、またいいタイミングが来たと感じたので起用しました。

―彼女たちの動きや会話は、俳優たちのアドリブに委ねた部分も多かったのでしょうか?

監督 僕の作品は、いつもフィクションとアドリブがミックスされていることが多いですね。実在する人からインスパイアされて人物像を築き上げていくのが好きなんです。

この作品の脚本はたった30ページほどしかなかったので、セリフは全然書かれていません。それだけ余白の部分が多いので、現場で新しいアイディアをどんどん追加できるようにしています。僕が監督として楽しみにしていることは、撮影中に僕自身を驚かせてくれるような出来事と出会えることなんですよ。

観客が深いところで感動しているのがわかった

―では、今回の現場で監督が驚いたこととは?

監督 毎日いっぱいありましたが、そのなかでも感動したのは、タイプの違う4人の女性たちが、同じ題材を通して、それぞれに異なるエモーションを届けてくれたこと。僕は完璧なダンスやすでに完成されたものには興味がありません。大事にしたのは、誰もが自分のなかにクリエイティビティを持っているんだということ。僕はいつでも俳優たちにとって最初の観客という思いで見ていますが、そのなかで彼女たちは僕に感動を与えてくれました。

実際、作品を観てくださった方々のお話を聞いても、表面的な感動ではなく、深いところで感動してもらえていることがわかりました。そういう瞬間が映画監督として作品を提示することの喜びでもあるんですよね。

―そのなかでロカルノ映画祭最優秀監督賞を受賞したことも、大きなモチベーションとなったのではないでしょうか?

監督 そうですね。自分のことだけでなく、作品に参加してくれたすべての方と自分のチームに対してもすごく誇りに思いました。と同時に、これからも作品を作ってもいいんだと励まされましたね。

―では、次に興味のある題材はどんなことですか?

監督 実は、少し前に新作の長編を撮り終えたばかりなんです。今回題材となったのは、イエス・キリストの弟子でもあるマグダラのマリア。彼女が過ごした最後の日について語った作品で、『イサドラの子どもたち』に出演したエルザが主演を務めています。

本作のラストシーンを撮っているときに、彼女と一緒にマグダラのマリアについての作品を撮りたいと考えていたんですよ。

この作品が心に届くことを願っている

―この作品も、そういった形で次へと繋がっているんですね。五十嵐耕平監督との共同制作による『泳ぎすぎた夜』では日本で撮影されたこともありますが、また日本でも撮りたいお気持ちもありますか?

監督 日本でも3年以内にもう一度撮りたいと考えています。アイディアはたくさんあるので、まだ絞れていなくて……。でも、最近はホラーに興味を持っています。

―イサドラ・ダンカンからマグダラのマリアときて、次はホラーとはすごいふり幅ですね。では、映画監督として作品を通して観客に伝えたい思いはありますか?

監督 僕の場合、メッセージを伝えたいというよりも、観客に問いかけをして、みなさんのなかに感動を呼び起こしたいという思いのほうが強いんです。僕がいままで撮ってきた作品は、実在の人物のポートレートのようなものなので、たとえるなら僕は絵を通して感動を与える画家みたい感覚ですね。

―最後に、日本の観客へのメッセージをお願いします。

監督 まずは日本で公開できることをとてもうれしく思っていますし、この作品が日本の観客の方々の心に届くことを願っています。イサドラの魂と皆さんが出会うきっかけにこの映画がなれば、とてもうれしいです。

魂と魂がゆっくりと呼応していく!

喪失を経験し、苦しみながらも再生していく人々の姿を映し出した本作。普遍的なテーマと向き合うなかで、言葉では表現できない深い感動を味わってみては?

静かに胸を打つ予告編はこちら!

作品情報

『イサドラの子どもたち』
9月26日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給:コピアポア・フィルム