「がんになって良かった」京大生山口さん、浴びた批判とその後 葛藤を本に

闘病ブログをまとめた本を出版した山口さん。「高校時代から文章を書くのが好きで、本を出すという1つの夢が実現して、感慨深い」(京都市西京区・京都大桂キャンパス)

 若年でがんになった経験をブログで前向きに発信し、京都新聞社が2019年1月の連載「彩りの時代-多様性を求めて」で紹介した京都大生、山口雄也さん(22)=京都市左京区=。このほど、2016年12月~20年3月のブログ約20本をまとめた本「『がんになって良かった』と言いたい」(徳間書店)を出版した。タイトルにある「がんになって良かった」はブログを象徴する言葉として連載でも取り上げた。しかし、その後に白血病の悪化で死を意識する状況に追い込まれ、「本心から言えるのか」と何度も自問自答したという。この間の葛藤を聞いた。

 

―連載では大学1年で胸の胚細胞腫瘍、3年で急性リンパ性白血病と相次いでがんになった闘病ブログがインターネット上で共感を呼んでいると紹介した。
 「ブログに『がんになって良かった』と書いたのは闘病生活全体から見ると最初の頃で、胚細胞腫瘍の手術を受ける前日。抗がん剤治療などそれまでの厳しい道のりを経て、先がある程度見えた時だった」
 

 <宝物に気づいた。応援のメッセージをくれ、会いに来て他愛(たわい)ない話をしてくれる人たち。空が青かったり、パンがおいしかったり、ささいなことで幸せになれる。生きているこの瞬間はかけがえがない。がんになって良かった>=ブログより=
 「連載は後日、ネットニュースサイトで『がんになって良かった』という人目を引く見出しで掲載され、数百件の批判コメントが寄せられた。『強がりだ』、『生きているから言えること』、『家族はがんで死にました』…。コメントを1件ずつ、スマホでスクリーンショットした」

 <受け入れざるを得ない経験が人を強くする。僕はナンを食べてナンのレビューをしただけ。カレーはライスで食べるもの、そう言いたいのだろうか?「病気は悪」と。悶々(もんもん)とした>

―一方で同時期の19年2月、前年の骨髄移植で治まっていた白血病が悪化する。
 <主治医からあと1年持たないと言われ、二つの選択肢を示された。新しい治療法を待つか、成功率が決して高くない特殊な移植をするか。どちらも死ぬかもしれない>

 「それまで胚細胞腫瘍も白血病も治療が順調な面もあったが、その時は白血病の悪化で、助からないかもしれない状況に追い込まれた。その時、『がんになって良かった』という過去の発言に押しつぶされる気がし、本当にこう言えるのか、何度も問い直した」

―19年6月、兵庫県内の病院で特殊な移植を受けた。ただ、その後の経過も思わしくなかった。
 「8月末に退院したが、重い肺炎で10月に再入院。20年1月には白血病が再び悪化した。それまでは治療すれば何とかなるという強い気持ちを持ち続けてきたが、もうだめだと思い、何も手に付かなくなった」

 <みんなは遊んで、最低限勉強して、好きなものを食べ、行きたいところへ行く。一方、僕はベッドとその周辺4平方メートルの暮らし。遮られたカーテンの向こう一寸先は死。この世の全てがどうでもよくなり、薬をごみ箱に捨て始めた。しばらくして病院にバレた。面談を経て治療は続けることになったが、うつになった>

―20年2月にいったん退院することになった時、予想外に主治医から白血病の悪化症状が消えたと告げられた。
 <主治医は染色体検査写真が載った1枚の紙を僕に手渡した。「肺炎で活性化したドナーのリンパ球が肺炎の細菌と一緒に異常造血幹細胞を駆逐したのではないか。退院おめでとう」>

 「手も足もでない状態だったので、間違いではないかと思った。今も何が起こったのか理解しきれておらず、フワフワしている。でも間違いなく、生かされていると思っている。それに恥じないよう、後悔しない一日一日を過ごしたい」

―著書には亡くなった闘病仲間たちについてつづったブログも収録した。
 <同じ病室になったオッチャンとは病を共に生きようとする人間の間にしか生まれない絆があった。僕たちの中でしか通じない言語があった。戦友を失った> <僕が人生でいちばんおいしいと感じた珈琲を入れてくれた病床のバリスタは言った。「僕はね、自分のこと、かわいそうだとは、思わないよ。むしろ、失ったものより、得たものの方が多すぎて、自慢話に、なっちゃうからさ」。彼は本気で死に向き合い、夫として、父として、最期まで己を貫いて生きていた>

 「彼らとの出会いに影響を受けて、今の僕がいる。がんで生き残っているのは自分一人の力ではない。どんな苦しいことがあっても最後まで生き続けようという執念を持たないと、彼らに失礼だと思っている」

―改めて今、「がんになって良かった」という言葉をどう考えているか。
 「何度も何度も突き詰めて考えたが、本心から言えるかは、今でも分からない。生存者のバイアスがかかった意見かもしれないし、死の数秒前にそう思えたら本心かもしれない」
 「ただ言えることは、日本で2人に1人ががんになる時代に、がんになることを否定するのは少しずれているのではないか。もちろん失うものも多いが、死を考えることで命や人生を見つめ直し、物事の見方が豊かになる面もある。二元化した『いい』『悪い』ではなく、葛藤も含めて前向きに受け入れられたら。そういう思いを込めて、著書のタイトルは『がんになって良かった』に『言いたい』を加えた」

 著書に収録されていないが、山口さんは19年に、思春期や若年成人にあたる15歳~39歳のがん患者「AY(アヤ)A世代」の交流会に数回参加したという。「普通の同世代に自分の悩みや思いは伝わりにくいが、交流会は安心して話せた。重い病気でも楽しそうに生きている参加者の姿に、自分も頑張ろうと思えた」と話す。

 一方、AYA世代はさまざまな問題を抱えており、その一つが「妊孕(にんよう)性の温存」だ。がんの種類や治療法によっては不妊につながるケースがあり、将来の妊娠の可能性を残すため、卵子や精子などを凍結保存することが重要になる。ただ、滋賀県がん患者団体連絡協議会が県内がん経験者に実施した19年のアンケート結果では、50歳未満の回答者の39.4%(26人)が医師から「温存」の「説明はなかった」とし、「説明を受けた」の31.8%(21人)を上回った。

 山口さんも白血病で抗がん剤治療を受ける前、精子を凍結保存した。「入院した日の午後から治療が始まり、外に出られなかった。入院した病院はたまたま院内で精子保存できたが、病院が違えば時間的に精子保存できなかったかもしれない」と打ち明ける。山口さんは20年2月に退院後、定期的に通院しながら経過を観察中だ。大学4年だった19年度は、卒業論文を仕上げる12月~2月に入院したため留年したが、今夏には京大の大学院入試に合格し、これから卒論執筆に力を入れるという。

山口雄也さんの著書「『がんになって良かった』と言いたい」(徳間書店)

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