シン・リジィの想い出:フィル・ライノット、ゲイリー・ムーアらとのインタビューを振り返って

Photo by Barry Plummer

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第40回。今回はシン・リジィのボックス・セット『Rock Legends』の発売を記念して、シン・リジィや在籍メンバーとのインタビューの想い出について振り返っていただきました。 

10月23日にシン・リジィの『Rock Legends』が発売になります。6枚のCDにDVDD付き、未発表音源74曲、初CD化83曲だなんて、どんなマニア・アイテムなんだ!と興奮です。そう、私はシン・リジィ・ファン。クイーンで洋楽にどっぷりハマってからは、当時のロック・バンドを片っ端らから聴き、生まれ変わったらギタリストになるんだ、と妄想の世界でギターを弾いていました。なぜ現世で目指さなかったか? 実は、学生時代にリトル・クイーンというバンドを結成したのですが、「We Will Rock You」「Rock and Roll All Nite」「Rock and Roll Love Letter」と、誰もが練習する「Smoke on the Water」のワンフレーズだけがレパートリーのバンドで、学園祭出演1回で終わった原因は、私のギターがあまりにも下手だったからです。

そんな私の初渡英は、1978年の夏でした。クイーンのジョン・ディーコンが通っていたキングス・カレッジ開催のサマースクールに1ヶ月間入学し、寮に入りました。

すでに「全米トップ40」のアシスタントDJとして活動を始めていたため、初ロンドンで、初インタビューもガンガンやっていた積極的な10代でした。ジャパン、シティ・ボーイ、スージー・クアトロがその時にインタビューしたアーティスト!怖いもの知らずでしたね。そして、ロンドンの街を歩きながら、私の目に映った驚きは、ダブルデッカーの正面に、ロック・バンドのレコード広告がガーンとディスプレイされていたことでした。公共の乗り物にロックが堂々とPRされているということが、なんとも新鮮だったのです。そして滞在中、何度も目にしたのが、シン・リジィの『Live and Dangerous』ジャケットでした。あまりにもかっこいいその姿にジャケ買いをし、帰国してから毎日レコードを聴くことになります。

フィル・ライノットは、私好みのロック・アイドル的な風貌ではなかったのですが、ベースを弾きながら、ボーカルをとるその姿は、今まで見たことのないカリスマを感じました。そして来世はギタリストだと信じていた私は、ブライアン・ロバートソンの奏でるギターの音色にのめり込んでいったのです。

彼はほどなくバンドを脱退するのですが、その後に入った(と言っても出たり入ったりしていたということを知るのは後でした)ゲイリー・ムーアのギターの音色にもやられてしまい、「Emerald」「Massacre」「Are You Ready」は、耳にタコができるほど聴き、口ギターの完コピ。そして『Black Rose』からは「Waiting for an Alibi」や「Sarah」もいいけど「Roisin Dubh (Black Rose) : A Rock Legend」のギターに涙し、どっぷりとシン・リジィ・ファンになっていました。

ゲイリー・ムーアがいるシン・リジィの初来日公演が行われたのは、私がロンドンで衝撃を受けた1年後の1979年9月でした。ちょうど大貫憲章さんとの「全英トップ20」が10月からスタートすることになり、なんとしてでも初ゲストとしてインタビューしたいという思いをディレクターに伝え、その実現を翌日に控え、初日の公演を見るために中野サンプラザに出向きました。そして入り口にあるボードを見て、腰が抜けるほど驚いたのです。

ゲイリー・ムーアは来日キャンセル。代わりにミッジ・ユーロがキーボードで出演!と。

ハラホロヒレハレ〜ってこの時の状況にぴったりな表現だなと思います。そりゃ、フィル・ライノットのプレイが観れるのは嬉しい、でも、なんで〜と入り口で一瞬立ち止まってしまいました。その時の生意気な私は、その後ウルトラヴォックスで大活躍するミッジに申し訳ないのですが、「リッチ・キッズのメンバーがどうして?シン・リジィにキーボード必要?」と。

その時のライヴのことはあまり覚えてないのですが、ずっとフィルだけを見ていました。翌日は、念願のインタビューの日ですから。コンサートに対してはいろいろな思いはあったのですが、番組の第1回目のゲストがフィル・ライノットだなんて、光栄の一言。ゲイリーのキャンセルのことは帳消しです。目の前にしたフィルは、特徴ある鼻声で、鼻をすすりながら(そう私には映りました)ゆっくりとインタビューに答えてくれました。内容は覚えていません。写真も撮っていませんが、アルバムにサインをしていただいたものは今でも大事に飾っています。キスマークが10個ついてます(笑)。あの日が最後で、再びフィルにインタビューすることはありませんでした。

私のシン・リジィの旅はまだまだあります。『Live and Dangerous』で夢中になったギタリスト、ブライアン・ロバートソンには、その後ジミー・ベインと結成したワイルド・ホーシズとしてインタビューしました。それは意外な場面で叶いました。「全英トップ20」が始まってからは、かなり頻繁に、取材のためにロンドンに行くようになるのですが、当時デヴィッド・ボウイの再来だなんて言われたニュージーランドのザイン・グリフというシンガーに取材した時でした。

彼の女性マネージャーが、ブライアンの奥様だったのです。そこで、ブライアンへの熱い思いを伝えたら、それじゃ明日私のオフィスでインタビューしましょうよ、ということになり、初のインタビューが実現されたのです。ところが、その場に現れたブライアンは、ジャック・ダニエルの瓶を片手に、もうベロベロ状態。奥様は特に気にすることもなく、どうぞ〜と言って部屋を出ていき、まさかの泥酔状態の憧れの人とインタビュー。当時の私はその場の状況に対応できるほどのキャリアもなく、ビビりながら終えたのです。

その後、ワイルド・ホーシズとして来日した時は、番組の収録スタジオに来てくれたのですが、ブライアンは大人しくしていました。ジミーがやたらいい人だったなという印象があります。その週の台本にマイケル・シェンカー・グループの「Armed And Ready」を選んでいたのですが、ジミーがこの曲は僕も大好きだ。後半の流れがすごい」と笑顔で言っていた記憶があります。

そしてゲイリー・ムーア。シン・リジィ脱退後も、フィル・ライノットとは様々な形で共演をしているゲイリー。今でも「Out in the Fields」は私の人生のフェイヴァリット・ソングTop10に入ります。G-Forceもグレッグ・レイクとの「Nuclear Attack」も好きでしたが、ゲイリーはソロとして自由に音を奏でる人だったのだと思います。今でも「Over the Hills and Far Away」を聴かない年はありません。この曲は、人間はみな同じであるという、今の時代にも届けたいメッセージが込められています。

1985年に『ミュージック・ライフ』の取材で初インタビューし、(『ハード・ロック時代のゲイリー・ムーア』にアーカイヴ・インタビューとして掲載されています)結婚したこと、将来の子供への思い、インスピレーションゲームまだやってのけ、当時の私は大満足でしたが、今読み返すと赤面です。それだけでなく、自分の意見をゲイリーにビシバシ言っていた生意気な私の言葉まで復刻され、今は穴があったら入りたい思いです。それにしてもあの頃の私は、率直に自分の意見を言うインタビューアーだったんだと。今はNGワードはしっかりと守り、当たり障りない言葉で、無難にインタビューを終わらせる良い子です(苦笑)

左から:筆者、ゲイリー、塚越みどりさん(ミュージック・ライフ)、長谷部宏さん

ゲイリーとは、その後89年にロンドンでインタビューしたのが最後となりました。家族との約束の予定があり、ソワソワ気味のパパの顔をしていて、素の姿を見せていたゲイリーでした。ロンドンでのインタビューだったからでしょうか!息子のジャックは、ミュージシャンになり、何年か前に、ゲイリーのギブソン・ギターを弾き、父に捧げる曲を公開していましたね。空の向こうで、ゲイリーはどんな思いで聴いていたのでしょうか?彼のギターには郷愁を感じます。アイルランドへの思いが、ギターの音色とメランコリーなメロディーに乗って紡がれています。ゲイリー最大の魅力だと今でも思います。今頃天国で、フィルとどんな演奏をしているでしょうか?

フィル・ライノットもゲイリー・ムーアももうこの世にはいませんが、私にとっては、フレディ・マーキュリーへの想いと同じように、私のイケイケの20代の大切な思い出と一緒に、深く刻まれているアーティストたちです。シン・リジィ『Rock Legends』を聴きながら、懐かしい思いに浸りたいと思います。

Written by 今泉圭姫子

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シン・リジィ :『ROCK LEGENDS』
2020年10月23日発売

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