プリンス ブルースを歌う?「サイン・オブ・ザ・タイムズ」が偉大なる理由 1987年 3月30日 プリンスのアルバム「サイン・オブ・ザ・タイムス」がリリースされた日

高踏な天才、まるで “異世界” の人

僕にとってプリンスはまるで “異世界” の人のようだった。名前は知っているし、アルバムも『パープル・レイン』とベスト盤を持っている。しかし聴いてもなかなかしっくりこない。色々な音楽の要素が混じり合い、自分が何を聴いているのかわからなくなる。私たちとは違うところで音楽を奏でている高踏な天才。それがプリンスの第一印象だった。

2011年の夏、僕は重いバックパックを背負ってハンガリー・ブダペスト東駅に佇んでいた。週末の旅行者で混んでいる駅を出てトラムに乗り “ドナウの真珠” と呼ばれて名高いドナウ川にかかる橋 “くさり橋” へ向かった。まだ昼過ぎであった。ドナウ川にかかる橋は “ドナウの真珠” として名高い。夕方になり橋がライトアップされるまでドナウ川の運んでくる真夏の心地よい風に身を任せていた。河川敷の通りには若者がたくさん。昼間からワインを開けている人もいた。そして僕は、街路樹にあるポスターが貼ってあるのに気づいた。

「プリンス! ライブ!」

プリンスがブダペストで行われる音楽フェスティバルに、ヘッドライナーで出るという広告だった。通りの街路樹に全て貼ってあったので、通りはさながらプリンスの顔で埋め尽くされているようだった。夏風に揺れるプリンスの顔を見た僕は、「プリンスとはそんなに人気があるアーティストなのか」と考えただけで、ライブに行こうとは思わなかった。僕はあまりにも無知で、傲慢で、あまりにも “青かった” のだ。

死して知ったプリンスの偉大さ

2016年4月21日にプリンスが57歳で天国に召されたとの突然の報らせがあった。その1年後くらいであっただろうか、プリンスのYouTubeアカウントができたのだ。ファンサイトに自分の写真、似顔絵などを載せるなと訴えた彼であるから生前ではYouTubeを敵視していたのではないだろうか。僕は何気なくプリンスの動画を再生していた。そして僕はすっかりプリンスの虜になってしまったのだ。

彼の死に「プリンスの音楽の生命は今まさに芽吹いたようなもの」という人を食ったようなモリッシーの追悼コメントが私にとっては、現実のものとなってしまったのである。僕がブダペストで犯した行為がいかに勿体無いものであったのか、今でも身につまされる。

アルバム「サイン・オブ・ザ・タイムス」が持つ力とは?

彼は徹底して “アルバム” という形態にこだわった。音楽の歴史の中で、何曲かを集めて並べたアルバムというものが、一曲のみ収録したシングルより重要視されたのはビートルズの『サージェント・ペパーズ』以来だろう。アルバムの歴史は短いのだ。『パープル・レイン』を何回も聴いた後、手にしたアルバムが『サイン・オブ・ザ・タイムス』だった。プリンスを好きになって初めてレコード屋で買った作品ということになる。

極度の喉の渇きを潤す水が五臓六腑に染み渡るかのように、このアルバムは自然に体を潤す。それは “あるべき曲があるべき場所に” 置かれているという印象のせいかもしれない。アルバムにして5枚分のマテリアルから厳選され順序よく並んだ楽曲たちは、途中でストップボタンを押したり曲をスキップすることを拒否しているかのようだ。アルバムを通しで聴かせる力がある。

表題曲である「サイン・オブ・ザ・タイムス」には “減算の美学” がある。必要最低限の音で、いかにグルーヴを作り出すか。噛めば噛むほど味が出る。スパイスとして加わっているのはジャズの方法論かもしれない。実際、僕は1曲目が始まったら最後の、悲しくなるほど美しい「アドア」まで通しで聴かないと済まないのだ。

黒人音楽の伝統にのっとり、時代の音像をブルースでアップデート

アルバムの底に流れているのは “悲惨さと救済” だ。表題曲では17歳の子供がギャングになる。とびきりポップな「プレイス・オブ・ユア・マン」では、“彼女の夫が逃げ出したのは6月のことだった” と歌われる。世界は未だ冷戦下であった。それでもプリンスは救済を歌う。荘厳な「ザ・クロス」では “彼は必ず来る、泣くことなはい、死んではならない” と歌われる。

この悲惨と救済の両立はつまるところ、ブルースなのではないか。仮借ない現実世界で虐げられた状態を歌うブルースの内側には、救済されたいという黒人霊歌の精神がコインの表裏の関係で存在した。黒人音楽の伝統にのっとりながら、時代の音像をブルースでアップデートしたこと。これが『サイン・オブ・ザ・タイムス』の凄まじいところである。

僕の中ではブダペストのプリンスがいつまでも後悔として残るだろうが、聖も俗も飲み込んだ『サイン・オブ・ザ・タイムス』を作ったプリンスなら「そんな小さいこと!」と笑って許してくれそうな気がするのである。

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カタリベ: 白石・しゅーげ

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